陸上自衛隊高等工科学校の真実を教えます。 | 元・自衛隊員高校生の所見

元・自衛隊員高校生の所見

自衛隊時代に 当直幹部のパンツを頭に被ったヒッキーです!
ヒッキーとはいいますが、引きこもりではなくヒッチハイクで北海道から東京に行くほどの外交志向ナリ
趣味は腕立て伏せ・サーフィン・ピアノ・コマネチ...

どうも!今日は前置きなどせず、藤川球児がカブレラに投じた伝説のストレートの3級目くらいのストレート具合で入ります。(この下りが 既に岸のカーブ並みである)


陸上自衛隊高等工科学校。自分がここを志したのは中学一年生。 航空自衛隊の戦闘機パイロットになりたくて、地元の地方協力事務所を訪れて、この本来の夢であるパイロットになる為の学校に「航空学生」がある事を知る。そして、そこに至る過程の一つに 普通科高校ではない、「陸上自衛隊高等工科学校」という神奈川は横須賀にある伝説の高校がある事を知るのであった。その翌日はダウンロードした起床ラッパの着信音で起きて、手書きの日の丸に敬礼した。そしてまた寝た。
その日から日常生活の全ての指針は この学校への入学に向けられた。
そして受験前 なんだかんだ言って地元の進学校に行くことになっていた。
高校から親元を離れるのは早すぎるという判断や 航空学生に入るには 勉学も必要との判断からだった。しかしこの高等工科学校の受験は他の学校よりも数ヶ月早くお試しで受験してみた。無論 緊張も何もなく、ただ目の前の問題を持ち合わせの知識で持って解いた。一次試験の結果は合格。そして一応ということで二次試験へ向かった。二次試験の倍率は非常に高い。厳しい身体検査と面接試験だ。噂によると目をそらしたらもう落選と思っていいくらい、試験官に強い気持ちを示す場であるのだ。
二次試験 結果は、、、合格!
さすがに驚いた。いや驚いた。
そして、気持ちが揺らぎ 自分のお得意の
「長い目で人生を見れば〜」
が出た。この考えに至ったら最後 理性と情熱では 理性の完敗だ。
誰もできないような経験ができると そう思い入校を決意!そして、一応 進学校も受験し 合格したのだった。

入校手続きが終わり 家族と過ごすわずかな時を楽しんだ。この期間は 心も体も宙に浮いていた。感じたことのない優越感の中で胸を張って街を闊歩していた。
「俺は日本で数少ない精鋭の一人なんだ」
と酔っていた。
そして 学校の下見に行った。
大きすぎる!隊舎(宿舎)が5個も並んでいる。
この下見については深く言及しないでおく。

そして迎えた出発の日。
寂しさなどは微塵もなかった。
一人っ子として育ち 親とはとびきり仲が良かったが こうして横須賀に旅立つことに誇りを感じて 肩掛けカバンを背負い 荷物検査の門をくぐった。

羽田に到着し、京急線で横須賀へ。
本州の空気は あまり吸ったことがなかった。 片栗粉とウスターソースを混ぜたような匂いがした。
そして、ホテルで同期と一泊した。
この夜は寝なかった。 寝られなかった。
横須賀の海がホテルから見えた 北海道のそれとは灰色味が違ったように思える。
修学旅行の夜の97.5倍は胸が踊っていた。なぜなら 我々は明日より国家公務員となるのだから。

着校。
7号隊舎と呼ばれる 1教(第1教育隊:一学年)の隊舎のホールで名前を確認し 区隊ごとに分かれた。
そして、対番(自分のお世話役の先輩)に連れられ自分の居室へ。
二段ベッドが3個部屋に置いてある。
白しかない。
そこでジャージに着替え、外被を着て 身体検査及び衣服の採寸へ向かった。
弁当を食べ、縫い物をして、隊舎を回って
敬礼を教わり 長い1日が終わった。


ここまでまったく、高等工科学校の真実と呼べる部分に触れませんでした。 もしご希望があった場合には続編を出したいと思います。
さて、では入ります。
簡単に言えば 最初の2ヶ月はひたすら 地獄を見せられます。
風呂から上がると なにかと文句をつけられ 桶を置き区隊のみんなで 腕立て伏せ。
汗ビチョになり 居室へ帰って アイロンがけ、洗濯などをします。
風呂は5分を与えられたらラッキーです。
飯は3分。
ジュース、お菓子、ケータイ類  もちろん厳禁です。
つねに靴はピカピカに、服はシワをなく着用。ベッドにシワがあれば ベッドのマットごと10mくらい吹っ飛んでます。
これが高等工科学校 最初の2ヶ月の10分の1くらいの部分です。
指が疲れて着たので今日はこの辺で、、、
また次回 続編を出します!
なにか反応をいただけると、励みになります!どうぞ宜しくお願い致します!