プーチン強権政治の顛末は | NPO法人生涯青春の会

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NPO法人生涯青春の会の会報及びイベントの紹介をいたします。
ここに収録する記述は、会報、エッセイ「癒しの森」、高齢者情報、日々の映像のまとめなどです。


1、報道“プーチン首相暗殺の計画”
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120228/k10013333601000.html
2、チェチェンニュース#386 再び「チェチェン人のテロ」“プーチン首相暗殺の計画”?
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20120227
3、プーチン氏暗殺計画?大統領選後に車列狙い治安機関が未然に防止(産経)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120227/erp12022718500005-n1.htm

来月4日のロシア大統領選挙で最有力候補となっているプーチン首相の暗殺計画が進められていたとロシアの政府系テレビが伝え、現地では、プーチン首相の存在感を高めるために政府が意図的にリークしたのではないかという見方がある。

 日々の映像は1997年1月かの記述である。プーチン氏が首相なったのは1999年であった。プーチン首相のチェチェン対策は激しいものであった。
報道2の一部を引用しよう。
 「プーチンは、全体的な状況から考えれば、いつチェチェン人に暗殺されても不思議ではないとも思う。1999年に首相になって以来、彼の指揮によって10万人以上のチェチェンの民間人が殺されてきたのは歴史的な事実で、彼ほど恨みを買っているロシア人もいないだろう。」
 プーチン氏は普通の民間人には戻れないのだ。日本流に言えばプーチン首相は「畳の上で死なない人」でないかと思う。この認識に疑問を関する人は、上記2の報道を開いてください。