永らく仕事の為、塾に来られなかった敦史塾長が復活しました、今まで地方の仕事が多くなかなか、稽古に参加できませんでしたが、会社の上司に相談して、自宅から通える職場に変えてもらったようです。

10代の終わりには、空手道場の息子という事で、鳴物入りで入ったキックボクシングの道、タイトルマッチ直前まで、勝ち抜き後一本のところでくも膜下出血の為、チャンピオンを逃しました。空手時代は中国の武林大会に参加したり、士道館のチャンピオンと死闘を演じたりとそこそこ、活躍をしていましたが、結婚し仕事が忙しくなり青春を賭けてきた格闘技の世界から一時離れざるを得ない状況でした。

「やはり、俺には戦いしかない」

40代を前にして、再び戦いの舞台に帰ってきたようです

これからの戦いは、いかに松栄塾の後継となれるかの勝負となります、先輩の皆様、どうかよろしくお願い申し上げます。押忍