自分は自己実現のようなものをコツコツと達成してきているように思う。振り返ってみると全部がつながっていて順番にある目標のようなものを通過してきている。

その経験則で思うところは、何かが欲しいときや、何かを見つけたいときや、何かを達成したいとき、それぞれが達成されるときは、そこに呼ばれていく。単純に偶然的に、そして必然的にそれは即達成される。

自分はとあるところに行くのが大好きなんだが、そこは呼ばれていくときと、探してがんばっていくときでは、充実感や経験の度合いが違うように思う。呼ばれていくと次に繋がる何かを得て帰ってくるような感じ。
呼ばれていないと感じる時は、そこに行けないとか行くのに苦労してるとか。


では、この呼ばれるという感覚というのは、、


準備ができているかどうか、ということに思う。


その準備ができていれば、おのずと向こうからやってくるし、呼ばれていく。

小さなことでも、呼ばれていくと、それは必要なものであり、それは真の目的に通じる過程であることのように思う。そう感じる。

直感として、そこにあるのは、必然であり、それが成功とか失敗とか、幸せとか不幸とかも含めて必然である。


だから、何かを求めているときは、探しはじめたらダメだ。

まず、必然的に手に入る準備をしなければならない。
心も体も環境も、準備を怠らない。

準備とは「計画の遂行」も含まれるだろうけど、なんとなくそれだけではない。。そういう段取的な行為とはまた違うように思う。
ここが難しい。


だから、「準備」をがんばればいい。
そうすると、呼ばれますよ



経験則的にこれは真実だと思っている。
でもそれがうまくできないことも多い。準備がへたくそなのだ。
準備が上手になれば、きっといいところに行けそうだと、いつも思っているのだけど。



小さな小さなことなんだけど、
昨日もいくつかの偶然が重なって、、、
ふと、こんなことを思い出した。