私が子供の頃のことですが、父が運転する車の助手席に乗っていたところ、高齢男性の歩行者が車の前輪めがけて倒れ込んできて、ホイールで頭を打ち、けがをしたことがあります。私の側、助手席側の前輪でした。
父は町中だったので徐行運転をしており、前方に挙動の怪しい高齢の歩行者を見つけてブレーキを踏み、ほとんど車が停止した瞬間のできごとでした。けがの程度は軽傷でした。

すぐに警察がやってきて、父は「人身事故加害者」として調書を取られました。
停まった車に向こうから倒れ込んできたのだと父は主張しましたが、取り合ってもらえなかったようです。
この時のことを父は以後しきりに「でっちあげ」と言いつのり、私は小さな頃に「でっちあげ」という言葉を覚えてしまいました。

父母が新婚当時に住んでいた賃貸の大家が熱心な創価学会信者で、執拗な勧誘が嫌になり、逃げるように引っ越した先でのできごとでした。
私たちは親子二代にわたって創価学会を忌避しているため、狙われている感じがすごくあります。

蛇足ですが、父の車にはほかにも、犬が飛び込んできたことがあります。数多い車の中から父の車だけをめがけて突進してきたのです。その時にも私は父の車に乗っていました。
親子二代にわたって狙ってやるからなというメッセージを、子供の頃から刷り込まれていたということでしょうか。現実に、私はその後の人生の中で、父と同じように創価学会を拒絶し、顎下腺(がっかせん)に腫瘍を作られることになります。