仕事帰りに偶然寄ったブックオフにひっそりと売っていたアルバム。アフリカ系アメリカ人ピアニスト、アワダジン・プラットのデビュー盤。最近聞いていたフランク関連の作品を含む魅力的なプログラムに惹かれて購入―。2022年最後に購入したCDとなったが、実は同タイトルの記事を用意していて、思いがけなくこちらに差し替えとなった。

 

 

 

 

その存在は知っていたが、今回聞くのは初めて―。

ドレッドヘアとドレスカジュアルなファッションが個性的な彼だが(普段クラシックを聞かないような若い層からも興味を持ってもらうためだという)、グールドの影響を公言しており、特製の低い椅子に座ってピアノを弾く―。ライナーノーツによると、演奏前、ピアノに拝礼し、黙祷を捧げてから弾き始めるのだという。レパートリーもバッハやベートーヴェン、ブラームスなど、やはり先人を意識した内容となっている。もちろん、スタイルを真似したからといってグールドのように弾けるわけではない―本人以外それは不可能である―。実際聞こえてくるサウンドは随分印象が異なる。グールドは稀に見る完璧なヴィルトゥオーゾだったが(同様のヴィルトゥルジィが手に入るのであれば、多くのピアニストは悪魔との契約も辞さないだろう)、プラットからも紛れもないヴィルトゥオーゾの姿が見える。優しく繊細なピアニッシモから、(グールドがあからさまに避けていた)芯のある最強音に至るまで、遺憾なく技巧が駆使される。グールドのような弾き方であれば、ソフトで素早い打鍵は可能だが量感のあるフォルテッシモは得られないイメージだが―そこが魅力的なのだが―、プラットの場合は豊かな音量と伸びやかで弾力のある音に圧倒される。よぽどしなやかで強靭な指と手首なのだろう(普通ならたちまち故障してしまう)。オッリ・ムストネンもそうだが、独特なピアニズムといえよう。

 

椅子を低くして、グールドの弾き方を取り入れてから、手首と指の動きが柔らかくなって、僕が求める音が出るようになった。でも、グールドからは、音の出し方とかアクセントの付け方とか、技術的なことだけでなく、ピアニストとしての生き方そのものに啓示を受けましたね

 

(ライナーノーツではプラットのことを「90年代のグレン・グールド」と紹介されている)

 

それにしても、奏法が同じでも生まれるサウンドがこうも違うとはとても面白い―。やはりグールドの音は極めて意識的なのだ。そしてプラットの音も同様である。明るい音色、豪快なヴィルトゥルジィ。でも彼の美質は繊細な音に最もよく表れているように感じられる(もしくは壮絶なフォルティッシモとの対比に)。聞くたびに何かしら感じさせてくれるタイプのピアノ。聞けば聞くほど味わい深くなるのかもしれない―数か月後には愛聴盤になっているかも。

 

ピアノだけではなく、ヴァイオリンや指揮も行うプラット―実はボルチモアのピーボディ音楽院において、これら3つの学科で卒業証書(ディプロマ)を得た創立以来最初の学生だったという。ピアノに専念する前はテニスプレーヤーとして活躍していたという経歴も珍しい(手首の柔軟さはここから来ているのか?)。ピアニストとしての実力が認められて、ホワイトハウスでも数回演奏する機会にも恵まれたという。指揮者としても活躍し、日本のオケとも共演したことがあると聞く。音楽教育にも熱心で(多くのアーティストに共通するスタンス。反田恭平もそうだ)、大学でのレクチャーは大変人気があるらしい。2011年からは若いピアニストの芸術性を高める目的で「アート・オブ・ザ・ピアノ・フェスティバル」を主宰、国際コンクールの審査員にも頻繁に招待されている。

 

2009年ホワイトハウスでのコンサートより。バッハ/パッサカリア

とフーガハ短調BWV582のピアノ版を―。

 

何とセサミストリートにも出演。美しいピアノ演奏を披露―。

 

プラットが意識しているというヤニック・ノア。テニスプレーヤー

であり歌手でもある。

 

マスタークラスでの様子。ユーモアを交えつつ熱意を込めて。

 

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30番~第3楽章。セカンドアルバムより。

 

ブラームス/チェロ・ソナタ集もレコーディング。

 

2021年の演奏。彼の手にかかるとショパンも思索的な印象を帯びる。

 

 

 

 

 

 

さて、当アルバムはEMIレーベルから1993年にリリースされたプラットのデビュー盤。国内盤では「孤高のピアニスト、デビュー!」みたいな(どうしようもない)タイトルだったが、原タイトルは「A Long way from Normal」。彼がイリノイ州ノーマルで過ごした子供時代と関係のあるタイトルのようだが、「普通」から脱却した「長い道のり」を描いた、という深読みも可能だと思う。

 

プログラムは以下の通り―。

 

1. リスト/「葬送曲」

2. フランク/前奏曲、コラールとフーガ

3. ブラームス/4つのバラード集Op.10

4. バッハ(ブゾーニ)/「シャコンヌ」

 

 

 

アルバム最初はリスト晩年の傑作/「詩的で宗教的な調べ」S.173~第7曲「葬送曲」。「1849年10月」という副題があり、革命により処刑されたリストの知人らへの追悼の意が込められているという―タイトルの原語は「Funérailles」と複数形になっている―。また、ショパン/ピアノ・ソナタ第2番やポロネーズ第6番「英雄」を思わせるフレーズがあることから、ショパンへの葬送曲という意味合いもあるのでは、という見解もある(彼の命日は「1849年10月」だった)。「葬送行進曲」「亡き人との生前の美しい思い出の回想」「亡き人の生前の栄光を讃えるファンファーレ」に相当する部分が聞かれるが、明確に区分されているわけではない。

重厚なイントロダクションに続く沈痛な葬送行進曲は聞いてて気が重くなるほど。それだけに「回想」部分の美しさは比類ない―この構成はショパン/葬送行進曲と同じである。あちらも中間部が夢見るように美しい―。「ファンファーレ」の部分は「英雄ポロネーズ」の中間部とそっくりであるが、こちらの方が技巧的にも凄まじい。コーダ付近の「Piu Lento」と指示された時間が止まるかのような「回想」の再現は心憎い演出である。

 

当音源より。プラットの演奏には強烈な印象を受けた。オクターヴの嵐

を強靭に奏でるが、明るい音色が深刻さから救っている気がする。

 

ショパン/ピアノ・ソナタ第2番「葬送行進曲」より。独創的な解釈

のラフマニノフ盤。葬列が近づき、去ってゆく―。

 

 

 

 

2曲目は「フランク/前奏曲、コラールとフーガ ロ短調」。このアルバムの目玉である。先日投稿した「フランク/オルガン名曲集」のおかげですっかりフランクの鍵盤音楽に魅せられた僕だが、フランクの代表的なピアノ作品といってもいいこの曲を見逃すことはできない―。

フランクにとっても約40年ぶりの作曲となったピアノ曲―矢代秋雄によれば、この数年後に生まれる「前奏曲、アリアと終曲」と姉妹関係にあると評される。もともとはバッハのような「前奏曲とフーガ」の予定だったが、後にコラールを挿入することを思い立ったのだという。タイトルこそは何の外連もない「そのままの音楽」の印象だが、実際は形式を逸脱するかに見えるほど自由にテーマが扱われる。そのため賛否両論が絶えなかったらしい。アルフレッド・コルトーは「天才の表現力が本来は峻厳なものである形式を人間的かつ柔軟なものにし、我々に対して悲壮で抵抗しがたい支配力をふるうのである」と賛辞を述べ、フランクの弟子であるダンディも「前奏曲とフーガ」の形式の刷新に大きな役割を果たした作品と讃えるが、サン=サーンスのように形式を重んじる人々からは「不体裁で弾きにくく、際限のない脱線が続けられる音楽。ここでの『コラール』はコラールではなく、『フーガ』はフーガではない」とまで批判を受けた作品でもある。

 

各曲は「バッハ主題」や、平均律、カンタータやロ短調ミサを想起されられるよテーマやフレーズに満ち、バッハのオマージュのような印象を受ける。でもバロック的というよりは遥かにピアニスティックでロマン的、ワーグナーのような濃厚な音楽が展開してゆき、フーガの後のロ長調によるコーダは極めて輝かしい。

プラットの演奏は、本領発揮ともいうべき音楽を聞かせる―特にコラールの静寂は実は素晴らしい。ダイナミクスの対比も圧倒的で、陶酔的ですらある。

 

当音源より―。この出会いに感謝、である。

 

フランクにオルガンを師事したピエルネが1933年にオーケストラ

編曲したヴァージョンで―。

 

「前奏曲、アリアと終曲」。フィオレンティーノの艶やかな演奏で―。グロトリアンを弾いている。


 


 
3曲目の「ブラームス/4つのバラード集Op.10」は昔から好きでよく聞いていた曲。初期の作品ながら、どこか晩年の風情が既に感じられるのがブラームスらしい(特に第4曲がそうだ)。名盤として知られるミケランジェリ盤やグールド盤などで親しんだ作品だが、最も愛聴したのはアファナシエフ盤。感情が冷却され、絶対零度のテンポとタッチで奏でられる極寒のブラームス―というイメージだが、クリスタルな響きが極めて美しい。疾風怒濤の若きヨハネスの音楽の変貌を聞くことができた貴重盤だ。
 

 

それに比べ当プラット盤はずっと普通の演奏に聞こえる(当然か)。僕の耳にはサラサラと流れていくように聞こえて少々物足りないのが正直なところ。第2曲など美しく魅惑的なタッチが耳を据えるが、最も聞き応えがあるのは第3曲かもしれない―独特のリズム感にシューマンが「悪魔的」と評した表現がぴったりだ。コントラストとして優しい慈悲の光が差すかのような中間部にはハッとさせられる。

 

おそらくはショパンが初めて開拓したピアノによる「バラード」だが、このブラームス作品において「物語」が下敷きになっているのは第1曲だけだろう。ヘルダーの詩集にあるスコットランドの民族詩「エドワード」が作曲にきっかけになっているという。「父殺し」という陰惨なテーマでエディプスコンプレックスのような内容だが、ブラームス自身興味を示したのか、後で歌曲の題材に採用している。

 

4つのバラードとロマンスOp.75~第1曲「エドワード」。父を殺めた

息子を責める母とが二重唱で忠実に再現されている。

 

 

全4曲はそれぞれ「ニ短調-ニ長調-ロ短調-ロ長調」という調関係にあり、第3曲以外がアンダンテ指定であるのも特徴的。ただ、カンティレーナのように美しい第2曲―ピアノ・ソナタ第3番の第2楽章を思わせる―の中間部ではテンポが2倍になり(「doppio movimento」)、何者かが乱入するかのような場面が用意されている(「シューマン/クライスレリアーナ」終曲のオマージュだという意見も)。

最も長い第4曲はシューマネスクな美しさに溢れているが、僕にはシューベルトの世界に通じる音楽にも聞こえる―どちらも「手の届かないものに対する郷愁」のような感情を抱かせる。「親しみのある感情をもって。しかし旋律をあまり強調しないように」という指示が与えられており、穏やかさと沈痛なフレーズが交替を繰り返す詩的な音楽である―。

 

ブラームスは完成したOp.10を当時エンデリヒで療養していたシューマンに贈っている。感激したシューマンは後日クララに手紙を書き送る―最初のバラードは素晴らしく斬新だったようだが、第2曲の「doppio movimento」は理解に苦しんだ(オマージュは伝わらなかった?)。シューマンはこの2曲をアダージョ楽章、第3曲を「悪魔的なスケルツォ」とする「ピアノ・ソナタ」の姿を思い描いたようだ。長調と短調を行き来する第4曲に自らの音楽的雰囲気を感じることはなかったようである。

 

全4曲をスケール感たっぷりのソコロフの演奏で―。

 

当音源より、第3曲「間奏曲」ロ短調を―。クララが「天使の歌」に

例えた中間部が極めて美しい。

 

好きな第4曲はグールドの演奏で。当盤より2分ほどゆっくり奏でている。

このテンポの方が好ましい―。


 

 

 

 

最後はバッハ/無伴奏パルティータ第2番ニ短調BWV1004~「シャコンヌ」をブゾーニが1893年にピアノ編曲したヴァージョンである。実に多くのピアノ編曲を残しているが、自身もピアニストだったブゾーニによるこの編曲版を聞いたアルトゥール・ルービンシュタインの言葉が残されている―。
 
ヴァイオリンのために書かれたシンプルな旋律とハーモニーに見事な伴奏声部を寄り添わせ、彼は作品に豊かな衣を着せてみせた。これはピアノ音楽の傑作である。バッハ自身も容認したに違いないと、私は思う
 
実演を目の当たりにすれば、圧倒されること間違いなしの作品であろうが、オリジナル至上主義も根強く、批判も賛辞と同じくらい存在する―かなりの音の追加(特に低音域が凄まじい)が見られるからである。20世紀初頭、ピアノの性能も進化を極めつつあり、サロンより広大な空間の中で、音を轟かす必要が生じる―このような編曲はそうした「事情」を思わせる―。当然演奏効果は非常に高い。ヴァイオリン一本だった音楽は、現代に相応しい衣装を纏ったことになるのだろうか。
曲の魅力のためか、多くの編曲が存在する。ピアノだとブラームスによる左手版が比較的知られている。両手によるブゾーニ版よりずっと控えめな編曲ながら、ヴァイオリンの実際の演奏をイメージさせる好編曲だと思っている(ウゴルスキや館野泉の演奏をよく聞いた)。ほかにも管弦楽版やチェロ・アンサンブル版などがあるようだ―風変わりなものでは声楽付きのものもある。いずれブログで紹介する予定―。
 
このブゾーニ版のアルバムをかつて所有していたのはミケランジェリやプレトニョフ、ザラフィアンツ盤だったはずだが、あまり思い出せない。このプラット盤は久しぶりのような気がする。最初こそは柔らかく静かに始まるが、次第に熱気を帯び、電撃的な技巧の成果を聞くことになる―その聞かせどころの設計は巧みだ。思えば、この曲は「ニ短調」。前曲のブラームス/バラードにもニ短調は含まれており、「ロ短調-ロ長調」はフランク作品の主調だったりする。このアルバム全体が関係調でセッティングされていたことに気づく―。ではリストのことは?彼のことを「ピアノ芸術のアルファにしてオメガである」と最大級の賛辞を捧げたのはブゾーニその人であった。
 
実に充実したアルバムを(年末に)購入&拝聴できたことを喜びたい―。
 
 

 

おそらく史上最速9分半を切るピリオド演奏による「シャコンヌ」。

「舞曲」としての姿を取り戻したともいえるのかな?

 

ブラームス編曲版。以前愛聴してた館野泉盤で―。

 

プラットの音源が見つからないので、ここはガジェヴのライヴで―。

壮絶な音響のなかにも繊細さを感じさせる入魂の演奏。

 

 

 

 

 

 

PS:このブログの投稿も今年最後となりました。2022年もブログを通じ、多くの方々と音楽の喜びを共有できたことに感謝いたします―。

 

来年もどうぞよろしくお願いいたします。2023年が世界にとって、そして皆様にとっても、良き年となりますように―。

 

m(__)m

 

―新芽 取亜