普通、売国奴と云ふと政策、思想的な人間を以つて云ふ事が多いのではないだらうか。



私を保守的と規定した上で云へば、私はその経歴を文化問題から発してゐる。



私は文化と歴史を忘れた国家と国民を待つものはただ滅亡のみ、と考へてゐる人間である。


我が国の歴史云々云ふ保守派は多いが、文化に関して云々する保守派は少ない。


私が不思議でならないのは、現代仮名遣い、当用漢字と云ふ表音式、乃至ローマ字化への移行と云ふものを目指した中継ぎの様なものを使ふ人間である。



我が国に於いては歴史的仮名遣ひ、所謂旧字を使つて來た。当たり前だらう。もつとも旧字については全てが全てさう書かれてゐた訳ではなく、例へば中島敦さんの原稿を見ると、「數」を「数」と書いてゐた様に記憶してゐるので全て旧字と云ふ訳ではなささうである。


それでも歴史的仮名遣ひ、旧字で書いてゐたと云ふ事実は変わらない。


私は現代仮名遣い・当用漢字よりも歴史的仮名遣ひ・旧字の方が合理的であり、正当性があると思つてゐる。であるから正直な話、現代仮名遣い・当用漢字をつてゐる人間も本来の日本語を壊してゐる犯人であると思つてゐる。




このようなもの(文化問題)を探し出せば幾らでもあるだらう。

琴・三味線を知つてゐる人間とギターをより知つてゐる。和服は着れないがスーツはしつかり着る。この様な自国の文化を捨てた国が一体どこにあらうか。この様に自国の文化を知らない国民がどこにゐようか。私から見ればどれも滑稽の極みだ。



私は勿論どれも出来るわけではない。故に大きい口を叩ける人間ではない。然し、その様な日本人を今後生み出さない為にも自国の文化を、歴史を教へる事が必要ではなからうか。



保守派の皆さんには是非とも歴史問題と併せて文化問題も考へて頂きたい。