お気楽極楽ふろっぐです。
毎日、なぜかわからないけど
そんな風に生きてます。
時々、時間を持て余し
哲学的な事を考える傾向にあります。
これは幼少期からの癖みたいなもので。
テーマは「時間とは何か?」
「人はなぜ生きるのか?」
みたいな。定番。
一時期、皆が直面するであろう、な人生の辛苦しい時期もとりあえず乗り越えて、無意識に望んだ現状を今生きているのだと理解してます。
その日暮らしでまぁまぁ、時間はある方。
「働く」とは「ハタをラクにする事だ」と我慢に我慢を重ね、言いたい事も主張する事もせず、働き通しだった親の呪縛から抜けキレず、時に「こんな猫みたいな生活してていいんだろうか?」と
自問自答したり。
「良いのです」
教育なのか、何なのか、無駄な事はいかん、目的、目標を持って行動しろ!とどこかから聞こえてくるようで。
「だから良いんだってば!」
そんな気持ちが特に最近芽生えて、また悶々としておりました。
しかし。
今、なんとか生きられてるし。
子供の頃から勤勉は美徳、遊興は怠惰、という刷り込みにより、罪悪感を持ちながら遊んできたわけだが、周りに遊んでばかりの人が楽しそうにしてるのを目の当たりにし、
「それ(勤勉云々)って本当?」
遊ぶのは無駄じゃない。
その後のエネルギーになる。
遊びに限らず、一見無駄に見えるもの、こと、は
正にそれ自体が人生。
だって、何やってたってみんな最後はこの世からいなくなるわけで。
私が人知れず自然にやってる、「バイオリンでこれをこう表現したい」なんて欲求も、それがお客様からお金をいただいて舞台で弾く、なんて事がなければ無駄っちゃあ、無駄だわな。
いいんだ、人が私を指差して笑おうと、何だろうと。
自分自身の純粋な希求からの行動であれば、それはその人にとって無駄ではなく、意味ある事なのさ。
…という結論に達したので、今日も己の心に従い、損得勘定なく、意味づけせず子供のようにやりたい事やろうと思うのでありました。
だって、大体楽しい事は無駄な事。
無駄な事、しよう。