こんにちは、Shinoこと、上川詩乃です。
3日ほど、車中泊の旅をしてきました。
途中、初めて長野県小布施町に足を踏み入れ、
北斎最晩年の肉筆天井画を見学し、
「おぶせミュージアム」にも立ち寄りました。
現在、「おぶせミュージアム」では、日本画家・
中島千波さんの古希記念展を開催しています。
私は、こちら でも書きましたが、絵描きのくせに、
”絵を見る目”というものが一切ありません。
それはもう、豪語できちゃうくらいのレベルでして。
で、それに関し、ブログ仲間の”さいとうさん”から
この旅では、いつも以上に考え続けていました、
絵を描きたい、という気持ちって何だろう? と。
ミュージアムでは、絵と共に、中島千波さんが
牡丹の原種花を求めて、中国の5000m超の山へと
旅をするドキュメンタリーが紹介されていました。
~品種改良された花とは違う、原種の怖いまでの赤。
高山病の頭痛を忘れ、牡丹と対峙し描く中島さん~
めちゃくちゃ、当たり前のことですが、
絵を描く、とは、自分を描く、ことなんだ
という、しん、とした気持ちに私は包まれました。
中島さんにとっては、別に、そんな所にまで
出掛けていく「必要」はなかったのでしょうけれど、
自分を掘って・掘って・掘り下げて・取り出す
ためには、あの時それが「必然」、だったんでしょうね。
このブログを始める前まで、私は、
「別にブログに書いて”世間に問う”ほどの
言いたいことなんて、私には無いし。
私なんて、”何さま”でもないし。」
と思っていたんですよね。
でも、そんなこと言ってたらばさ、
あなたは、誰とも”お話”してないんですかー?
用事以外で言語を発してないんですかー??
ってことになりゃせんか、と思うんですよ。
話すこと・書くこと・歌うこと・踊ること・造形すること
みんなみんな、自分を表現したいんだ、
自分で自分を”取るに足らない”、とみなしていても。
だって、日々を生きる、ということは、
他の誰でもない、自分を思い出す作業だから。
旅で、美しい紅葉を見て、素直に「きれい」とつぶやく。
そうして、紅葉の色の響きあいに感動している、
そんな自分のこころのやわらかさに気がつく。
心も一様ではなくて、みずみずしい部分もあれば、
象の皮膚ぐらい固くなっている所もある。
(って、さわったことはないですが)
私の”美を感じるこころ”は、すっかりカカトみたいに
硬化していたけれど、少しは水分を取り戻し、
ヒザ程度には変わったようです。
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