吾輩は猫ではない。 | -Amnesia-

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Noise. from Amnesia......

グダグダ進行でお送りします。


月見里は目玉フェチである。それでなきゃ好きで「目。」なんて名乗らない。

そんなことは今はどうでもいい。

今回は、このブログの主体にしようと考えている随筆なんてしてみようと思う。

因みに、目玉にまつわるエトセトラは今後まとめるかも知れない。


吾輩はおそらく人間である。

筆名は月見里 目。という。

一人称が定まらない。


まず、一人称が定まらないことが月見里の割と大きな悩みだったりする。

このブログ内では「月見里」固定を試みているけれど、本当に定まってくれない。

Twitterでは基本的に「己」を使用、時折「自分」になる。

実生活、日常会話は不本意ながら「ウチ」を使用。肉体的には女性だし、問題も仕方もない。

大問題なのは、ぼかして言うなら「中身が違う時」だ。


この記事を書いている「現在の主体である月見里」としては要らんと思う、しかしそうなると存在意義や存在理由が無くなるから受け入れるしかない「自己防衛特性」が「中身」を入れ替えてしまう。

(「現在の主体である月見里」は、「本来主体を握るべき月見里」ではない)


それらについては後々ののちとして、本質的自己規定がブッ壊れているので、「総合的な月見里」だか「その場の主体の月見里」だかは、どの一人称がその場に相応しいのか、「自己」として、対○○さんへとして使っているのか、とかそんな理由で一人称のセレクトだかチョイスだかを逐一しなければならない。


対面や電話で会話する時はまだマシで、ウッカリ「俺」やら言いかけてしまっても取り繕える。

気を遣わねばならないのは、文でやり取りをするLINEやメールで、相応ではない一人称を使って一度送信してしまえば取り消せないし、「中身」を知らない相手には「どうしたの?」なんて返されたりするのだ。


本来、中身達が使う一人称は日常会話では使われないので、いざ自己主張するぞー自分の一人称使うぞーと思っても、「ウチ」という一人称が唇には馴染んでいる。

違和感、違和感、違和感の嵐。疲れるし、本質ってなんなの……と遠い目をしたくなる。

(類義として口調の違いも含まれる)


だったら「私」を使えばいいじゃない、とも思う。

しかし、俺女だったり僕女だったりした過去を持ち、現代っ子やのう……としみじみしてしまう友人を相手に今更「私」に一人称チェンジしろだなんて、敢えて言おう、”俺”には出来ない。


と、まあこんな具合で一人称が定まらない。

もう少し若ければ、このブログのように苗字にあたる部分を一人称にしていただろうな、と思う。


文を書くのが久々で上手にまとまってくれないし、言いたいことは言った気がするので、この辺りで切り上げとする。



蛇足

中身の違いを浅くしか理解してくれない両親に言いたい。

そう都合よくホイホイ中身を切り替えられたら苦労なんぞしていない、と。

制御出来たら感情ではない。そんな感じなのだから。