今日も、私こうが、
いま思うこと、感じることを、
つらつらと、書いていきたいなぁ~と思います。
歌手の谷村新司(74歳)さんが光の世界に帰られましたね😢
谷村さんといえば、プレアデス星団とチャネリングをして、『昴』という歌を創ったのは有名です。
谷村さんが、プレアデス星団とのファーストコンタクトは、引っ越しの最中に起こったそうです。
突然「さらば昴よ」という言葉が降りてきて「ん? 『さらば昴よ』って何?」と歌詞の意味も分からないまま、手が自然に動いて、歌詞を書き留めたそうです。
メロディと歌詞が同時に、極めて鮮明なイメージで、一挙に降りてきた経験は、長いミュージシャン人生の中で、後にも先にも『昴』だけだったそうです。
その後、時を経て久々に『昴』について考えたくなって、パソコンで「プレアデス」を検索し「プレアデスからのメッセージ」というサイトを見つけて、そのときは読まずに、
じっくり後で読もうと、翌朝、そのサイトにアクセスしてみると、その記事は、すでに削除されていて、結局その記事を見ることができなかったそうです。
この出来事で「『昴』についてもっと勉強しなさい」という暗示だと谷村さんは感じて、それから2年後、中国でのライブツアー中の宿泊先のホテルで、プレアデス星団からの直接的なコンタクトがはじまったのです。
プレアデス星団からのはじめのメッセージは、突然、頭の中に、日本語で「これからダイレクトですよ!」と声が響いてきたそうです。
プレアデス星団からのメッセージは、性別や国籍を超えたフラットなトーンで、頭の中で鳴り響くそうです。
そして、谷村さんが「なぜ自分に声をかけてくれたのか?」と聞くと、それに対して彼らは、谷村さんに、
「よくここまで学びましたね。私たちのヒントも頼りにしながら、半ば自力でかなり正しい場所までたどり着いたから、あとは直接導きたいと思ったのだ。今日からは私がナビゲートをしますから、何でも訪ねてくださいね」
と答えたそうです。
また、谷村さんが「あなたは誰なのですか?」と尋ねると「私は存在です。プレアデスと呼んでください」と言葉にならない会話が続いたそうです。
『昴』は一つの星に付けられた名前ではなく、肉眼では6つの星が集まった星団で、実際には100個以上の星が集まった「散開星団」の名前だそうです。
『昴』の語源は『統ばる』集まった星をまとめるという意味があるそうで、欧米では「プレアデス星団」と呼ばれているそうです。
その後、彼らは谷村さんの問いに、何でも答えてくれるようになったそうです。
そして、長年気になっていたことも、尋ねたそうです。
それは「『昴』という曲が突如降りてきたのも、彼らの導きなのか?」という質問でした。
その問いに、彼らは「あの曲は、あなたが書いた曲でしょ」と言われたそうです(笑)
どうやら彼らは、
「あの曲を書いたあなたには、世界の悩める人びとに新しい考え方や、視点を持つための気づきを与える、きっかけ作りをする使命がありますよ」
と谷村さんを励ましてくれているそうです。
『昴』という歌には、下記のようなメッセージ性が込められているそうです。
⬇︎「谷村新司の不思議すぎる話」より抜粋いたします。
『もしも昴が「財の星」だとしたら、現代風に言うならそれはまさしく物質文明のシンボル。その「昴」に「さらば」と告げるのは、物質文明にサヨナラを告げようという意味に他ならないのです。
物質的な豊かさを追求しようとするとキリがありません。
際限のない追求に明け暮れているうちに、やがて物欲に支配されるようになり、目に見えるお金やモノのみに執着するようになります。
そんな時代にきっぱりとサヨナラを告げよう。今後は目に見えないモノを見て、お金やモノといった物質に囚われることなく、精神的な豊かさを追い求める新しい時代を作っていこう!
それこそが「さらば昴よ」というフレーズに込められた本当の意味ではないのか。私はそう気づかされたのです。
……。
同時にそのとき『昴』の冒頭にある「目を閉じて 何も見えず」というフレーズの真意もわかってきました。
普通に考えると、目を閉じたら、何も見えないのは当たり前です。でも、その感覚がすでに物質文明に毒されている証拠。
目に見えないモノをきちんと見ようとする姿勢があるならば、目を閉じてから、見えてくる景色があります。
それは「故郷の景色」だったり、「両親や兄弟の顔」だったりしますが、それがその人の原風景なのです。
その景色にこそ、目に見えるモノだけに囚われない、新しい生き方のヒントが隠れています。それを「目を閉じて 何も見えず」という歌詞は暗示していたのです。
インドに行ってみて、もう一つ大きな収穫がありました。
何を意味するかが長年わからなかった「我は行く 蒼白き頬のままで」という歌詞の意味がすっと腑に落ちたのです。
ハリドワールとリシュケシュでも、インドでは顔を青白く塗った人たちを大勢見かけました。不思議に思って現地の人に聞いてみると、それはシヴァへの信仰を表しているということでした。
シヴァとは、ヒンズー教では「破壊の神」とされています。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌと並ぶ、ヒンズー教の最高神です。
「破壊の神」と聞くと何だか恐ろしくなりますが、シヴァは破壊のための破壊を行う乱暴な神ではありません。
世界が終わろうとするとき、いまの古い世界の破壊して次の新しい世界の創造に備えるのが、シヴァの役割。つまりシヴァは「再生のための、破壊の神」なのです。
「我は行く 蒼白き頬のままで」というのは、「目に見えないモノを大切にする」という新しい価値観に基づいた世界を作り上げるために、「目に見えるモノしか信じない」という古い価値観に基づいた世界を、シヴァの精神に則って一度壊してみようという宣言だったのです。
1番の歌詞の中頃には、次のようなフレーズが出てきます。
「ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ」
それに呼応するように、2番には次のような歌詞があります。
「ああ さんざめく名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終われよ」
このフレーズでいう「星」はひとのこと。「砕け散る」というのは、新しい価値観を創造するための破壊を指しています。
そして「せめて鮮やかに その身を終われよ」と告げているのです。』
我は行く、さらば昴よー♫
谷村新司作詞作曲⬇︎『ジャスミン』
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