怒ったことを怒った時に伝えるのは未熟な証拠! | ほぼゼロから「新世界事業モデル」を創っている田園都市に住む35歳のフツーのブログ

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全てはアイデアから始まる、ゼロからはじめ、ゼロからでも生み出せる時代がやってきた。

それは様々な知識やアイデア、人を巻き込む力。

世界はだんだんと一つになりつつある。

少しずつ変わっていく、一コマを共有できればと思う。




怒った時に怒ったことを伝えるのは、
伝わってしまうのは、
未熟な証拠だ。

なぜか。

それには、いくつか理由がある。

1: 怒ったことが本当に正当かどうかわからないことがある。

自分が怒った時に、
怒ったことが伝わるとそれはよいことに感じるかもしれない。

感情をおもむろに表現するのが適切に感じるかもしれない。

けれどそれが、
正当でなかったとしたら、
後で恥をかくのは自分である。

もし、
それが本当に怒るべきこと・正当なことであれば、

2: 時間をとってその人になんといえば最大限その人に伝わるのか、
なんといえばその人にとって最大の益を引き出すことができるのかを考慮することができる。

「自分のいら立ちを[同じ]日に知らせるのは愚かな者である。しかし,明敏な者は不名誉を覆い隠している」

自戒を込めて...

今度自分が家族と話をする時、
自分が怒った時にそれをすぐに話そうとしているか考えてみよう。

今度自分が会社の人と話をする時、
自分が怒った時それをすぐに態度で示そうとしているか考えてみよう。

怒りを抑えることができるのは美徳であり、
感情を制御できるのは賢さである。

そして、
それは自分にとってよいだけでなく、

夫に妻に子供にとって

それはよい手本を示すことにも、
思いやり敬意を示していることにもなる。

会社の上司にとって、
部下にとって、
同僚にとって、

それはよい手本を示すことに
も、
思いやり敬意を示していることにも
なる。