皆さんは、「新世界」というドヴォルザークの曲を知っていますか?
実はこの曲:交響曲 第9番 ホ短調作品95《新世界より》
英語だと、Synmphony No.9 in E minor, Op.95 “From the New World”
4楽章からなっているようなのですが、
(本でいうなら、章立てが4つということですね。)
第2楽章に、お馴染みの!?懐かしい曲が入っています。
少なくとも私が小学校の頃は、
使われていました。
放送委員会の子が、決まってこの時刻になるとこの曲をかけていたんですね。
その時間とは、
「皆さん、下校時刻になりました」。です。
これを知った時は、「おぉ〜」と思いました。
なぜ、放送委員会が代々この曲を使っていたのかは、
わかりませんが、
確かに、交響曲 第9番 ホ短調作品95《新世界より》第2楽章:Largoを使っていました。
(ちなみに、この気づきを得られた時に聴いていたCDはこちら。と思ったら、検索してご紹介できるリンクがありませんでした…ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団でした。代わりにこちらを…)
ここで面白いのは、ここからです。
僕らの中には、帰るよ〜という懐かしい音楽として耳に馴染みのあった音楽のタイトルが、《新世界より》というタイトルだったことをあとで知るわけです。
おっ、と思いますね。
多分ですが、そこでの気づきが今日のブログ・タイトルにもあるように、
「新世界は懐かしかった」です。
僕らは新しい世界は見たこともない摩訶不思議な未来を想像したりします。
確かにSFでみるようなすごい未来もあるのかも知れません。
でもどうでしょう。
この音楽、楽曲とそれを通じた長いスパンでの経験を振り返ってみてわかったことですが、
僕らが願っている「新世界」それは懐かしいものではないかということです。
心の故郷に帰っていくようなイメージですね。
ある意味、学校という異空間から家庭という未来を築く場に戻っていく。その時にふさわしい音楽だったのではないかとも思いました。
つまり、学校というのは、決まった空間、現実世界の空間です。どちらかと現在を表している。
そして、家庭、家族の場というのは、将来を作る場であり空間ではないかということもわかってきたのです。
読者の皆さんもお分かりかも知れません、ご存知かも知れませんね。学校での学びを大切ですが、家庭での学びもより重要だということを。
そして、エジソン君の場合などは、小学校いわば退学。
家庭の中で、自由に好奇心を発揮して未来を築きました。
その未来は僕らの生きている現在でもあるわけですね。
僕らは良い未来を想像し、その未来を作ることができる。そしてそれは心の中に、あなたの頭の中に描けるものですが、どこか懐かしいものであることはどうしてか。
それについても少し考えてみましょう。
つづきはこちらで!
http://www.sinya-ono.info/nostalgic-new-world/