久々にランキングなるものを見た。
おいらのジャンルはなぜかビジネス。最初からここだから別に理由はない。

もともと、渋谷で働く社長のブログってのが、ここの大元締めのブログで、それに続いて、いろんなところで働く社長のブログが出てきたのが、半年ほど前か。。

で、おいらも単純にそれに準じて、新宿で働く社長のブログにしたわけだけど、当時なまけてたので、「働く」ってのが恥ずかしくなり、「踊る」に変えた、そして場所ももっと細かく、新宿御苑前なので、新宿御苑で踊る社長のブログにしたわけで。。
で、その後のこのシリーズでいろいろ社長ブログが出ているのですね。

1位;溜池山王で働く社長のブログ
3位;丸の内で働く社長のブログ
21位;南平台で働く社長のブログ
28位;徳島ではためく社長のブログ
57位;人形町で働く社長のブログ
68位;渋谷で働く不動産屋さんのブログ
71位;香港で働く女社長
82位;湘南で働く専務
96位;表参道の女社長
で、、、
112位でやっと、新宿御苑で踊る社長!登場

168位;日本橋で働く社長
193位;ロスで働く社長
385位;横浜西区で働く専務
426位;横浜で働く役員
459位;地球で働く人のブログ (←笑)
535位;南青山で働く狼社長

とまぁこんなところでした。
面倒なので各リンクやトラックバックはしませんでした。(←こんなところから新宿御苑代表はランキングを下げる結果となっているのだろう、多分)

せめて人形町の上を行きたいと思ったのですが、
ランキングにかまけてブログやるのも、なんだしなぁと思ったりするわけですが、
こんなところで社長の競争力ってのも計れたりするんでしょうかね。
営業力とか?戦略とか?人脈とか?

とほほ・・・ですわ。

でも、まったり度数では、多分堂々の一位でしょう。


ちなみに社長って言葉に誤解を抱いている人へ。
社長とは偉い人ではなく、社員になれなかった落ちこぼれたちです。
役所行って手続きをすれば、誰だって社長になれるのです。

もうひとつのタイプは、偉い社員さんが、成り上がりで社長になったり、子会社の社長になったりするタイプ。こちらは社長という肩書きの偉いサラリーマン(社員さん)です。

で結局そこそこ儲けた社長さんは偉いですね~。関心します、尊敬します!
お金持ちではないけれど、時間持ちな社長さんもいます。例えば新宿御苑代表の社長さんとか。
暇とは違います、、決して・・・


アフリカのある村で生活しているある日のこと、

朝から子供達が歌を歌いだした。
昼から女達が、ハーモニーを重ねる。つまり和音を美しく添える。
そして夕刻から男達が大地を踏み鳴らしリズムを加えていく。

その祭りは夜にはピークになり、村民全体が音楽を奏でている。
繰り返されるリズムと、歓声に近くなる歌声、幾十にも重なる和音のハーモニー、、
全体が踊り、声を出し、空にはフルムーン。

そして、そのとき、「わたしは神を見た」

と、とあるセミナーで講師の方がおっしゃいました。



自分がそのアフリカの村の一部始終を見たわけではないけれど、この方のおっしゃられる恍惚体験の感覚はなんとなく、共感もし、自分なりに何度か旅行中とかに恍惚体験らしき経験と重ねあって想像し、それを神と表現されているのだなと不自然な感じはしませんでした。


最近、このようなエコやロハスやサスティナブルライフスタイルな人たちと会う機会が多いのですが、それぞれの想いとして、その取り組みを行い、人々に伝えようと努力されています。
ただひとつ共通しているのではと想われることに、この恍惚体験によるマインド的な後押しがみんなにはあり、もしかしてその経験が無い・乏しいければ、言葉や行為の実践だけで本当に伝わるものなのかといささか不安になるわけです。

ひとつ間違えば、「人をさとす」行為につながりかねない。
今の現状は最悪だから、もっと良くしなければならない、、、といった表現に陥りやすい。
単なる知識として消化されてしまう。




しかし、現状は現状として必要な要素で構成されており、不要なものはないはず。




正直、「神」という表現を聞いたとき、その本質的な伝達の限界を感じたのです。

聞いたり、見たり、やってみたりするだけでなく、
本質的には、感じて、実体験を引き起こすガイドでなければならないと。

で、恍惚体験がもたらす、その後の生活は、通常の行動力ですと、
ぐうだらにも過ごすし、コンビニ弁当は食うし、いらいらしたり普通に過ごすわけですが、しかし
どこか敏感にいいものを感じとり、それを求め、ネガティブなものには人一倍ココロを痛めたりと繊細になり、
ただそれが、ロハスやスローな照準と重なりあうのは、共通した感覚のようで、そのようなムーブメントが静かに起っている(シンクロ)しているのが現状だと感じるわけです。



非日常?現実逃避?そんな生活に逆転してしまうパワーなのかもしれません。



ロハス業界!?の本質は知識や効率的な倫理ではないはず。
もっと楽しく、楽チンに、豊かに、なるための新しい欲求を成就するための新しい(もしくは超古い)方法論
いわばマーケティングの一種です。
みんなの本質的な欲求があるからこそ、それを満たすためのマーケティングや市場を形成しようという資本主義社会にいる人として、普通の方法。と書くと俗っぽいですけどね。結局それを教え込まれてきたわけですから。


先人の伝達者の努力にも尊敬しつつ、
あたらしい伝達のブレイクスルーはなんであるのかとか、思った次第です。

パーマカルチャー的にコミュニティを創りあげるにはといった感じの「サスティナブルコミュニティデザイン」というセミナーに参加してきました。
12月まで毎月通うことになるのですが、今回はコミュニティという概念の様々な見識や概念について話あったり、意見を聞いたりしたわけです。

その中でひとつ「なるほど」と思ったことは、コミュニティと社会との違いという見解で、

コミュニティ・・・個人の存在の全部を受け入れてくれる場
社会・・・個人の特定の能力を利用される場

というものがありました。
つまり近代の核家族に見られるような個人単位家族単位という最小の単位での生活が一般化してきた中で、我々は実際にはコミュニティというものがどういったものであるかを知らない可能性があるということで、この「社会」と「コミュニティ」との差を考えたり感じたりする必要があるということです。

そして人が様々な欲求を求めたり満たしたりする最果てのところでは、みんなこのコミュニティを求めるということだそうです。歴史や神話、事例等々から、最終的な欲求はコミュニティである。
だからこれから形作られるコミュニティをデザインすることを研究することは非常に理に適っていると思ったわけです。

実際に核家族で育った自分としては、今までどのようなコミュニティに属していたのか、そして今はどのコミュニティに属しているのか、、はたまたコミュニティというものを本当に知っているのか?とか思うわけですが、ゆくゆく自分の理想として求めているものは、実際には理想的なコミュニティであるという事実があるわけです。

みんなももしそうであるならば、全自分を受け入れてくれている(能力の一部を提供している場ではなく)コミュニティが存在しているのか、考えてみてはいかがでしょうか。

前日のアースデイ東京への参加を後任に任して、深夜12時スタートで長野は安曇野に車で向かう。
ほとんどずーっと高速道路。
しかも前後車が無いような静かな道。

とにかく退屈。眠い。やばい。

スピーカーの音量は暴走族なみにでかくなり。
スピードも140kmを超えたりしてきている。

最後はほんとお疲れでやばかった。パーキングエリアに入って寝る。
朝6時からの農業実習に間に合うように安曇野に着く。

いきなり長靴履いて畑に直行!
「みなさんおはようございます!!」って感じ。

野菜の種をたくさん植える。

午後は天然酵母パンを焼く土釜小屋を建設する計画会。すんなりとまとまりとてもいい感じ。
前日のが尾を引いてか、その小屋の名称は「EARTH KITCHIN(アースキッチン)」となった!

とにかく夕方終わって、東京新宿に直行。
帰りは3人乗ってたので話をしていると意外に早く着いた印象。でもかなりお疲れ。
新宿で友達にタイ料理の晩飯に誘われたけど、「ゴメンやっぱ帰る」状態。家に入るなりいきなり寝る。




ちょっと日記を書いてみました。。。。

知人のアースデイ出店を手伝いにいった。
前日にも設営したけど今日は自分のところの店つくり。
なんにも素材を持ってきてないので紐とかテープとかでうまくごまかした。

売上も上々だったようだ。

アースデイ東京は全体的に面白かった。
音楽もよかったし、飲み食いも満足。
買い物もそこそこした。

カリンバを買った。マイナースケールにチューニングされたやつ。初めてみた。
でデモ演奏も素敵だったので9000円でゲット。手作りなのでそれくらいの価値があると見た。

ハッピーはっぴという法被も買う。家着として最高。

夜は6人みんなで原宿のマクロビオテックという自然料理法の店にいく。
うまい。
今日はアースデイ東京(代々木公園)の仕込みの手伝い
ブースのテントをたくさん張った。
いったいいくつテントを張ったのか・・
でもみんなでやるとはやいね~~~! ぞくぞくと組み立てられていくことに快感。
なんか縄締めとか職人仕事を見ているとかっこいい。

基本的にボランティアを仕切るのはほんとたいへんなのだ。
責任感の差が大きいから。でもうまくやってたようだ。イベントによってボランティアの傾向も変わってくるようですね。みんなピースフルだった。


東京晴海のトリトンスクエアで開催されるオーガニックフェスタを手伝った。

設営からブース設営の手伝いとかいろいろこまごま。
14~17日までぶっ通し。

出店された、ハーブティやとか有機日本茶やとかオーガニック化粧品、オーガニックビール、オーガニックコットン、オーガニッククッキー、オーガニックワイン、、とうるさいくらいオーガニックな人たちといろいろ知り合いになれて面白かった。それも日本全国からいろいろ来てらしたので、地域の話をたくさん聞いてきた。

手伝いといっても、いろいろ勝手に楽しんでいた。
でも日中ほとんど歩き&立ちなんで足がいたい。
しかも、夜は呑み会。深夜帰り。そして準備班なのでちょいと早めに出る。
結構つかれる。

イベントの手伝いもなかなか体つかうしいい感じだ。また何かしたいと思いつつ来週はアースデイか。

結局・・・

中国人も、韓国人も、日本人も、「日本の政治(家)」が嫌いなんじゃないの?
アメリカに誘導されていて「主体性の発揮できない国家」に不満があるのか?

中国人(韓国人)が国家戦略として世論誘導されているとしても、
日本人が国際戦略として、無関心化させられているとしても、、、

中国政府も韓国政府も、アメリカの日本政府誘導に懸念を示している?
教科書問題に見る、他国への怨念を煽る行為は、「国家間レベルの次の戦争(ビジネス)企画」の一環かもしれない。

ニート化している日本社会は弱体している?
いざとなったら2ch連中も、祭り状態で喧嘩できる?


国というコミュニティの影が薄い日本と、濃い中国とで温度差がかなり感じられる。
個人の日常生活の論点にも国民性に隔たりがある。
まぁ、日本で中国製品非買運動をやれば、単純に生活コストがアップしまくるわけで。


ただいえてることは、中国人も、韓国人も、日本人も、個人レベルでは悪い人でもないってこと。
4月22日アースデイを前に、国際国家コミュニティとは別の次元の、国際コミュニティが育っていくことを望んだりしている。

WHOの発表によると、日本はまた世界一の長寿国らしい。平均寿命84歳とか。

ちなみに最下位はアフリカのどこぞの国で34歳だとか。

日本人は世界で一番長生きできるという喜ばしい表面と、
もしかして世界で一番イケテナイ人種なのかもしれないという裏面とがあるんじゃない?


哲学的な側面は、
ヒトはやるべきことをやって、とっとと死んでいくような気がしている。
死因が病気であれ事故であれ自然死であれ・・・
享楽に溺れ、盲目的に生きているので、なかなか死ねないのではないだろうか。


現実的な側面は、
アフリカの平均寿命が短いのは、赤ちゃんの死亡率が高いのと、戦争や闘争で戦死者が多いんだと思う。もち病気や伝染病の完治率も低いのだろう。
平均寿命が長い日本は、大量の戦死者が出るわけでもなく、赤ちゃんの死亡率も低いのだと思う。やはり生存の可能性の少ない胎児を生まれる前に流産させているのではないだろうか。
もちろん医療技術や薬、健康関連品の充実も寄与している。


こんな両面を見つつ、いいことも悪いことも両方含んでいる。

長寿や不死が、人の永遠のテーマだったかもしれないけど、
実はそれ自体が自ら不幸を望んでいるのかもしれない。

オモムロにICプレイヤーにナイスな音を詰め込んで、庭(新宿御苑)に散歩行ったら、、、、
見事にヒト・人・ひと。 入場券の売り場に長蛇の列!!!

ん~庭の芝生、大丈夫だろうか・・・と心配しながら、職人さんを信頼して、またの機会にすることに。

で、ぷらぷらと四谷図書館にいって、昨日記事に書いたセンスオブワンダーを探すことに。
あった。驚いたことに、

50ページたらずの薄い本。(てっきり分厚い本を想像していた)
50年も前の本。
著者は女性だったのか。(てっきりヒッピーおじいを想像していた)
で、癌で死ぬ前に書いた本。享年56歳。

と、その状況がいろいろわかってよかった。
内容は、センスオブワンダーそのものを代弁し、世の中にメモっておいたポストイットという感じ。
共感できるヒトはきっと幸せだと思う。

50年たっても何も変わっていない、幻滅感を少し覚えたけど、なんとなくそれでいいとも思ったし、そういうものだろうなと感じた。
良くなろうとして良くなるものでもなく、自然の摂理として今があると思うし、自然に地球もヒトも今という感覚に流れているんだと思う。汚いとか破壊とか低俗とか、そういうものを経ていかないといけないのかもしれないし、今にも、いい環境や美しいことやセンスオブワンダーも存在しているのも事実だから。



そのまま、ソトコトの最新号を読むと、こちらはアフリカのゴミと暮らすスラムの子供達の話。

その子達も、その環境に順応して、それが汚いだとか美しいだとかではなく、現実のあたりまえとして生きているという事実は、さっきの感覚にそのままシンクロして、やっぱりそういうもんだよ。と。みんなただ生きているだけに過ぎないわけで・・・ 図書館にいると眠くなるわりには、居心地が楽チンではない。とっとと帰りました。