今回は、お絵描に対する気持ちや経験を嘔吐します。
【お絵描き】
小学校一年生の時の記憶。
図画工作の授業で、絵を描きました。
「漫画ではないのだから、こんな絵はおかしい。消しなさい」
子供が走り回る、それこそ子供が描いた図画。
走り回る子供達の背後、走っているんだよ、と表したくて描いた風のいろ。
それは、担任に全否定されました。
Twitterを眺めていても、似たような経験のある人は多いみたいで。
昭和生まれの月見里です。義務教育は厳しかった時代でしょう。
それでも、あの担任は、月見里の可能性をひとつ潰したのです。
現代社会、可能性を潰され、苦悩に気付いてもらえず、命を絶つ若い子の多さ。
摘んでしまうのは、悪い芽だけでいいのに。
或る十代の記憶。
月見里は、結局絵を描くことをやめませんでした。
いつもいつも、全力で描いても「頑張ったね」としか言われませんでした。
嗚呼、駄目なんだ。わたしはまだまだ下手なんだ。劣等感。
劣等感を餌に、反骨精神ばかりが育っていきました。
褒めてほしかったあのひとには、もう会えないし会いたくもありません。
或る二十代の記憶。
下手だ下手だと思っていた月見里の絵を、「美しい」と言ってくれた人に出逢いました。
嬉しかった。とても。嘘だよね? と思うくらいに、ココロは歪になっていたけれど。
それでも、劣等感は、自分は下手なのだと思う気持ちは拭えなくて。
そして、とある絵描きさんの存在を知ったのです。誰とは言えない、尊敬する御三方に。
月見里の絵に足りないもの。それは、鬱と狂気なのだ。そう、思い知りました。
未熟な腕は、まだまだ心の中の狂気を上手く具現させてはくれないけれど。
それでも。それでも、表現したい。この心象風景を。
長い付き合いになるカウンセラーさんに言われたことがあります。
「芸術家肌の人は、全力で作品をつくりあげて満足してしまうと、すこしばかり危うい状態になります」
月見里が芸術家肌なのかは解りません。
でも、根底にある「テーマ」を満足する具合で描き上げてしまったら。
満足した、もう、思い残すことはない。
そうなってしまうんだろうとは、思います。だから、適度にセーブしながら描くのです。
最高速度は、出したら壊れてしまう速度だから。
あたためて、あたためて、あたため過ぎて腐敗させてしまっているのではないか。
そんな、月見里の根底にある「テーマ」。
いつかは、かたちにしてあげたい。そう願うのです。