アフリカのある村で生活しているある日のこと、

朝から子供達が歌を歌いだした。
昼から女達が、ハーモニーを重ねる。つまり和音を美しく添える。
そして夕刻から男達が大地を踏み鳴らしリズムを加えていく。

その祭りは夜にはピークになり、村民全体が音楽を奏でている。
繰り返されるリズムと、歓声に近くなる歌声、幾十にも重なる和音のハーモニー、、
全体が踊り、声を出し、空にはフルムーン。

そして、そのとき、「わたしは神を見た」

と、とあるセミナーで講師の方がおっしゃいました。



自分がそのアフリカの村の一部始終を見たわけではないけれど、この方のおっしゃられる恍惚体験の感覚はなんとなく、共感もし、自分なりに何度か旅行中とかに恍惚体験らしき経験と重ねあって想像し、それを神と表現されているのだなと不自然な感じはしませんでした。


最近、このようなエコやロハスやサスティナブルライフスタイルな人たちと会う機会が多いのですが、それぞれの想いとして、その取り組みを行い、人々に伝えようと努力されています。
ただひとつ共通しているのではと想われることに、この恍惚体験によるマインド的な後押しがみんなにはあり、もしかしてその経験が無い・乏しいければ、言葉や行為の実践だけで本当に伝わるものなのかといささか不安になるわけです。

ひとつ間違えば、「人をさとす」行為につながりかねない。
今の現状は最悪だから、もっと良くしなければならない、、、といった表現に陥りやすい。
単なる知識として消化されてしまう。




しかし、現状は現状として必要な要素で構成されており、不要なものはないはず。




正直、「神」という表現を聞いたとき、その本質的な伝達の限界を感じたのです。

聞いたり、見たり、やってみたりするだけでなく、
本質的には、感じて、実体験を引き起こすガイドでなければならないと。

で、恍惚体験がもたらす、その後の生活は、通常の行動力ですと、
ぐうだらにも過ごすし、コンビニ弁当は食うし、いらいらしたり普通に過ごすわけですが、しかし
どこか敏感にいいものを感じとり、それを求め、ネガティブなものには人一倍ココロを痛めたりと繊細になり、
ただそれが、ロハスやスローな照準と重なりあうのは、共通した感覚のようで、そのようなムーブメントが静かに起っている(シンクロ)しているのが現状だと感じるわけです。



非日常?現実逃避?そんな生活に逆転してしまうパワーなのかもしれません。



ロハス業界!?の本質は知識や効率的な倫理ではないはず。
もっと楽しく、楽チンに、豊かに、なるための新しい欲求を成就するための新しい(もしくは超古い)方法論
いわばマーケティングの一種です。
みんなの本質的な欲求があるからこそ、それを満たすためのマーケティングや市場を形成しようという資本主義社会にいる人として、普通の方法。と書くと俗っぽいですけどね。結局それを教え込まれてきたわけですから。


先人の伝達者の努力にも尊敬しつつ、
あたらしい伝達のブレイクスルーはなんであるのかとか、思った次第です。