今朝、久しぶりに「題名のない音楽会」を観た―。

 

アリス=紗良・オットが出演していて、「裸足のピアニスト」と紹介されていた。

(だとしたらコパチンスカヤは「裸足のヴァイオリニスト」ということになる)

そういえば、N響公演でベートーヴェンのコンチェルト第3番を弾いた時も、裸足で登場していた。床が冷たくて足を冷やしたりしないのだろうか、と余計な心配をしてしまったが、本人はリラックスするためだという―おそらくペダルに対する感覚も裸足だとより繊細に反応できるのでは、とも感じる―。聴衆にもリラックスして聞いてほしいとの願いも込められているようだ。流石に尾崎豊と吉幾三とショパンを並べて語っていたのには少し引いたが、言わんとしたいところはわからなくはない。

 

肝心の演奏は、思ったよりエモーショナルに聞こえた―映像の力であろうか―。「ショパン/24の前奏曲」の間に現代曲を挟みこむアイディアは面白く、聞きなれたはずのショパンが少し違って聞こえてくる。

 

 

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今日振り返る記事はマリア・ジョアン・ピレシュの演奏によるバッハ・アルバム。

アリスにはアリスの良さと音楽的主張があるが、それはピレシュも同じで、彼女ほど自然体で自らに誠実な演奏をするピアニストは実に少なく貴重。しかもこのバッハではピレシュならではの創意工夫が大胆なまでに反映されていたのが意外で、感銘を受けた。自らを知り、レパートリーを思慮深く限定している彼女の生き様にも―。

 

 

彼女たちの演奏を通して、ごくシンプルな真理―音楽とどれだけ向き合ったか―を垣間見ることができたひとときであった。

 

 

 

「Echoes of Life」の中にもバッハは存在する―。