ヨガは

「あなたが自分だと思っているものは、すべてあなたではない」

と教えてくれます。

 

私たちは、いろんなものを

「私のものだ」と勘違いすることで

失うことへの恐れを感じたり

それを守るために、他人を攻撃したりしてしまいます。

 

例えば、お金、家、家族

価値観や判断、選択、行動

はたまた「体」や「人生」とか。

 

でも、こういったものは実際

やってきては、去っていくもの

死ぬ時にはぜんぶ手放していくものだと

みんなどこかでは、分かっているはずです。

 

どうしてそれを自分と同一視してしまうのかと言うと

それが思考(自我)のはたらきだからです泣き笑い

 

なんでも「私のもの!」にしちゃう。

私の考え、私の選択、私のお金、私の体…

 

それは、この社会の中である程度

みんなとコミュニケーションしてやっていくには

必要な機能です。

 

でも、その考え方が行きすぎると

「失う恐れ」が強くなって

攻撃的になったり

”守るため”の人生になってしまいます。

 

恐れを感じたときに、ぜひやってみてほしい

「私はずし」がありますニコニコ

 

私のお金が減る→お金が移動してる

私は思う→ここに考えが浮かんだ

私は悲しい→ここで悲しみが沸いている

私が選んだ→選択が起こった

私がやった→行動が起こった

私が生きている→体が呼吸している

 

こうやって、主体から「私」を外すのです。

 

例えば「歩く」ときだって

実際、何も考えがなければ

ただ「足が動いて移動が起こっている」だけです。

 

だけど、それを言葉にしたとたんに

「私が歩いている」と思ってしまう訳です泣き笑い

 

これってめっちゃ面白いと思いませんか?ニコニコ

 

思考がはたらくとき

そこにはいつも「私」がぴったりとくっついてきます。

 

でも本当にそれは

「私」が起こしていることでしょうか…

 

よぉ〜く観察してみてください指差し

 

ぜんぶ、自動的に、勝手に起こっているのではないでしょうかはてなマーク

 

だって、「何かをしよう」っていう考えだって

自分で考えて起こしたわけじゃないんです泣き笑い

 

ものごとは、「私」に起きてるんじゃない。

「私」が起こしてるわけでもない。

 

ぜんぶ、流れの中で「そういうことになっている」だけにっこり

 

そのことに気づくと

深刻に悩んだり、怒ったりしていることが

だんだんアホらしくなってきます歩く

 

軽やかにに、気楽に過ごせばいいんですルンルン


 

「これでいいのだ〜」とニコニコ

 

すべての束縛ある欲求を手放して、切望から自由に、

「私」や「私のもの」という限られた感覚を持たずに動き回る

 

その人は、平和を得ます。

 

バガヴァッドギーター 第2章71節

 

 

 

 

 

 

ときどき、瞑想に興味を持たれる方が

「どうやったら無になれますか?」

とおっしゃることがあります。

 

「瞑想=無」

 

これって、なんとなくあるイメージですよね。

 

ですが、「無」」という状態は

そもそも、存在しません。

 

もし「無」を認識してしまったら

「無」が「ある」ことになってしまうので・笑

 

強いていうなら、誰でも熟睡中に、無にほとんど近い

「何も現れていない」状態を体験しています。

なので、無になりたいなぁというときは、寝るのがいいと思いますふとん1

 

 

瞑想は、心(思考)の動きを鎮めることです。

 

「意識」という矢印を

どこか一点に集中し、それを長く深く続けることで

やがて心の波が完全に静まります。

 

そのときに訪れるのが

澄み切った、濁りのない、純粋な「存在している」だけの状態です。

 

「心」(思考)というフィルターがなくなったとき

 

この世界はすべては繋がっていて

「私」も「あなた」もない

ただひとつの無限の存在だけがあるんだと

 

体験をもって知ることになります。

 

それを

 

「サット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(限りのない至福)」

 

ヨガでは、こんなシンプルなことばで表現されています。

 

瞑想の深さ(持続)には段階があります。

 

ちょっとリラックスしたいな〜という時に

5分間、ゆったりとした呼吸に意識を向けるだけでも

有効なストレスマネジメントになります。

 

 

そして、瞑想状態に入っている時間が

日常の中で長くなってくると

 

人生に対する恐れや不安というものが消えていったり

「自分」と「他人」という境界の感覚が薄くなっていったり

色々なことが、瞬時にわかるようになったり

老けるスピードが遅くなったり…

 

人にもよりますが、いろんな変化が起こってきますにっこり

 

もし時間に余裕があるなら、座って瞑想するのもいいと思うし

 

日常が忙しい人なら、生活のあらゆる場面で

「1つのことに集中する」

自分の思考や感情に「気づく」

 

これをなん度もなん度も繰り返していくことで

 

同じように瞑想の段階は進んでいくと思います。

 

ヨガや瞑想は、

「無」になるためにするものでも

特別な神秘体験をするためのメソッドでもなく

 

「しあわせに生きるための」の方法ですニコニコ

 

しかも、内側にある「しあわせ」には終わりがありません。

 

しあわせからの、もっとしあわせが続いていきますニコニコ

 

まるでドラゴンボールの悟空が

どんどん進化していくみたいに昇天

 

自分自身の中に喜びがある人、自分自身に満足していて

自分自身の中に満たされているであろう人は

その人にとって成すべき事というのがありません

 

そのような人にとっては、この世界において、行いをすることや

しないことによって叶う目的がまったくありません。

また、そのような人は、どんな人にも依存していません。

 

バガヴァッドギーター 第3章17、18節より

 

 

瞑想は、側からみれば

何もしていない

つまらない

退屈

平穏

 

そんな風に見えるかもしれませんが

 

実際に長く座っていると

内側では様々なことが起こってきます。

 

お金ゼロ、持ち物ゼロ、移動ゼロでもできる

楽しい遊びですw

 

 

続けていれば、気づいたときには

以前とは全く違った自分になっているかもしれませんニコニコ

 

 

 

Om

purnamadah purnamidam

purunat purnam udacyate

purnasya purnam adaya

purnam eva avasisyate

om santih santih santih

 

オーム

あれが満ちている

これが満ちている

満ちたりたものは、満ち足りたものから現れている

満ち足りたものを、満ち足りたものから除いても

満ち足りたものだけが残る

オーム シャンティ シャンティ、シャンティ

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 ヨガ哲学ヴェーダーンタを学び始めてから

すぐにおぼえた

大好きなマントラのひとつ

「シャンティ・マントラ」ですニコニコ






 

 

きのうは節分でしたね。

我が家は子供がいないので、イベントごとにはうとい方なのですが

なぜか節分はちゃんと鬼の仮面をかぶって

豆まきをする夫婦です。

 

さて、そんな”仮面”の話から

むりやり

ヨガのお話に繋げてみようと思います。笑

 

 

私たちは日々、いろんな”仮面”をかぶって

他者と関わりながら、生活しています。

 

あるときは、上司や部下という仮面

あるときは、妻や母、娘

あるときは、先生や生徒

またあるときは、お客さん、隣人、友人‥

 

そして、その中で

いろんな出来事が起こり

いろんな会話が起こり

いろんな感情がわき

いろんな考えが浮かんできます。

 

 

ヨガは、そんなふうに自分の中で沸き起こってくる

”思考”や”感情”の波を静め

「いまここ」に戻ってくる練習です。

 

ヨーガスートラ1-2に、こうあります。

 

「ヨーガとは、思考の動きを収めることです」

 

 

それは、”仮面”をかぶる前の

「何者でもない素のわたし」に戻る時間。

 

肩書きも、経歴も、持ち物も、

身体の特徴も、性格も、年齢も関係ない

 

呼吸、身体の感覚…

 

「いまここで起こっていること」だけに意識を集中することで

 

自分の役割、人生の状況、考えのクセ‥

そういった、自分にストレスを与えてくる思考から、自由になることができます。

 

ヨガをした後に「気持ちいい」と感じるのは

体を動かした、という理由だけではなく

そんな日常のストレスから解放されて

 

「ありのままの自分」を体験しているからかもしれません。

 

 

そして、ヨガのクラスにいる時間だけではなく

日常の中でも、同じことができます☺️

 

歩いているときは、足の裏の感覚に気づく…

運転しているときは、ハンドルを握る手の感触…

食事をしているときは、舌や喉の様子…

 

あるいは、イラっとしたり、モヤっとしたときに

その感情、そのときの呼吸に気づいてみる。

 

そんな、「気づき」の時間が増えることで

 

自然と考えがごとが静かになり

心は軽くなっていきます。

 

ストレスを感じたときや

ものごとが上手くいかないと感じるときほど

 

考えることをいったんやめてみて

「いま、ここ」にとどまってみる。

 

 

そうすると

自分が悩んでいたことは、そんなに重要でなかったことに気付いたり

行き詰まっていたことが、なぜかスムーズに流れ出したり

ふといいアイデアが浮かんできたりするかもしれません。

 

「自分の力でなんとかしよう」とするよりも

大きな流れに身を委ねてみる‥

 

 

「イーシュワラ(自然の秩序に)・プラニダーナ(ゆだねる)」

 

ヨガの「したほうがいいこと」の教えの中に

そんな言葉があります。

 

それは、社会の中で言われてきたこととは、逆のことかもしれません。

「努力しなさい」

「しっかり考えなさい」

「結果を出しなさい」

「あなたの責任です」

 

 

でも、ほんとうにそうでしょうか‥。

 

お天気も、潮の満ち引きも、心臓の鼓動も

 

誰も動かしたり、止めたりは出来ない‥

 

ぜんぶ、なるようにしかなっていないにっこり

 

 

仮面を外して

過去や未来に心を囚われず

自然な流れに身を任せる心地よさを覚えていくほど

 

「大丈夫だ」って、心から言えるようになるかもしれませんニコニコ

 

これまでも何とかなってきたように

これからも何とかなります☺️

 

気楽に

楽観的に

そして、しあわせに!

 

「何かがあって安心、満足」

 

そんな自分から

 

「何もなくても、私がしあわせほんわか

 

そんなふうになれたら、人生をいつも

軽やかに楽しむことができますキラキラ

 

ヨガの練習が、そんなふうに

私たちの日々を満たす手助けになれば

嬉しいです☺️

 

 

興味のある方は

ヨーガスートラをかんたんにまとめているサイトを見つけたので

リンクを貼っておきます🔽

(難解な言葉がいっぱい出てきます。まあり深刻にとらえないでくださいにっこり

 

 

 

 

 

 

 

私は幼い頃からいつも

 

将来のことを考えなけれなばいけない

もっと良い成果を治めなければいけない

他人からよく思われなければいけない

 

そんな空気の中で育ってきました。

 

何を頑張っても、達成しても

「良かったね。はい。次。」

 

まるで、満足することが許されないかのような

世界にいました魂が抜ける

 

だから、ヨガに出会って

「自分にくつろぐ」

「リラックスする」ことを覚えて

 

せっかく幸せや満足感を感じていても

 

またすぐに昔の思考のくせ

 

「もっと良くならないと」

「成長しないと」

 

そんな

「向上心のないのはダメ人間だ」

 

っていう考えが

すぐに浮かんできていました。

 

これってほとんど

現代人にかけられた

呪いみたいなものじゃないでしょうか(笑)真顔

 

いつも、忙しさや、「頑張る私」という

ドラマを作りだそうとする思考ちゃん。

 

可愛いですね爆笑

 

これを悟り界隈では「エゴの逆襲」と言うらしいです(笑)

 

多くの人が通る道なのでしょうね。

 

 

別に何かをしていはいけない、ということではなくて

 

自然にやりたいと思ったことは

自然体で取り組めばいいんです。

 

だけど、意欲が湧かなかったり

今まで楽しかったことがつまらなく感じたり

人付き合いが面倒に感じたり

家から出たくないなぁと思ったり

 

そんな時期もあって当然ですくるくる

 

これを「鬱」だなんて言葉にすり替えようとする人たちもいるけど

 

ただ「思考」の働きが静かになっている状態。

 

それは異常でも怠惰でもありません。

 

だから、そのまんまでいい。

 

放っておいても

お腹は空くし、トイレも行くし、眠くなるし

 

ちゃんと生きてる。

 

そんな状態を「このままではいけない」と

自己否定し始めるから、苦しくなる煽り

 

むしろ、その考え方で、心の病になっていくのかも。

 

世界をよぉく見渡してみると

 

動物も虫も花も雲も

 

ただそのまんまですカメヒヨココスモス波

 

赤ちゃんは、ただ寝てるだけで

全ての人を癒す力を持っている。

 

どこにも向かおうとしていなくても

 

勝手に、行くべき場所に

あるべき姿に

運ばれていくように

 

世界はできているようです流れ星

 

どんな状態も

どんな感情も

 

「ただそうなんだ」と

眺めてあげるだけで

 

苦しみも不安も焦りも

泡のように消え去っていきます🫧

 

 

無理に、何かを変えようとしなくて大丈夫にっこり

 

どうせそのうち、何かが起こるんだし

何も起こらなくても、それでいいんだからほんわか

 

 

 

 

思考というやつは

いつも「ないもの探し」をしていますうさぎ

 

というか…

「ないと信じている」のが思考さんですうずまき

 

お金が欲しい

時間が欲しい

自信が欲しい

幸せが欲しい

健康が欲しい

安心が欲しい

 

私たちは、人生で色んなものを求めて

それを手にいれるために、頑張ろうとします。

 

だけど、その前提にある考えは

「私はそれを持っていない」

という信念です真顔

 

その考えは、思考さんが生み出します。

 

けれどほんとうは、すべてが自分の中にあります。

 

世界は、自分の意識の投影ですから

自分がないと思わなければ、すべてはすでにありますスター

 

 

求める=「ない」と信じている

 

ないと信じているから苦しくなるし

手に入れたくて執着します。


 

悟りだってそうです。

「悟りを得たい、エゴを手放したい」

 

その執着が生まれるのは

「自分はまだ悟っていない」と信じているから生まれます。

 

私もあるときそれに気付いたんですよねww

 

気づいてからは、もう本当にリラックスしています。

 

なーんだ、これで良かったんだ。

何もあくせくもがく必要なかったんだと…昇天

 

どうやってリラックスするのかはてなマーク

どうやって「ないない思考」をやめられるのかはてなマーク

 

「今にいること」。

 

たったこれだけです。

 

幸せも、安心も、豊かさも

時間も、悟りも、覚醒も

 

すべて「いまここ」にありますキラキラ

 

何も探さなくていいんですおねがい

 

 

私は昔から

 

断ることが本当に苦手でした。

 

幼い頃から

「期待を裏切りたくない」

「嫌われるのがこわい」

「場の空気が壊れるかも‥」

 

そんな気持ちをいつも抱えながら過ごしていたので

大人になってもまだその考え方の癖が抜けませんでした。

 

だけど、最近は、少しずつ断れるようになってきました。

 

わがままかもしれないけど

勇気を出して

予定のキャンセル

お誘いのお断りなど…

 

 

その中で分かってきたのは

 

「あれ?断っても誰も困らんやん」

「嫌われるどころか、むしろ感謝された」

 

そんな経験が多いことです。

 

自分が気にしていることなんて

相手はなーんも気にしてなかったりするんですよね泣き笑い

 

ほんと、一人コントニヤニヤ

 

一人で妄想して

一人で怖くなって

一人でストレス溜めてた。

 

もし相手が何か思ったとしても

それは相手の感情であって

私がコントロールできることでもないし。

 

やってみると、「意外とこんなもんか」ってこと

たくさんあるんでしょうね照れ

 

 

他人のご機嫌をとることよりも、まずは

自分の気持ちに誠実な、行動を選ぶこと。

 

自分を雑に扱っていれば

他人からも雑に扱われるかもしれないし

 

自分に誠実でいれば

きっと、他人からも誠実に扱ってもらえると思う。

 

他人は自分の内側の写し鏡だからね。

 

 

小さな経験を積み重ねて

ゆっくりゆっくり

自分を縛っている思い込みから

自由になっていきたいですねーニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

他人が気になる。

 

社会で生きている人なら

きっと多くの人が抱えている悩みだと思います。

 

人にどう思われるかが怖くて、ビクビクしてしまう…

他人から評価されたくて、見栄を張って疲れてしまう…

あの人はあんなにやってるのに、私なんて…。

 

そんな自分から解放されて

他人の目なんて気にせずに

イキイキと生きたい!

そう思う方にとっておきの方法をご紹介します。

 

それはズバリ

 

「自分に興味を持たないこと」

 

ですにっこりにっこりにっこり

 

他人のことが気になってしまうというのは

「自分のことを考え続けている」からです。

 

自分で自分を評価し続けているから

他人からどう思われるのかが気になる。

他人の動向がついつい気になる。

 

 

だから、「自分」という人間に興味を持つのをやめて

 

好きなことや

今目の前のことに

ただ没頭していてくださいほんわか

 

私は、以前は、ものすごく気にしいでした。

プライドが高く、自尊心が低く、比較ばかりして

もう、常に他人の存在、他人からどう思われるかが気になって仕方ない凝視

 

考えすぎ病だったのですw

 

 

でも今は、自分への興味がすっかりなくなってしまいました爆笑

 

ほんっとうにラクです星

 

自分に興味がなくなると、他人のことも気にならなくなってきます。

 

人が何をしていようと、何を言おうと

「へぇ、そうなんですね。」

 

それ以上でもそれ以下でもなくなるにっこり

(しあわせならそれでいい、と思う)

 

以前なら傷ついていたような、誰かからの言葉にも

「自分に言われた気がしない」って感じになります。

 

なんせ、自分に興味がないもんですから泣き笑い

 

 

自己探究の末にわかったことは

 

「自己」を手放すと

無条件のよろこび、楽しさが溢れてくるということキラキラ

 

自然体でいられるということやしの木

 

目の前のことを、ただしてればいいのですニコニコ

 

それを、誰かにアピールする必要も

認められる必要もありません!

 

ただ黙々と、淡々と

生きていれば、それで良いのですキラキラキラキラ

 

あなたは、素晴らしい人でも、劣った人でもありません。

 

あなただけが、この世界にいるのですキラキラ

 

 

 

 

集中している状態と、リラックス状態は

一見ちがうようで、同じです。

 

リラックスできていない状態というのは

過去や未来に心を奪われているときですうずまき

 

後悔したり、評価を気にしたり

将来の心配をしたり…

 

今自分のしていること(体)と

あたまの中(心)が別々になることで

 

幸せや安心

よろこびから

遠ざかっていきます。

 

”心ここにあらず”というやつですね歩く

 

日常のどんな場面でも言えることです。

 

例えば、体はご飯を食べているけど

あたまの中は、テレビから流れてくるニュースのことを考えてる

 

体はお風呂に入っているけど

あたまの中は、仕事のことを考えてる

 

体はヨガをしているけど

あたまの中は、食事のことを考えてる

 

これではなかなか

本当のリラックス状態にはなれません雲

 

 

こどもが授業中にうわの空になるのは

授業がつまらないからです魂が抜ける

自分の意思とは無関係に、学校に入れられ

興味のない知識を詰め込まれる…

 

あたまの中が、妄想でいっぱいになるのも

無理のないことです真顔

 

でも、わたしたち大人は違います。

仕事も、家庭も、趣味も

自分で選んでいるはず。

 

自ら進んでその場所にいるにも関わらず

あたまの中で

過去や未来のことを考えてる状態というのは

 

自分の選択(今ここにいること)を

否定しているのと同じことになります。

 

「なんかもっと楽しいことないかな」

「早く終わらないかな」

「あのとき、あぁすれば良かった」

 

思考はいつも、「今」を否定し

別の場所に向かって私たちを連れ出してしまいます。

 

それが、自己否定や不満足につながっていくのです。

 

 

じっさい、私たちが体験できることは

「今、この瞬間」にしかありません。

 

五感や感情を感じること。

 

身体感覚は、0.1秒前でも0.1秒後でもなく

究極の「いまここ」。

 

体を通してしか

何も体験は出来ません。

 

食べるときは、味や匂いを感じ

お風呂に入るときは、お湯の温かさを皮膚で感じ

ヨガするときは、呼吸や身体感覚を感じ

歩くときは、足の感覚に気づく

 

そうやって、

今自分の”体”がしていることに意識を集中していくことで

 

少しずつ心は満たされ

執着や後悔といったものも

自然と少なくなり

 

いつも心はリラックスしていられます。

 

幸せや、やすらぎを得るのに

「何を」しているか、していないかは関係ありません。

 

自分の状態が「どう在るか」だけです。

 

ソファでごろんと寝転んでいても

頭の中が考え事でいっぱいなら休息にはならないし

 

ハタからみれば猛烈に何かをしている人でも

没頭しているとき人は

完全なリラックス状態にあります。

 

そういうときに

ものすごい力が発揮されたり

インスピレーションがわいてきたりする。

 

「今を生きる」という、ちょっとカッコつけで

ありふれた言葉が

 

ストンと腑に落ちるときが

やってくるかもしれませんニコニコキラキラ

 

 

ヨガは

 

「あなたが自分だと思っているものは

どれも本当のあなたではない」

 

と教えてくれます。

 

「あなたはどんな人ですか?」

と聞かれたら、どんなふうに答えますか?

 

職業、立場、年齢、容姿…

それらは、思考があとから貼りけたラベルでしかないし

 

「私の性格」なんてものも本当はありません。

 

時代、文化、環境、人間関係の中で

自分が無意識に演じる役割というのは

ころころ変わるものです。

 

例えば私なら、生徒さんの前にいるときの私と

夫の前にいるときの私と

両親の前でいるときの私

 

せんぶ、違うキャラクターが出てきます。

 

ご飯屋さんに行けば”お客さんらしく”振る舞うし

友達の前では”友達らしく”振る舞っています。

 

わざとそうしようと思ってるのではなくて

自然にそうなってしまう。

 

誰だってそうではないでしょうか指差し

 

みんな、多重人格であたりまえ笑い


例えばSNSをひらけば、他人の人生が

キラキラしているように見えるかもしれないけど

それは多くの人が、「人生が充実している私」を

無意識に演じているっていうだけの話です。


思春期の頃は、「どれが本当の私なんだろう?」

なんて考え込んだりしたこともありましたが(笑)

 

どれも私の一部とも言えるし

どれも本当の私ではないとも言えます。

 

本当の私は、何者でもありません。

それらすべてに気づいている人

見ている人

何もしてない人

 

それが、ほんとうの、純粋で、まっさらで

姿形もない、自分です。

 

だから、自分をそんなに分析しなくていいキラキラ

 

自分がどんな人間なのか

どんな性格なのか

そんなものは、あってないようなものです爆笑

 

明日になったら全然ちがう気分になってるかもしれない。

 

そういうものです。

 

自分アピールなんて、しなくていい。

 

自然体でいればいいんですにっこり飛び出すハート