出町柳から、叡山電車。。
『きらら』
に乗り込んで、
次の目的地を目指す。。
降り立ったのは、
幽棲旧宅
(@Д@;
『京都幕末維新を歩こう!』
大政奉還150周年記念
幕末維新スタンプラリー☆13か所目。
凸( ´△`)
開館時間:午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)
鄰雲軒
岩倉具視は、江戸時代末期から明治時代初期に活躍した公家・政治家である。
具視は、朝廷と江戸幕府の協力強化のため、孝明天皇の妹・和宮と徳川将軍家茂との婚姻政策をすすめ、成功させる。
しかし、このことが原因で京都から追放され、1864(元治元)年から1867(慶応3)年までの約3年間をここ洛北の岩倉村で暮らした。
ここでは密かに坂本竜馬・中岡慎太郎らと会合を重ね、後の政治的飛躍の基礎を固める。
王政復古後、新政府の中心人物として、鹿児島の西郷隆盛・大久保利通、山口の木戸孝允らと手を携えて活動する。
明治10年代には西郷・大久保・木戸らが相次いで亡くなる中、政治の中心となった伊藤博文と共に、1883(明治16)年に亡くなるまで政府の基盤を安定させることに尽力した。
大変わかりやすい説明をありがとうございました。
m(_ _)m
史跡地内には、茅葺の主屋と瓦葺の附属屋、繋屋といった当初から残る3棟の建築物の他に、敷地を囲む土塀と表門、表門を入って主屋南庭に通じる中門、離れの便所、岩倉村瘞髪碑(遺髪碑)、敷地東側の展示・収蔵施設である対岳文庫(国登録文化財)と管理事務所が建っている。
明治から昭和初期に活躍した、当時を代表する造園家の一人、小川治兵衛(植治)が庭園手入れに加わったことが棟札に記されている。
2008(平成20)年から4ヶ年をかけて京都市が本格的な修理を行い、
2013(平成25)年には、この史跡を長年守り続けてこられた(財)岩倉公旧蹟保存会から京都市が所蔵品も含めて寄付を受け、保存していくこととなった。
岩倉具視の遺品類などを収蔵するため、1928(昭和3)年に建設された。
扉の上の「対岳文庫」と書かれた扁額は、昭和4年春に具視の孫である東伏見宮周子が揮毫したものである。
「対岳」とは、具視の雅号で、岳は比叡山を指し、その向かいに住んでいるという意味合いである。
無料喫茶あり。
始まった
岩倉駅へと戻ると、
また
『きらら』がやって来た。。