「教授」こと坂本龍一(1952-2023)による絶品のエレクトロニカ・アルバム。生前にリリースされた最後から2番目のアルバムであり、前作「out of noise」から8年ぶり、持病による長期療養の復帰後初のアルバムでもあった。2017年リリース作品。
多くのリスナーや音楽ファンは「戦場のメリークリスマス」を挙げるかもしれないが、僕が最初に教授の音楽を意識したのは「energy flow」だった(「教授」という愛称はYMO結成時に坂本氏が大学院生であることに驚いた高橋幸宏が命名したらしい)。エレクトロニカが好きになってからは、フェネスやアルヴァ・ノトとのコラボレーション・アルバムやリミックス版をよく聞いた。クラシカルなものだと、グバイドゥ―リナ作品とカップリングされた教授初の「箏とオーケストラの協奏曲」を収録したアルバム「点と面」があった―箏奏者・沢井一恵に献呈。彼女のソロ、佐渡裕/兵庫芸術文化センター管弦楽団のライヴ演奏盤―。図書館から「commmons schola」シリーズを借りて、講義を読みつつ付属されたCDを聞いて音楽の見聞を拡げたのも懐かしい思い出である。
(実は、ある時期の坂本氏の状況が僕のアイデンティティと重なる部分があり、奇妙な連帯感を勝手に抱いていた。具体的なことは―僕の深い部分に関わるため―記述を控えたいと思う)
当アルバム「async」は、教授が3月28日に亡くなってから(公表されたのは4月に入ってからだった)、追悼の意味も込めて聴きたいと思っていた。最期のアルバムとなったピアノ・ソロによる「12」は、何故か不思議と心に響かなかった―ブラームスの後期ピアノ作品集を思い出しはしたが―。ある時期から教授のピアノ演奏はテンポが遅くなったという。その指摘を友人から受けた時、教授は音の共鳴や余韻に耳を傾けていたことに気づいたそうだ。教授はピアノを弾くことを「豆腐を切る」ことに例え、インタビューでこう語っていた―。
「豆腐はとても優しく切らなければ、崩れてしまいます。この表現が大好きで、私もそうなりたいものです。まだそれには若すぎるでしょう。80くらいにならないと」
―15年後ですね。
「そうですね、15年の歳月を重ねて。細野さんとその会話をして以来、歳をとるのが楽しみになりました。豆腐を切るみたいにピアノを弾けるようになりたいものです。こうしたことが、歳を重ねていく上での希望ですね」
冬 春 夏 秋―「4つの定常状態、あるいは人生」を表現
「energy flow」。多分このCMで知ったのだと思う―。
教授のピアノとアルヴァ・ノトとのコラボによる「Vrioon」(2003)。
2016年の即興演奏。草間彌生展のオープニング・コンサート。
ここでのサウンドは「async」との関連を感じさせる。
2016年のインタレーション作品。リゲティなどを思い起こすサウンド
が素晴らしい。CDの再販を望む―。
アルバムのプレビュー動画。制作中の教授の姿とともに―。
教授自身の手によるライナーノーツには、アルバム制作のいきさつとプロセスが一部記されている―当初はもっと早く取り組む予定だったのが、病気の発覚で中断。これを機に全てのアイディアを白紙に戻し、ゼロから取り組むことにしたという。
「生涯で最も死に近づいた体験をしたからです。これは大変貴重な経験で、その体験を深く掘り下げたかったのです。この体験を音楽に反映しようとしたわけではありませんが、深刻な体験だったので、なにかしら自然と反映されているでしょう」
(インタビュー記事より)
「過去にやったことは繰り返さないよう、毎回何か新しいことをしようと精一杯努力した」という教授―特にこのアルバムにはその拘りが強く感じられる。白いキャンバスに点が1つあり、2つ目の点を見つけるとそれらを繋ごうとしてしまう、もう1点見つけたなら三角形を結んでしまう、そんな人としての自然な傾向、すべての事物に意味を見出そうとする脳の習性を否定した上で、作曲を試みたのだという。それは実際の作曲行為からできるだけ遠くに離れることをも意味したに違いない。アルバムではあらゆる音が公平に扱われ、林の中を歩く足音や雨音―彼は水の流れる音に魅せられていた―、和楽器の響き、朗読の声などが音楽に溶け込んでいる。こう書くと必然的に「ジョン・ケージ」のことを思い出してしまう(奇遇にもケージの代表作「4分33秒」が作曲された年に坂本氏は生を受けている)。やはり現代の作曲家はケージの影響から逃れられないようだ―19世紀の作曲家がベートーヴェンの影響から逃れられなかったように。あるいはピアノによるバッハ演奏がグールドの影響から逃れられないように―。ただ、教授の場合は少し異なるかもしれない。「影響」というより「共感」に近いと思う。
結果生まれた「async」はその名の通り「非同期」の音楽となった―あえて言うなら「1%としての自分」にのみ同期するのである―。本人もその出来に満足したようで「あまりに好きなので、誰にも聴かせたくない」と思ったほど。ただ、アルバムは「完成した」というよりも(画家が頃合いを見計らって筆を置くように)ここまでにしておこう、というタイミングを計った結果に過ぎない。「一筆書きの良さ(をできるだけ残そうと)非常に神経を尖らせていた」という教授の言葉には真に迫るものを感じる。
「『async』をとても誇りに思います。90年代頃は、偽R&Bのような音楽を作っていました。偽のハウスや、偽のヒップホップのような音楽をも。これらはあまり満足いっていません。いっそあの時代を抹消したいとも思います」
「4分33秒」の数ある演奏の中でも好きなヴァージョン。
ペトレンコ/BPOによる豪華で音楽的な沈黙―。
当アルバム2曲目「disintegration」にはプリペアド・ピアノが使用されている。
トラック13「honj」では三味線が用いられる。タイトルは奏者の名前に由来?
「out of noise」(2009)より。笙が用いられたり、ヴィオール合奏で
フレットワークが参加したりと興味深い―。
グールドによる最もロマンティックなアルバム。まるで自分のため
だけに弾いているようなプライヴェートな雰囲気に満ちている。
「ブラームス/間奏曲」のオマージュ作品。教授にも絶賛された
岡城千歳による起伏の豊かな演奏で―。
僕はブログ執筆の予定をほぼ月単位で計画していて、投稿する前の一週間前後は必ずといっていいほど記事で扱うCDをリピートして聞いているのだが、今回の「async」はその都度、新鮮な感覚を及ぼしてくれた稀有な音楽であった。実際「エレクトロニカ」は玉石混合で、独創的な真の傑作と言い得るものはごく僅か―当アルバムはその中で間違いなく「真の傑作」と断言していい。
全14曲―どれもが聞き逃せないが、第1曲目「andata」から心を持っていかれてしまう(実にずるい曲だ)。ピアノによるメランコリックなモノローグがノイズとともにオルガン的な音色に変容し、増幅されてゆく。このトラックで共演しているのは教授と長年コラボレーションを果たしてきたクリスチャン・フェネス。ギターを用いたノイジーな音響を添えている。
映像は「Under The Skin」 (2013)による―。
フェネス/「Mahler Remix」(2016)より。マーラーのモティーフが明滅する。
トラック03「solari」や05「walker」、06「stakra」というタイトルは、教授がアルバムのコンセプトを「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」と据えていたのを思い出させてくれる(「惑星ソラリス」「ストーカー」)。特に「solari」はバッハのコラールを意識した音楽を目指したという。
「惑星ソラリス」で用いられたバッハのコラール「われ汝に呼ばわる、
主イエス・キリストよ」と当アルバム「solari」を並列してみる。
教授が弾いたバッハ。特に晩年はバッハに惹きつけられていたという。
林の中を歩く音、枝葉を踏む音が全編で聞こえるアンビエント。映画
「ストーカー」でゾーンへの案内役が「ウォーカー」と呼ばれていた。
しかし、より直接的にタルコフスキーと関係するトラックは11曲目「Life,Life」だろう―ここではタルコフスキーの父で詩人でもあるアルセニーの詩を、教授の盟友デヴィッド・シルヴィアンが朗読しているのである(ライナーノーツにはその詩「And this I dreamt, and this I dream」が載せられている)。映画繋がりでは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「シェルタリング・スカイ」(1990)―「ラストエンペラー」に続き、坂本氏がサウンドトラックを担当した―の原作から、教授が「心に突き刺さっている」という最後のセンテンスを用いたトラック08「fullmoon」がある。そこでは何と10の言語で(!)10人の友人知人の朗読―ベルトルッチ監督も参加―によるサウンド・コラージュが展開される。教授も「このような贅沢な時間は二度と訪れないかもしれない」と述べたほどである。
「あと何回満月を眺めることがあるだろう?」
(20回は見れるとはいわれているが)
教授最期の自伝―。
このアルバムでもう1つ、取り上げるべきは「津波ピアノ」についてである―。
「津波ピアノ」は宮城県農業高校で長年愛用されていたグランドピアノだった。しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災で津波に襲われて、泥水に浸かった。坂本氏がそのピアノに出会ったのは翌年1月、被災した学校の楽器の修復支援をしている時だったという。当初は「ピアノの屍骸」だと思うほどショックを受けたが、次第に坂本氏は「津波によって生まれた音」に強く惹かれるようになる―。
「水分で膨らんでいたり、メカが錆びついていたりで、かすかに音は出るけど鍵盤を押し上げないと戻らなかったり、まったく音が出なかったりでした。高音の方は、塩水で弦が錆びてだいぶ切れちゃってました。切れた弦を手で弾くとガムランのような良い音がして、もちろん鍵盤では弾けないわけですけど、いい体験でしたね」
坂本氏は廃棄されようとしたそのピアノを引き取り、アート作品として再生させ、当アルバムで使用することになる。
「普通なら壊れた楽器ということで破棄されるのだけれど、僕は、その響きを聴いて、これは自然が調律したんだと感じた。むしろ人間がする調律のほうに無理があるんじゃないかと。我々が使っている平均律というシステムは、自然の感覚じゃなくて数学的に無理やり作ったものですから」
トラック04「zure」。ここで「津波ピアノ」が使用されている。
それにとどまらず、このピアノの存在は教授自身に深い影響を及ぼし、愛用してきたピアノの調律もやめてしまった―病気が発覚した坂本氏にとって「津波ピアノ」が自身を投影する存在となっていたのである。
「津波ピアノと大災害は、大きな自然な力が及ぼしたものでした。それと、ぼく個人の病気。同じことなんだと強く感じました。津波ピアノで知ったことと、がんになって知ったことはすごく似ている」
「「生老病死」という言葉がある。味気ないですけど、生まれて老いて病気になって死ぬ。それは自然なこと。一方で人間のする、考えたり音楽を作ることは反自然的なことですね。台風や地震が起きるのも同じこと。これは自然が調律している自然のプロセス。人が死に向かうのは自然なこと。でも、それを見て、調律してあげたいと思うのも、人間として自然なこと。僕自身すごく調律しました。自然に抗ってるなぁって思います。自然の流れだとわかっていても、あれが食べたいとか、音楽を作りたいとか。まだまだ、生きたいんだろうなぁ。意味はなくても生きたいって」
音楽に、目の前の世界に、そして何より自分自身にどこまで向き合った教授―。
僕にとっては、教授の存在は「音楽」そのものとなっている。
タイトル曲。クセナキスを思わせる暴力的な音響だが、非同期の
フレーズが徐々に同期してゆく様が描かれているように思う。
トラック07「ubi」。ピアソラを思わせる哀愁のこもった音楽が印象的。
ブログの最後に、教授がNYの行きつけのレストラン「Kajitsu」のために作成したプレイリストの動画を紹介したいと思う―全47曲3時間以上にわたる、広範囲なジャンルからの選曲。教授の音楽の嗜好が伺える素敵なプレイリストである。
なお、坂本氏は事あるごとにプレイリストを制作してきたようだ―子供の勉強のためのプレイリスト(音楽を聞きながらの学びには賛成だった?)、闘病する母のため病室でずっと流せる24時間のプレイリスト、自身の葬式に流すプレイリストなど…。
幸い、「最後」のプレイリストもYouTubeにUPされていたので添付する。
【NEWS】
— TURN (@turntokyo) May 15, 2023
坂本龍一“最後”のプレイリストが公開された。生前「自分の葬儀で流すために」選ばれたもので、アルヴァ・ノトに始まり、バッハ、ドビュッシー、ラヴェル、モリコーネ、ニーノ・ロータ、デヴィッド・シルヴィアン、そしてローレル・ヘイローまでの33曲となっている。https://t.co/HsXgsZ1rrA
asyncのような音楽に正解はないので、ぼくが出した答えは100パーセント恣意的なものだ。たとえば、まだ登ったことのない山に地図もなく登るようなもの。一つの山を越えると、次の山が見えてくる。それがいつまで続くのか自分にはわからない。
坂本龍一