大学時代に観世流能楽師の関根祥六さんの楽屋にお邪魔する機会があったんやけどね、そん時に関根さんに訊いた。
「舞台に立っている時に、お客さんの事はどれくらい意識するもんなんですか?」
「全然、意識しない。」
「え?全然ですか。」
「そう。鏡板の松のカミにお見せしているだけだね。お客は、たまたまそれを覗き見しているだけ。」
唱玄さん
の『祝詞』
を唄っているとその時の会話を思い出す。
ウタってもともと「人間」に聴かせるためにあるんじゃない気がする。言葉が届かないところにいる「何か」に語りかけるから、話し言葉よりも大きな音と旋律が必要になるんじゃないんかな。よっぽど遠いか、よっぽど近い「何か」に。