昨日は6月24日は父の命日でした。


もう40年前になります。



月日が父の面影や声の記憶を

薄れさせてしまわないかと、ずっと心配してました。


だけど、憶えているもんです。

ところどころですけどね。


私がいちびった時に

笑いながら「こらっ」って言った声と顔。

いちびったとは、関西では調子にのったとかふざけたって意味かな


父は習字を教えていたので、家でもよく書き物をしていました。

夜、スタンドの下でめがねをかけて書き物をする父の顔はよく覚えています。


あと、父は家の誰よりも早起きで、

早くから犬の散歩に行って、じゅうしまつのエサをかえてやり

植木の世話をして、庭の水道で歯磨きしてました。


時々、私も早く起きた時にじゅうしまつのエサかえを手伝いました。

家の前の路地でエサをひとつの入れ物からもう一つの入れ物に

移し替えながら、その間をフゥーっと息をかけて、粟のカラをふきとばすのです。

それを狙って、いつもスズメが来ていました。



ああ、なつかしい。

思い出したらもっともっといっぱい思い出があります。

書ききれないくらいあります。


よかった・・・・・・・・。



命日になると、

どうして父は死んでしまったんだろう。

もっと生きていてくれたら、私の人生もきっと変わっていただろうになぁって

思います。

特に、気持ちのしんどい時は思います。

生活のしんどい時も思います(笑)


勝手ですよね。

きっと、生きていたら、反抗したり

うるさいって思ったりしていたに違いないのに。


だけどやっぱり

いてくれたら、きっと違った人生だったに違いないと思います。



親の言うことは聞くもんだと

こんなに大人になってから思います。

ちゃんと見ていてくれてるのは親だけです。

本当に心から心配してくれてるのも親だけですもん。

あ、私の個人的意見ですからね。

父は最高に優しくて、威厳があって怒ると怖かったです。


父は清志郎さんと同じ58歳で亡くなりました。


いつまでもあると思うな親と金

母がよく言ってましたわ。