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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

その五 ①214〜288

昨夜と今朝、出勤前の時間を使って、第一部第一篇20〜25まで読み進んだ。第一部の第一篇まで読んだわけだ。20と21とはべズーホフ伯爵の臨終を、22〜25の舞台はアンドレイの父ニコライ・ボルコンスキー公爵の領地にアンドレイ夫妻が帰郷した場面である。

 

べズーホフ伯爵の遺産をめぐって、遺書を書き換えさせようと企んだワシーリー公爵だったが、実際に伯爵が亡くなってしまうと「どれだけわしらは罪なことをし、どれだけ嘘いつわりをやってるんだろう、それもみんななんのためなんだ?(中略)何もかも死ねばおしまいだ、なにもかも。死というものは恐ろしい」とピエールに向かって、いまさらながら真実じみた告白をする。

 

彼の腹の中を知る読者からすると、その言動はいささか芝居がかってさえいる。ドルベツコイ公爵夫人までもが涙でピエールの頬を湿らせながら「精一杯お泣きなさい。涙ほど気持をしずめてくれるものはありません」と物静かに語る有様である(もっとも、翌朝になると彼女は、巨万の富を手にしたピエールに恩着せがましくも、釘を刺すことを忘れてはいなかったのだが。「あたくしがいなければ、いったいどんなことが持ち上がったか」。つくづく抜け目のない人物であるが)。

 

ワシーリー侯爵とドルベツコイ侯爵夫人という自らを省みない人間は、側から観察すると楽しい存在である。金の匂いに誘われて厚顔無恥な態度をとることも、死者を前にして殊勝な態度をとることも、彼らにとってともに真実の姿である。金は欲しいし、知人が死ぬと死は恐ろしく感じられ、悲しくなると涙を流す。当てにしていた金が自分の手元に転がり込んでこないと激昂したり愕然としたりする。父親が死んだ翌朝にぐっすりと眠り込む、どこか超俗したピエールとの対比が際立つ。

 

舞台は、ボルコンスキー家に移る。出征を前にしてアンドレイは妻のリーザを父親のニコライと妹マリアに託す。ここでも、アンドレイとリーザの間がうまくいっていないことが話題となる。父ニコライから、夫婦仲が「うまくいっていないな、え?」と見抜かれる。そして、リーザの口からふたたび語られる「アンドレイがすっかり変わってしまったこと」。何が彼を変えてしまったのかは語られていない。

 

アンドレイがマリアに向かって、妻を責めることはなにもないと断言する一方自分は「幸福」でないし、妻も「幸福」ではないと言い切る。その直後、マリアの額にキスをするアンドレイが見つめる先は彼女ではなく「闇の奥」であった。「兄さん、兄さんがもし信仰を持っていたら、兄さんが今感じていない愛を授けてくださるように、神さまにお願いして、その祈りは聞き届けられたでしょうに」。マリアの言葉を言下に否定するアンドレイ。彼が口にする「幸福」の内実も一切語られない。彼は何を求めているのだろう。そして、彼は妻と家族を残して戦場に向かうのだった。

その四 ①152〜214

第一部第一篇14〜19まで読み進んだ。ロストフ家におけるナターシャの名の日の祝いの場面の裏側では、ピエールの父にあたるべズーホフ伯爵が息を引き取る寸前であった。

 

なぜ、ロシア人はボナパルトと戦うのか? という話題は、ロストフ家の祝宴においても話題であった。

「『われわーれは最後の血の一滴まーで、戦わなけれーばなりませーん』連隊長がテーブルを叩きながら言った」。

ニコライは言う。

「ロシア人は死ぬか、勝つか、どちらかでなければならないと、僕は信じます」。

 戦争の話に辟易とした伯爵が叫ぶ。「ねえ、うちの息子が行くんですよ、アフローシモワさん、息子が行くんですよ」。上流社会で「おそろしい竜」とあだ名されているアフローシモワの返答は、なるほど「考え方が率直だし、態度がざっくばらんで飾り気がない」だけある。人間の生死を含めてどこで死ぬかと言うことも神様の思し召し次第だと。神様だけが知っていると言われれば、神学以外のほとんどのことについては、話し合う余地はなかろう。

 

 続いて、伯爵の可憐なダンスの腕前の場面となり舞台はべズーホフ伯爵家へと変わる。莫大な資産の行方をめぐって、伯爵の三人の娘(とりわけ長女)に組みするワシーリー公爵と、おこぼれにあずかろうと目の色を変えるドルベツコイ公爵夫人が、死を前にした人物に取り入ろうとしている。そして、遺産のことなど頭の片隅にもなかったピエールのもとに、莫大な遺産が転がり込んできそうな形勢である。金の匂いに敏感なドルベツコイ公爵夫人はピエールを盾にして、べズーホフ伯爵の死の床まで押しかける。その道筋で目撃する人や情景をピエールは「こういうことはなにもかもこうでなければならないのだ」と感じている。この表現は19節の中で繰り返し述べられる。自分の言動は、自分が意図したわけでも、企んだわけでも考えたわけでもない、まるでピエールが運命の糸に導かれているかの印象を読者に与える効果がある。

 

 社交界ではただの奇妙な人物として、そして自身でも自分は「私生児」であるという負目を背負っていた、どこか愚鈍な、太った大きな男が、いまや巨万の富を有する人物になろうとしている。彼を見る人たちの目は変わった。「人々は彼に向かって、いまだかつて一度も見せたことがないような尊敬を見せていた」。副官、医者、僧侶、ワシーリー侯爵までもが、つまり、彼をとりまく人々全員が手のひらを返して、蔑んでみていた昨日までの彼を「尊敬」するようになった。

 

 村上春樹さんの「遠い太鼓」の一節に、「ノルウェイの森」が、突然、ベストセラーになった時、まるで自分が憎まれているように感じたそうだ(確かそんな表現だったような。間違っていたらすみません。)。それまで新刊が出版されるとそれを楽しみにしている十数万人ほどの彼の愛読者がそれを購入し、静かに作品を読んでくれていた。それが、何百万という途方もない数の人たちが作品を通して自分を見ている。そんな感覚に陥れば、自分の知らないどこかで、自分の知らない誰かから、自分が恨まれていると感じてもおかしくはなかろう。


不特定多数の視線というものは、恐ろしいものだ。

その三 ①96〜152

 一昨日(昨日は飲んでいたものだから、ちっとも読書をしなかった)、第一部第一篇7〜13まで読み進んだ。

「戦争」前夜のモスクワとペテルブルクは「平和」であった。とある哲学者が、平和とは、戦争と戦争との狭間のことであると定義したように、モスクワの平和は、戦争前の平和に過ぎない。

 

 場面はペテルブルクからモスクワに変わり新しい人物たちが登場する。ロストフ家の当主は好好爺として描かれている。娘の「名の日」に訪問した客の全員に対して、「ふっくらして、陽気なきれいにひげを剃った顔に同じような表情を浮かべ、同じようにきつく手を握りしめ、ひょこひょこお辞儀を繰り返しながら、例外なく一様に」同じ挨拶をする。「本当に、本当に感謝しております」。経済的に裕福であることも手伝って、長者然とした物腰が目に浮かぶ。

 

 一方の妻は「痩せた東洋的なタイプの顔をした、四十五、六の女性で、十二人もできた子どもたちのために、見るからに疲れはてていた」と描かれ、夫との対比が際立つ。

 

 客間において訪問客に接する伯爵夫妻のところに飛び込んでくるのは、ドルベツコイ公爵婦人の息子ボリス(ひとり息子である)と、ロストフ伯爵の長男ニコライと、同じく伯爵の姪であるソーニャ、末息子のペーチャ、そして本作のヒロインであるナターシャである。いささか影が薄いが長女のヴェーラもこの場面で登場する。

 

 それぞれの人物の表現については本文に譲るが、ニコライとソーニャ、ボリスとナターシャとの間には、それぞれ幼い恋心が芽生えている。

ニコライはソーニャと二人きりの場面で、

「ソーニャ! 僕は世界の全部だっていらないよ! 君だけが僕のすべてなんだ」「僕はそれを証明してみせる」と打ち明ける。

「あたし嫌いだわ、あなたのそういう言い方」とソーニャは手厳しい。が、どこか微笑ましい。その背後には、この家の長女であるヴェーラが、彼ら四人の幼い恋を冷ややかに、そして恨めしく嘲笑っている。ヴェーラをあえて登場させることにより、恋愛という、とかくひとりよがりになりがちな場面に奥行きを与え、客体化させているのだ。

 

 ボリスに恋するナターシャは、ニコライとソーニャとの愛の告白を目にして触発されたのだろうか。自身の恋心を鞭打つように衝動的に行動する。両手でボリスを抱きしめる。彼女の「細いむき出しの細い腕がボリスの首より上にからみついた。そして、頭を振って髪の毛を後ろにはね上げると、唇にまともにキスをした」。十二歳のナターシャの大胆にして衝動的な行動は、彼女という人物をよく表している。衝動的に行動し、そこに没入するのだが、気持ちが冷めてしまうと、まるで何事もなかったかのように次の場所を求めて走り去るのだ。

 

 余談だが、ロシア文学に接していると「ソーニャ」という名前を頻繁に目にする。とりわけ、ドストエフスキーの「罪と罰」に登場する、美しく薄幸な女性を思い出さずにはおれない。ちなみに、本文庫本に収められているコラムによると「いまだにロシア人は伝統的な名前が好きで、男ならアンドレイ、ニコライ、女ならアンナ、ソフィアなど、昔ながらの名前が普通」だそうだ。ソーニャとはソフィアの愛称のことだろう。

 

 ペテルブルクで「警察署長を熊にくくりつけるのに一役買」った「乱暴な行為をしたかど」からモスクワに追放されたピエールが登場する。彼の「私生児」であることはすでに自ら告白済みであるが、その父であるべズーホフ伯爵の館にいた。誰もいない部屋の中で、「時たま隅に立ち止まって、まるで目に見えない敵を剣で突きさそうとでもするように、壁に向かっておどかす身振りをし、眼鏡の上から厳しい目でにらんでは、またうろうろ歩きはじめ、よく聞き取れないことばを言ったり、肩をすくめたり、両手をひろげたりしていた」のだから、自分の存在を持て余していたのだろう。誰が相続するのかわからぬ巨万の富を有する資産家の父親が臨終を迎えていたからである。べズーホフ伯爵の遺産を巡って、陰鬱なドラマの中心に、得体の知れないピエールがいる。

その二 ①49〜96

昨日は第一部第一篇4〜6まで読み進んだ。アンナ・シェーレルのイブニング・パーティでは、ナポレオンを擁護したピエールの言葉がパーティ会場の雰囲気を不穏にしてしまう。子爵をはじめとする数名がピエールに反論を試みる。が、対するピエールは「だれに答えればよいかわからずに、みんなを見まわして、微笑した」とある。まったくもって得体の知れない人物である。

 

 イブニング・パーティの場面に続いて、アンドレイの自宅で交わされる会話の中にも彼の得体の知れなさが描かれている。パーティの場で神父と話し合った「永遠の平和」が実現可能であるというピエールに向かって、アンドレイは「抽象的な話」として取り合わない。むしろ、「ところでどうだい、君はいよいよ何か腹を決めたのかい? 特別近衛騎兵隊になるのかい、それとも外交官かな?」と実務的な生活に身を投じるよう提案する有様である。「実はですね、僕はあいかわらずまだわからないんですよ。どれもこれも僕は気に入らなくて」とはぐらかす一方、自由のための戦いならば自分は真っ先に軍務についたとまで主張するのだが、その言葉をアンドレイが納得することはなかった。

 

ピエールの考えを「子どもじみた」とみなすアンドレイであるが、「もしみんなが自分の信念にしたがって戦争をするんだとしたら、戦争なんかなくなるだろうね」と、自身も空想的な考えを口にしてしまう。が、すぐに思い直してそんなことは絶対にないと完全否定である。

続けて二人は、次のような言葉を交わすのだ。

「じゃ、なんのためにあなたは戦争に行くんです?」

「なんのために? 僕にはわからん。それが必要なんだ。それに、僕が行くのは(中略)この生活が、僕がここで送っているこの生活が気にくわないからだ!」

アンドレイの思いもよらぬ発言の真意は、妻のリーザから「この人は自分のことしか考えていないんですわ」と受け取られても仕方のないものだ。事実、自分の生活が気に食わないから死ぬかも知れぬ戦場に身を置くとは、他者から見ればエゴイズムであり、いうなればニヒリズムである。

 

 「なぜ戦争に行くのか?」との問いは、現代に生きる我々に強く訴えかけてくる。

 

 ティム・オブライエンの作品「本当の戦争の話をしよう」にある「レイニー河で」という作品が好きだ。ベトナム戦争の時代。徴兵を逃れようとカナダ国境まで車で向かった主人公は、カナダとの国境となるレイニー河にある一軒のロッジに宿泊する。河を渡れば自分は自由だ。だが、国や家族を捨てたという負い目を背負い生き続けなければならない。はげしく葛藤する主人公を、ロッジの持ち主の老人は批判するわけでも庇うわけでもない。何も言わずに見守っているだけだ。数日後、主人公はロッジを後にして実家のある街に戻り、ベトナムに向かう。

 

 彼に「なぜ戦争に行くのか?」と質問したら何と答えるのだろう?

 

 アンドレイの気にくわない生活は、続いて交わされる会話の中で明らかである。つまり結婚生活が彼自身を「なにもかも取るに足らんことに使い果たされてしまう」ものに、「自分にとっては何もかも終わってしまった、閉ざされてしまった」ものにしてしまったのだという。「足枷をはめられた囚人」になることであり、自由を失うことだとまで断言する。一方、自分の目的以外何も持たないナポレオンが目的に向かって進んでいた時には「自由」であったのに比較して、いかに今の自分は惨めであるかと滔々と語るアンドレイ。先ほどまでの、空想的な思弁を羽ばたかせるピエールに対する実務家アンドレイという構図がここでは、現実から逃避しようとする前者を、後者が賢明に現実に留まらせようするものに転換してしまっている。こうなってくると、我々にとって、何が空想で何が現実であるか見分けがつけがたくなるものだ。

 

 六月のペテルブルクの夜空はきっと夕焼け色をしているのだろう。そんな夕方のような真夜中をピエールは、放蕩者の集う屋敷に誘われていく。

 昨日から、トルストイの「戦争と平和」を読み始めた。まだ二十代半ばだった、いまから三十年前に初めて読んだ本作を、久しぶりに読み返したのは昨年末のことだった。米川正夫訳の岩波文庫版である。購入したのは大学生の頃の物だったし、再読するのも何分にも三十年も経っていたものだから、天や地、小口はいうに及ばず、中を開いたページまで陽の光で茶色に焼けてしまっており、おまけにページを開いた途端、パリパリと音を立て文庫本の背の部分が割れてしまったのだった。ページがとれてしまわないか、読んでいる最中気になってしまったが、幸いなことに背が割れたのは一巻だけであり、続く三冊は糊がしっかりと効いていたのか、ダメージが生じることなく、無事に読了できた。

 

 文庫本にしておおよそ六百ページが合計四巻。さて、老眼の目で読むにはいささか疲れる、活版印刷独特の小さな活字。文字がびっしりと詰まっている。読み終わるまでどれくらいの日にちがかかるだろうかと思ったものだった。

 

 だが、読み始めてみると、巨匠トルストイ、円熟の筆になる物語の中にぐいぐいと引き込まれてしまった。さすがに三十年前に読んだ内容などひとかけらも頭には残っておらず、目の前で繰り広げられる歴史的な事件や、登場人物の葛藤や苦悩に、こちらまで一喜一憂するのであった。当初、読み終えたところまでの感想文を日々小まめに認めようと考えていたのだったが。そんな余裕などもてる時間ではなかったのだ。

 

そんなこともあり、昨年末に再読した、決して短からぬ作品を、一年も経たぬ間に再び読むのは、今回こそ、ささやかな読書記録を日々残そうとの決意からなのである。

 

 今回読む「戦争と平和」は、米川正夫訳の岩波文庫版ではなく、平成一八年に刊行された、同じ岩波文庫版でも藤沼貴訳を読む。勿論初めて読む版だ。刊行された当時、本文の中に「コラム」があるのを目にして、「岩波文庫の古典作品の中に『コラム』など置きおって、小賢しい」と批判的な、冷ややかな目で見ていたものだった。が、今年、同じく岩波文庫から出版された「失われた時を求めて」を読んだ際に、図版や写真をふんだんにつかった充実した訳注が、物語の理解を深めてくれたことに思い至り、作品内に訳者のコラムがあってもいいかという寛大な気持ちで本作に接しようと決めたのだ。

 

 前置きはさておき、昨日読んだのは、第一巻(以後、一巻は①とし、ページ数をアラビア数字で示す)の48までだ。

 

その一 ①17〜48 

アンナ・シェーレルが開くイブニング・パーティ。最初の三十ページの間に、主要な人物が顔を揃える。

 

 まずは、リーザ(ボルコンスキー公爵夫人)。彼女を描くにあたってトルストイは、まず唇に視線を向ける。「彼女の形がよくて、ほんの少し黒みがかったうぶ毛のはえている上唇は、歯にくらべると短かったが、そのためにかえってかわいらしく開き、時には、そのためにいっそうかわいらしく前に突き出て、下唇の方に垂れさがるのだった」。魅力的な女性を唇で示そうとするのだ。「唇」を描くこと自体が、女性の自然なコケティッシュを感じさせる。体格は小柄であり、「なかば開いた口」が「彼女らしい美しさのように感じられた」とあるように、一九世紀のロシアに限らず、現代の日本における、さながらアイドルタレントに通じるものさえ感じられる。女性のかわいさは、当時からさほど変わっていないのか。もっとも、ボルコンスキー公爵夫人は、妊娠中である上に、彼女の手には「金糸で刺繍をしたビロードの袋に刺繍の手仕事を入れている」のだから、健康的な「未来の母」でもあるのだ。

 

続いて「どっしりとした、太った若い男で、髪を短く刈り上げ、眼鏡をかけ、当時の流行にならって薄い色のズボンをはき、高く盛り上がった胸飾りをつけて、茶色の燕尾服を着ていた」人物がやってくる。本作の主人公ピエール・べズーホフである。最新の着衣を身につけている割にはどこか愚鈍な人物のように表されている反面、すぐ後に、パーティの主催者アンナの目に映る彼は、「利口そうで、同時に、おずおずとした、観察力のするどい、自然な目つき」をした人物でもあった。

 

アンドレイ・ボルコンスキー公爵。「背が低く、冷ややかな目鼻立ちのはっきりした、実に美しい青年」「彼の容姿は、くたびれて、退屈したようなまなざしからはじまって、静かな一定したリズムの歩き方にいたるまで、活気のある小さな妻と、このうえもなく際立った対照をなしていた」とある。客間に妻の姿を認めた彼は「目をそむけてしまった」というのだから、彼ら夫婦の仲については言わずもがなだ。

 

快活なボルコンスキー公爵夫人、愚鈍な容貌の裏に鋭い観察眼を秘めたピエール、そして、なぜか世俗に背を向けているアンドレイが、舞台に揃った。

今日から三巻目「評論・小説」を読み始める。

中也が評論を書き残していたことは、本全集を購入するまで知らなかった。目次をざっと見ただけだが、おおよそ四十余りの評論を書いていることに驚かされる。


地上組織

草稿が残されているのみで発表されなかった評論である。編者の大岡昇平によると、草稿の原稿用紙に残された「二十路になんなんとして」との文字から、二十歳頃に書かれたと推定されている。


中也にとっての「神」の問題は、「詩」の中で再々、「神」が現れていたことからも、大きなテーマのひとつである。


評論の冒頭から、「有機体」の上に「無数の無機的現象」を見ることは、自分が神を信じなくてはならない理由であるという。中也が述べる「無機的現象」とは、たとえば人が涙を流すといった具合に、生命体から無機物が生み出されるようなことを指しているのだろうか。


人間にとっては「偶然」と思える出来事であっても、「神」にとっては「必然」であるという。「神」が運命を握っている以上、この段では決定論を述べているようであるが、人間の意志する能力を認めていることから、決定論と自由とが両立していると解釈しているようであるが、このあたりは曖昧である。少なくとも、中也がここで述べる「神」とは一神教の世界の存在であり、旧教か新教かは判断できないが、キリスト教を想定したものである。


神の「絶対」と私の表現の「相対的」について言及があり、「詩人は神を感覚の範囲に置いて歌う術を得る」という。


神、詩人に続いて「俗人」が引き合いに出される。俗人とは、「有機的要素のみを見るもの」と定義されるが、そんな俗人であっても「無機的要求をも真に僅かを見る」といい、その具体的な無機的要求の例として「迷信の介在」や「恐怖」を挙げている。これらの無機的要求を見る心は魂を促し目覚ませるものだから、もっとも無機的要求を多く見るものは詩人であるという。もっとも少なく見るのが科学者であり、それに続いて哲学者であるという。


一行一行読んでいても論旨がわかりにくい。この評論は、「神」を絶対にして必然の存在とする一方、人間界を俗人や詩人、哲学者・科学者に分類し、神への関わり方の違いを明確にした物であり、神について論じたものではない。


中也にとっての「神」については、もう少し評論を読み進めることにする。


それにしても、今日も疲れた。ケアマネジャーという仕事をしていると、死や病、老いと関わり続けなければならず、時々、やりきれない気持ちになる時が少なくない。今日はそんな一日だった。



先日から読んでいる「全体主義の起源」や「評伝プルースト」を取り上げる気持ちが起こらない。何かを読み、理解する気力が湧かない。今夜はジョン・ケージの「小鳥たちのために」をパラパラとめくって、眠たくなるのを待つことにしよう。

全集二巻目を読み終える。

「梅雨と弟」では、死者のことを静かに静かに思い起こすような心境に至ったような表現がある。「去年の秋に亡くなって/今年の梅雨にはいませんのです」と詩人が語る弟は、昨年梅酒を「こしらふ時」に「梅を放つたり随分と邪魔を」したものだから、「あたし」が「にらんで」やったことを悔やむといった物語である。死を嘆くでもなく、悲しくでもなく、「死」を「生」と隔ったものとして、死者を非存在として受け入れる「わたし」がいる。


「秋を呼ぶ雨」。「自分の生存はもう、けがらわしいものになつて」と表現される「生存」とは、人と接して生きねばならぬ世界にある自分のことであり、詩人は自らをそう感じざる得ない。「死なうかと考へてみることもなく、いやはやなんとも/陰鬱なその日その日を、糊塗しているにすぎない」ものであっても、生存し続けることを詩人は選択している。それは、「だらだらと、だらだらと降り続」く雨のようであるし、「伸びきつた、ゴム」のような生存であるとしても。


「はるかぜ」についてはいまから十二年ほど前にこのブログに感想を記した。

「はるかぜ 中原中也」

https://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10655047106.html

いまもその時の思いを思い出すことがある。


「私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。/だつてそれだけが、わたしにとつては『充実』なのだから」といいながらも「何か物足りな」さを覚えつつ、「此處を動かぬ」との決意を示す「現代と詩人」。だが、希望に満ちているわけでもなく、作品の中で、「私は死んでいつた人々のことをかんがへる」。


実母を取り上げる「泣くな心」。言い訳にも似た、私小説風の物語が、中也にしては珍しい作風である。


大岡昇平が作品を編んだ岩波文庫版の中原中也詩集には選ばれなかった「渓流」が、僕は結構好きだ。夏の暑い時期になり、冷たいビール瓶を手にすると決まって次の詩篇が頭をよぎる。

「渓流で冷やされたビールは、/青春のやうに悲しかつた。/峰を仰いで僕は、泣き入るやうに飲んだ」。四行からなる節が四つあり、最後の節がやや力がない感じがするから、大岡昇平も選ばなかったか。


明日から、中也の評論や小説を収録した三巻目に取り掛かる。


ここ最近、あまりに物憂く、本の手にしても活字の内容がほとんど頭に入ってこない。

日々、仕事柄、老いと死、家族の葛藤、孤独、不安といったものに関わっており、いささか疲れが溜まっているのではなかろうか。気分転換が必要であろうが、僕の気分転換といえば、読書か音楽を聴くぐらいしか思いつかない。そのどちらもが、僕の救いになっていないようである。さて。

五時半に目覚める。「材木」と題された作品まで読み終える(②400)。一九二〇年代の作品(ノート1924に所収)「真夏晝思索」では、「ヂラ以上の権威をダダイストは認めません(ヂラとはジレンマ=矛盾)」と宣言した中也が題した「我がヂレンマ」。ここでのテーマは孤独と社会(対人)である。

「孤独をばかり望んでいた」反面「屢々人と対坐した」、「孤独に浸ることは、亦怖い」反面「孤独を棄てることは、亦出来ない」。野原にいることもできなければ、人の所にもいなかったので詩人は書斎にいた。「そしてそれをどうすることも出来なかつた」。孤独でいたいけれど、いたくないと感じる心のありようは、なるほど矛盾したものではある。だが、ジレンマの中で葛藤するのではなく、「どうすることも出来な」いと諦め、そして絶望しているだけである。


前月に創作された「不気味な悲鳴」の最終行で、詩人は読者に「僕はどうすればいゝか?」と疑問符を投げかけている。前節において、「天から何かの恵みが降つて来ること」を「切望」し願うのだが、そんなものはないことがわかっていながら、悲鳴を上げなければならない心情に追い込まれているのと同じである。


「春の消息」では、詩人の意識が「生きている」ことが喜びなのか悲しみなのか、判じかねている。このような問いを浮かべてしまうこと自体が、自身の「衰弱」かもしれぬし、人生とは、このような迷い、得体の知れないものかもしれないと割り切ることはできないようだ。むしろ、「自然にしているよりほかもない」姿勢のことを「怠け」と感じている。


否定的な感情が漂う作品が続く中、清涼な風を思わせる「山上のひととき」。本作品だけを読むと、まるで立原道造の創作かと思えてしまう清々しさが溢れている。「在りし日の歌」の「湖上」につらなる作品である。続く「四行詩」にも「山上のひととき」の風がそのまま吹いている感がある。


「詩人は辛い」では、ふたたび「私はもう歌なぞ歌はない/誰が歌なぞ歌うものか」と駄々っ子そのままの言葉を書き並べている有様だ。ここでのテーマは先に出た「孤独と社会」とである。もっとも愚痴を書き並べただけとも思えるのだが。


大学生頃から好きな「漂々と口笛吹いて」。「漂々と 口笛吹いて 地平の邊」。愚痴を並べず、詩人である自らの運命を受け入れている時の中也の作品はすばらしい。


休日だけれども夕方、警察から電話がある。自分が警察沙汰になったわけではない。自分が担当する、認知症を患う利用者様が、とある場所で保護されたから、迎えに来いとのこと。電話口の警官に利用者の自宅の住所を告げて送ってもらいたいと依頼したにも関わらず、利用者の携帯電話のアドレスにある電話番号に次々と電話して、たまたま電話に出た訪問介護事業所の職員に迎えに来させたそうだ(僕が電話を切った後に、件の訪問介護事業所から連絡があったから)。先ほどの警察官に電話をして、なぜ責任転嫁をするような真似をするのか問いただすが、所詮多勢に無勢、公権力に対して個人で立ち向かったところで勝てるわけもない。適当に言い負かされてうやむやにされてしまう。

本人と話をしてタクシーに乗せてもらえれば帰宅できることを確認したにも関わらず、このざまである。

警察官であっても責任(認知症を患う人をタクシーに乗せて何か事故でもあったら自分の責任だ)をかぶりたくない気持ちがあるのは理解する。だが、件の高齢者を数人の警官が取り囲み行動を制限することまでしなきゃならんのか?

認知症を患っている人は、外をおちおち歩けやしない。少し挙動がおかしいと警察沙汰である。認知症に対する理解か、ちゃんちゃら可笑しいや。

日中、図書館から借りた本を読む気力もすっかり失せてしまう。


漂々と口笛吹いて、か。

一九三四年に創作されたと推定されている作品を読み終える(②322)。

同年六月二日の日付が記されている「道化の臨終」は百行近くもある大作。

十月二〇日の日付がある「秋岸清涼居士」が「七二行、十一月十三日の「別離」が五章からなる六四行、十一月二六日の「悲しい歌」が七四行。それまでの中也の作品の大半が十数行から三十行ほどの長さの作品であることを考えると、この時期に集中して大作を創作した背景に何があるのだろうか。

一般に、読者は詩人の私生活など知らないところで作品に接するわけであるから、作品と作者の私生活とは切り離して論じるべきであるとはいえ、未刊である作品の場合、詩人がなぜ公開しなかったのかを知る手立ては、詩人の生活に求めざる得ない。書簡や日記などの資料を掘り返さなければならないだろう。


「道化の臨終」は、内的リズムにのって思いつくままの軽口を記したような作品。最終行に「神」への祈りが出てくるが、中也にとっての「神」については、これから日記や書簡、散文を読む中で考えたいキーワードのひとつである。


「悲しい歌」は、タイトル通りに読んでいて辛くなってくる作品だ。

二節にある「悪気がちつともないにしても/悪い結果を起こしたら全くたまらない」には、渡世の下手な男が語りそうな気配がある。詩をつくるしかできない詩人にとって窮すれば通ずというわけにもいかず「あゝ 神様お助け下さい!」と、ここでは切羽詰まった嘆きが飛び出す始末である。苦しい言葉が続くと思いきや、哀愁や苦笑いに転調する軽さが中也の魅力であるが、「みんな貯まつている憎悪のために、/色々な喜劇を演ずるのだ。」と歌い始めては、まさに「あゝどうしようもないのでございます」としか言いようがなくなってしまうのも仕方のないことだ。


ところで、今日は疲れた。仕事でとても疲れたのだった。今夜は何か読書をする気持ちにもなれず、かといってすぐに眠りたいというわけでもない。音楽を聴くには時間が遅すぎる。何をするにも遅すぎるという日が、あるものだ。

今朝から一九三三年に創作したと推定される作品群を読む。出勤前までに一九三四年四月二二日の日付がうたれた「朝②265」まで読み終えた。

この中也にダダイズムの影響を与えた高橋新吉に献じられた「形式整美のかの夢や」を論じてみるのも興味深い。もっとも、それを論じるには、中也の私生活の方面から資料を調べる必要がある。全集四巻目には日記や書簡があるから、作品が成立した時期に残された日記や書簡、知人や友人らの証言から、「形式〜」と高橋新吉の影響、そしてダダイズムが中也に与えた影響やそこからの脱却といった視点から論じることもできよう。

「形式整美のかの夢や」では、四行と三行から成る節の集まりの間に散文詩が配置されるという、実験的な試みがなされている点に注意するにとどめよう。


先日、感想を述べた「死別の翌日」のバリエーションとでもいえる「早春散歩」。「空は晴れてても、/建物には蔭があるよ」という一節は、「街の片側は翳り、片側は日射しをうけて、あつたかい」に対応している。「過去がなかつたかのやうに」ある詩人の心の内は、「此の世のこと」も「死んでいつたもののこと」も考えず、「死に」茫然としている姿と重なる。この「茫然」とする心に焦点を当てた作品が「昏睡②260」であろう。


珍しいのは、「蛙聲」「蛙等は月を見ない」「蛙等が、どんなに鳴かうと」「Qu’est-ce que c’est?」の四篇である。「蛙」をテーマにした連作となっており、「月」と「蛙」とを対比したところに、蛙が「鳴く」という動作がどの作品にも共通して表現されている。月夜に鳴く蛙の聲が中也に何をイメージさせたかまではわからぬが、このあたりの背景は、日記や書簡にその謎を解く鍵が見つかるかもしれない。



「夏過えて、友よ、秋とはなりました」は魅力的な作品だ。僕は本作品の冒頭が好きだ。「友達よ、僕が何処にいたか知つているか?/僕は島にいた、島の小さな漁村にいた。」。「友達」と離れひとりある島にいた詩人。退屈を感じ友達を恋しく思いながらも、その友達との交歓とは「飲みたくない酒を飲み」「話したくないことを話す辛さ」のあるものだと告白している。

第二節では、詩人は自分の書斎に戻ってきており、夏の島での日々を回想している。その思い出は「死者の思ひ出のやうに」心に沁みるという。そして「死んだ者達」は「どうしたのだらうか?」と、詩人の意識はいつしか現世を離れ、死者の場所を彷徨う。過ぎし夏や島の夜が死と重なり「すがすがしい」思いを抱かせるのだ。