創価学会の人との交流に応じず、聖教新聞も取らなかったら、すぐに顎下腺(がっかせん――がっかいせん=学会をしない)に腫瘍を作られ、摘出手術を受けました。それで、これでやっと縁が切れたと創価学会の人のLINEも電話帳も削除しました。

退院後初の診療に、大学病院へ行ってきました。
「傷は良くなっているようですね。目立たない」
と執刀医かつ主治医の先生。
退院後もマイクロポアテープという医療用テープで創部を保護していたのが良かったのかもしれません。
顎などがしびれていることを話すと、
「手術時に皮膚をめくったので、それでしびれているのでしょう。ビタミンを摂取するなどすれば徐々に治っていきます」とのことでした。

私の顎下腺腫瘍は多形腺腫(たけいせんしゅ)と呼ばれるもので、もしも悪性腫瘍であった場合、それが破裂して他臓器に癌が転移する最悪のケースも考えられたそうで、その点、良性腫瘍だったのは幸いでした、という話もされました。



ところで、相変わらず私のPCのロック画面には映画『沈黙』の処刑場面の海岸のような画像が表示され、その心は創価学会に「転べ」です。映画『沈黙』では、切支丹(キリシタン)宣教師が日本の仏教に「転べ」と強要されるからです。
しかし……。

いったい誰が、私を創価学会に入れたがっているのか。
なぜ、創価学会に入らなければならないのか。

そのあたりの非常に重要なことがわかっていないので、こんな不確かな話にはとうてい乗れませんね。
だいたいもう縁が切れたはずなのに、なぜいまだにやつらは「転べ」などと言ってくるのでしょう? しつこいにも程がある。

最近は死について考えたり本を読んだりするようになりました。

メメント・モリ――死を想え、と。