今日10月20日に65歳の誕生日を迎えたピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチによるリサイタルDVD。バッハ/イギリス組曲第2番&第3番からはじまり、D.スカルラッティのソナタを6曲挟んで、ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第11番へ―最後にアンコールのような「エリーゼのために」も演奏されている。1986-87年収録。ロケーション場所が世界遺産である北イタリア・ヴィチェンツァのカルドーニョ邸とオーストリアのエッカルツァウ城であるのも豪華の極みで、当時28歳の若きポゴレリチの演奏姿とともに目と心の保養となっている―。

 

 

 

 

 

 

ポゴレリチの映像作品は数種類リリースされているが、当盤ではCDでも愛聴していたバッハやスカルラッティが演奏させていることや、CD録音されていないベートーヴェン作品が聴けるのがメリットだと感じた。AMAZONでは比較的高値で売り出されていたが、HMVサイトで約半値で売られているのを見つけ、即購入した。中古品だが未開封で、とても良い買い物であった。

 

本作は実にポゴレリチの恵まれた素質がいやが上にも伝わる映像である―端正なマスクだけではなく、その大きな体格と大きな手に驚く。グランドピアノが小さく見えるほどなのである。彼の独特の指捌きをカメラがクローズアップする―無駄な動きが全く感じられない。10本の指が正確に、あらゆるニュアンスを伴って打鍵される様は圧巻である。まるで鍵盤を握るかのようなかぎ爪型の手の形が興味深い(観ようによっては猫パンチにも見える―僕だけだろうか)。彼の直立した姿勢も印象的だ―猫背になったり、身体を揺らしたり、椅子が低かったりと、演奏スタイルはピアニストによって様々だが(どれも実際のレッスンでは講師に正されるだろう)、ポゴレリチはギリシャ彫刻のように真っ直ぐに、時折感じ入る表情を浮かべるも、無闇に身体を動かすことも揺らすこともしない―バロック音楽だからかもしれない。それでも感情のこもるサラバンドでは前のめり気味になるし、後のベートーヴェンでは身体の動きがかなり激しくなる―。これらがどのように音楽に作用するのか、そのプロセスを説明できるほど僕はピアノに通じていないが、ピアニストにとってもリスナーにとっても、驚きや発見、啓発が含まれていることは確かである。

 

ライナーノーツでは彼のピアノ奏法を「太極拳のような武術」と比較して、その共通項を見いだしている―実はポゴレリチ自身も自らのピアニズムを「武術」になぞらえていた―。「黒くて巨大なグランドピアノvs格闘家ポゴレリチ」というわけである。彼の燕尾服ではない地味な服装が武道家特有のストイックさを思わせ、ピアノ相手に数々の技を繰り出す、というライナーノーツの筆者の意見に全面的に賛同するつもりはないが、ポゴレリチのピアノへの、そして作品=音楽への向き合い方が尋常ではない集中力と真摯さに貫かれていることは明らかである。次のポゴレリチ自身のコメント通りである―。

 

私は戦い、より深く行く...音の起源を見つけにいきます。 ガレー船の奴隷のように一生懸命働きます。  音は、すべての物理的可能性を完全に探求したときにのみ形而上学的になります。あなたは探検するべきです。 音楽を初めて聴くかのように、常に可能な限り再発見し、新しい意味と新しい深みをあらゆる場所で探し求めてください」 

 

 

 

 

最初に観ることができるのはバッハ/イギリス組曲第2番イ短調BWV807&第3番ト短調BWV808の2曲である。当映像収録の1年前の1985年にスイス、ラ・ショー・ド・フォンで録音された同曲のアルバムが存在する―僕も長らく愛聴していたCDである。つまりポゴレリチにとって今回の映像盤は再録音となるわけだが、本人にとってはかなり思い入れの深い曲のようである(10代の頃に演奏した動画が残されている)。

 

1985年盤については、録音を巡るエピソードがある―スタジオ入りし、ピアノの前に座った段階でも、自分なりの本当の解釈、演奏を見いだせずに、弾き方を決めかねていた時、ある瞬間、ひらめきが降りてきた。気づいたら11時間、ぶっ通しで繰り返し弾いていたそうだ。「アルバム20枚分のテイクが録れましたよ」―というのは(半日以上寄り添った)エンジニアの言葉である。おそらく、その中でのベストテイクが選ばれたことだろう。

 

ポゴレリチの演奏で忘れてはいけないのが、師であり妻でもあったアリス・ケゼラーゼ(1937-96)の存在である。既婚者でありピアノ教師でもあった彼女に当時18歳のポゴレリチが猛烈にプロポーズ、21歳年上の彼女は一旦は拒否したものの、後に受け入れた。ポゴレリチにとっては「運命の人」であったのだろう―彼女を癌で失った後のポゴレリチは一時期演奏活動から遠のいていたが、その姿をいつまでも隠さなかった。その頃の演奏は聞くに堪えないほど音楽が分解され「壊れて」いたが、現在の「復活」に至る必要な過程であった―。そしてアリスの方もポゴレリチの才能をこのまま埋もれさせたくなかったのかもしれない。彼女はリスト-ジロティのピアノ流派を継承しており、それがポゴレリチのピアニズムのベースになっている。

 

ジロティの編曲で一番有名なバッハ/前奏曲ロ短調BWV855a。

ソコロフによるコンサート・ライヴのアンコールにて―。

 

 

アリスが存命していた間、彼女は常に師であり、DGに残した数々の録音はポゴレリチとアリスとの「共同作業」であった。ポゴレリチの演奏で時折感じる対照的で二律背反の要素―大地に楔を打ち込むような低音と羽根のように軽やかに舞う高音、猛烈な高速スピードとじっくりと沈滞する時間感覚、透明なタッチと悪魔的でドロドロした音色、明確なプロポーションと逸脱する構成感、他には聞かれない独自の譜読みによる解釈など―は「2つの頭脳」によって生み出されていたと考えると、腑に落ちるところが僕としてはあるのだ。

 

このバッハも例外ではない―再録音ということもあり、さらに磨きをかけたことだろう。この1986年盤は基本的に1985年盤と解釈は変わらないが、全曲リピートしていた旧録音に対して当録音ではプレリュードにて一部リピートを割愛している。演奏タイムを比較すると(リピート割愛の部分を省いても)若干当盤のほうが速いようであるが、おそらく間や余韻を生かしているからであろう、たとえばサラバンドの装飾変奏では音の扱いにより沈滞した表情が聴かれる。特に第3番ではそれが顕著で、サラバンドが旧盤より1分以上長く演奏されているのが印象的である。新旧盤と共通して、冒頭のプレリュードや舞踏楽章のダンサンブルなピアニズム&コントロールは圧倒的で惚れ惚れさせられる。しっとりとした情感が極めて魅力的なアルマンドはロケーション場所の違いもあってか、旧録音盤のほうが素晴らしい―「ラ・ショー・ド・フォン」の音響は世界最高レベルである―。当映像盤のロケーション場所であるカルドーニョ邸の一室はルネッサンスの建築家の設計によるインテリアが素晴らしく、ピアノのサウンドと残響とが程よくブレンドされ、粒立ちの良いタッチが克明に収録されている。

 

なお、タイトルの「イギリス組曲」の詳細な由来は不明のようであり、僕の住んでいる地域のソウルフードである「イギリストースト」と同じくらい、イギリスとは直接関係はないらしい―。

 

 

 

 

13歳頃に撮影された演奏風景。アルマンドを美しく弾いている。

この時点で飛びぬけた才能であることは明白―。

 

1985年盤の音源を―。LPから起こしたものらしい。

 

2020年マドリードでのコンサートより。いつもの試弾に始まる。バッハは

イギリス組曲第3番が演奏されているが、若い頃の面影は聞かれない。

 

 

同僚たちがみんな帰ってしまったあとのオフィスに、彼は一人で残って仕事をしている。机の上に置かれた小型CDプレーヤーから適度な音量でバッハのピアノ音楽が流れている。イヴォ・ポゴレリチの演奏する『イギリス組曲』。彼は半ば無意識のレベルで音楽の流れをたどりながら、コンピュータの画面をにらみ、指先をポゴレリチに負けないほどのフルスピードで動かしている。無駄な動きはない。そこに18世紀の精緻な音楽と、彼と、彼に与えられたテクニカルな問題が存在するだけだ

 

村上春樹/「アフターダーク」より―。

 

(ポゴレリチのような打鍵でPCのキーボードを叩くのはおすすめできない)

 

 

 

 

 

後半のプログラムは1年後場所をオーストリアに移しての収録となる―ロケーション場所の「エッカルツァウ城」はウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートでのバレエが踊られる場所としても知られる(2024年のコンサートはクリスティアン・ティーレマンが指揮。生誕200年のブルックナー/「カドリーユ」のオーケストラ編曲版が初登場する予定)。オーストリア最後の皇帝カールが過ごしたという豪華なシャンデリアが印象的なサロンの一室でスカルラッティとベートーヴェンが演奏される。こちらの方がピアノの響きが良い感じがする。

 

 

 

ブルックナーのピアノ曲「カドリーユ」より。1835年製のベーゼンドルファー

によるくすんだ音色が心地よい。

 

 

 収録されているドメニコ・スカルラッティのソナタは「ハ長調K.487/ホ長調K.20/ホ短調K.98/ト短調K.450/ニ短調K.1/ハ長調K.159」の計6曲が選ばれている(1991年の再録音盤にも含まれている)。ハ長調で挟む曲構成、長短調それぞれ3曲ずつで、調性の並びが考慮された選曲である。ポゴレリチはスカルラッティのソナタが指慣らしやアンコールピースとして安易に扱われていることを非難していた。実際、彼はコンサートの半分をスカルラッティのソナタで埋め尽くし、メインプログラムとして機能することを証明してみせていた(クレメンティのソナタについても同様の意見のようだ)。ピアニストの全ての素質が露わにされるリトマス試験紙のようなスカルラッティのソナタは、抜群のリズム感と美しい音の粒が転がるようなポゴレリチのピアニズムにぴったりだ。短調で見せる深い憂いある表情も素晴らしい―91年盤のロ短調K.87は絶品だった。ここに収録されていないのが残念―。スカルラッティのソナタはホロヴィッツやスコット・ロスの演奏が有名だが、僕はポゴレリチの演奏が一番しっくりきている。本来チェンバロの楽曲だが、ただ単にピアノでも弾ける、というレベルではなく、モダン・ピアノならではの表現を駆使しているのが魅力的だ(特に緩徐部分の深い呼吸感、メディテーションの感覚など)。その上、鍵盤の重さを感じさせないテクニカルな要素を申し分なくクリアしているのだから、ただただ恐れ入るばかりである―。

 

1990年のライヴ音源より、ト長調K.13&ニ長調K.119を―。

 

葬送の雰囲気すら漂う、ロ短調K.87。ポゴレリチのピアノはどこまでも

深い表情をたたえる―。

 

先日亡くなったアナトール・ウゴルスキによる1993年ライヴ音源。

彼にはスカルラッティ・アルバムを残してほしかった―。

 

 

 

 

続いては「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第11番変ロ長調Op.22」(ゾロ目の番号が連続)。高い創作意欲が継続していた時期に作曲されていることもあり、覇気とユーモアと叙情性が渾然一体となったソナタである。最近初期ソナタを聞く機会が増えていたので、こうしてポゴレリチの演奏を楽しめるのは嬉しい限り。CD録音にもないので貴重である。

 

第1楽章の冒頭にはpの指示があり、創意を感じる。かと思いきや、f 指示+ユニゾンで上下スケール進行するフレーズがあったりと「ベートーヴェンの音楽らしい」アイディアに溢れている―ライナーノーツでは「プロメテウス的」と述べている―。これから冒険が始まるかのような、快活な楽章である。第2楽章は「ゆっくり、表情豊かに」演奏されるが、たとえば「悲愴」ソナタの第2楽章のようなカンタービレではないので、歌謡性が強調されることはなく、ただ自然の中で和んでいるかのような、静謐な雰囲気の緩徐楽章となっている。それが第3楽章以降、まるでシューベルトのような叙情性と親しみやすさを兼ねた音楽となるのだから面白い。このソナタの作曲は1800年。シューベルト最初のソナタは1815年作曲なので、ベートーヴェンがシューベルトを模倣した可能性は低いだろう―その逆の可能性は極めて高い。何といってもベートーヴェンはシューベルトのアイドルだったのだから―。でも第3楽章メヌエットはまるでシューベルトのソナタ終楽章のように響く。繰り返されるトリルは晩年のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調を思い出させる(先駆的?)。一方で、ト短調の中間部はシューマン/フモレスケOp.20~間奏曲との類似が指摘されている(どこかで聴いたことがあると思ったわけだ)。ロンド形式のフィナーレは自身のピアノ・ソナタ第4番と同じであり、ベートーヴェンがこの11番を初期ソナタ作品の総決算と考えていたことを思い出させる。繰り返されるテーマの可憐さはシューベルトを感じさせるが、同時期のベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」の終楽章に通じるものがある―こちらも同じロンド形式―。だが、もっと近いのはエルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ(1735–92)が作曲した「ソナタ第22番変ロ長調」(1779)である。音楽史的な裏付けはないが、ベートーヴェンが参考にしたといってもおかしくないほど似ている。

 

ポゴレリチの演奏は前曲のスカルラッティの長所がよりパワーアップして活かされている。第1楽章では若きベートーヴェンにふさわしい精力的な音楽を構築、ユニゾンでの力強さも精悍だ。一転、第2楽章ではポゴレリチの瞑想的な特質がいかんなく発揮される。シューベルト風の後半楽章も優しく歌われるが、フィナーレの中間部、短調に変わるパッセージでは嵐のような激情が姿を現わす。音色もがらりと変え、闘争的になるのが素晴らしい。そして何事もなかったかのように可憐なテーマが装飾を伴って戻ってくるのである―。

 

シューマン/フモレスケOp.20~間奏曲。アラウのピアノで―。

 

和やかな雰囲気のジャケットが印象的なクレーメル&アルゲリッチによる

「春」の第4楽章を―。まだこの時期はピアノ優位のソナタか。

 

E.W.ヴォルフ/ソナタ第22番。1785年製のフォルテピアノによる演奏―。

 

 

 

 

最後は超有名な「エリーゼのために」が収録されている―ベートーヴェンの作品の中では「運命」「第九」に並ぶほど、そしてピアノ曲のなかでも(全クラシックのなかでも)有名な曲である。ピアノを弾く人にとっては目標でもあり懐かしさもあるだろう。でも数多くの作品に触れたリスナーにとっては縁遠い楽曲かもしれない(正直よほど好きでもない限り、わざわざ聴こうとは思わないのである)。もし聞くとすれば、今回のように弾かなそうなピアニストが弾いた場合だろう―僕がこの「傑作」の価値を十分認識していないだけだとは思うが―。CDではウゴルスキが弾いた演奏が強く印象に残っている(これが一番かもしれない)。まさかポゴレリチが弾いているとは思わなかったので、今回改めて作品を深く味わうことができた。

 

原タイトルは「バガテル イ短調WoO59」。「エリーゼのために」という標題はベートーヴェンの生前未出版だったこの曲が1867年に出版された折、現在は失われている自筆楽譜にあった献辞に基づいている。ベートーヴェンの場合、彼の「不滅の恋人」の正体が話題になったことがあったが、この「エリーゼ」にも少なくとも4人の該当者が想定できるという。

A–B–A–C–Aのロンド形式による短いこの作品、僕がベートーヴェンらしいと感じるのは半音階で進行するCのパート。ひたひたと情熱が高まってくる素晴らしい瞬間である。ポゴレリチの演奏はmpとppの間を行き来するようなしっとりとした印象。快活になるBやCパートでも無闇に音量を上げようとはしない。何段階にも渡り、数々のスケッチ帳を行き来し纏められた(最初の構想は「田園交響曲」と同じ1806年であるとされる)、作曲者にとっても思い入れの深いこの作品をポゴレリチは密やかな「ラヴレター」として、あくまでも静かに奏でている。映像はポゴレリチの憂いを含んだ表情がクローズアップされて終わる―。

 

ウゴルスキによる演奏―全編ゆっくりなテンポが心地よい。

 

 

 

 

ポゴレリチの解釈は、言葉では言い表せないほど美しく、魅力的です。彼のサウンドは純粋な詩であり、非常に感情的ですが、まったく感傷的ではありません。私たちは彼の新しくて過激な自然さ、彼の高貴さ、尊厳、厳しさ、そして冷静さによって催眠術をかけられています。私たちを不思議、エクスタシー、瞑想、愛、思いやりの状態に連れて行ってくれます 

 

 

DVDがまるっと動画に―。ポゴレリチのピアニズムを堪能してほしい。