世界で最も知られた日本の現代作曲家、武満徹(1930-96)が亡くなった4か月後にリリースされた追悼盤。初演を担当したことのある小澤征爾がサイトウ・キネン・オーケストラを振って代表作「ノヴェンバー・ステップス」(再録音)をはじめとして5作品が収録されている。

 

 

 

 

 

世界には音楽が満ちている―常に。そして年末年始にはその時期ならではの「音楽」がある。クラシックに限ってだと、全国で演奏され、スーパーでも店内BGMで流れている「第九」(作曲家名を記さなくても、どの作品かが誰しも即座にわかる。この現象が果たしてよいのかどうか、つい考えてしまう)、大晦日に行われる「ジルベスター・コンサート」、元旦にはウィーンで行われる「ニューイヤー・コンサート」など(クラシック以外だと「紅白」か)…。これらを耳にすると「年の瀬」や「新年」の雰囲気を感じてしまうのは、ごく自然なことだ。そして僕たち日本人にとっては、正月にきまって耳にする「春の海」での琴&尺八といった邦楽器の響きに「純日本的なもの」「和」を感じるのである。

 

宮城道雄/「春の海」(1929)。本年もよろしくお願いいたします―。

 

 

ヴァイオリンなどの木製の楽器、あるいは古楽器など、西洋由来の楽器にもオーガニックな響きを体験できるものも多いが、和楽器はより「自然」を感じる。四季の変化が豊かで、大自然の中に英知と神々(アニミズム)を見出す国民性、外国人にとってはノイズでしかないのに「虫の音」と認識する美意識が僕たちの心の根底にあるような気がしている。邦楽器はそこにダイレクトに訴えかけるのだ―。

 

 

 

 

武満氏が邦楽器を用いた最初の作品は「エクリプス(蝕)」(1966)である―当アルバムでは3曲目に収録―。尺八と琵琶のデュオ作品で、邦楽においてこれらの楽器の組み合わせは異質なものだと聞いたことがある(真偽のほどは不明)。当時、武満氏が映画音楽や大河ドラマの音楽を担当していた際に出会った琵琶奏者の鶴田錦史、尺八奏者の横山勝也との共同作業の結果生まれた作品である―これが翌年の「ノヴェンバー・ステップス」につながる―。

 

一部図形楽譜が使用されている中にタゴールの詩集「ギーターンジャリ」の引用が記されているという(しかし後に作曲者によって削除された)。これが作品の「タイトル」と関わっているのかどうかはわからない―意味深なタイトルではあるが、何を意味するかはそれぞれに委ねたい―。作曲当時武満氏はいわゆる「ケージ・ショック」に晒された時期でもあったらしく(削除の理由と関係?)、膠着状態にあった彼の心に風穴を開けたのが、琵琶と尺八の響きだったという。音そのものに開かれた心を持つことができた―ということだろうか。音楽を通して、武満氏は(そして僕たちは)再び自然に還ることができたのである。

 

奏者の吹く行為、弾ずる行為から、私はいつでも音楽に対しての新しい目覚めを体験する。それは、あるいは、書くという表現行為を超越したものであるかもしれない。

 

 

何種類かの録音がある中から1966年盤を―。当盤は1990年ベルリン

での録音だが、演奏時間はこちらの方が1.5倍ほど長い

 

 

 

 

この「エクリプス」の録音を聞いて感激したのが何とレナード・バーンスタインであった(ソウルフルな部分が心を揺り動かしたのだろうか)。そして彼によってNYP創立125周年記念祝賀コンサートのために委嘱され、1967年11月に作曲されたのが名作「ノヴェンバー・ステップス」―実質的には琵琶、尺八と管弦楽による協奏曲―である。初演は鶴田&横山両氏のソロ、小澤征爾/ニューヨーク・フィルハーモニックで行われた(羽織袴で現れたソリストの姿にオケのメンバーが笑いをこらえきれなかった、というエピソードも伝えられる)。バーンスタインは涙を流しながら「これは強い生命の音楽だ」と絶賛したという。

おそらく和楽器と西洋楽器(それもオーケストラ)を混在させた作品は音楽史上初だったと思われる―それは異文化との邂逅でもあった―。

 

洋楽の音は水平に歩行する。だが、尺八の音は垂直に樹のように起る(4)
 

オーケストラに対して、日本の伝統楽器をいかにも自然にブレンドするというようなことが、作曲家のメチエであってはならない。むしろ、琵琶と尺八がさししめす異質の音の領土を、オーケストラに対置することで際立たせるべきなのである(2)

 

 

オケは扇形に左右に振り分けられ配置される―弦楽器、打楽器、ハープは両翼に、中央はソリストたちと木管、金管楽器―。曲後半の長大なカデンツァは前作「エクリプス」と同様、図形楽譜が用いられる。タイトルの由来は初演の11月(November)と音楽構造として11の「段」の語呂合わせによるが、当初は別なタイトルが用意されていたらしい。

 

独奏楽器が邦楽器ということもあってか、ソリストが初演以降から長年にわたり、鶴田&横山両氏に固定してしまったのもこの作品ならではの特徴といえようか―楽譜にすべてが記載されているわけではなく、特にカデンツァ部分は後継者たちに口伝による指導が行われたようである―。楽曲解説は作曲者自身によるものが当アルバムにも載せられており、武満氏は11の段に沿って11のエピソードで示している(前述の引用はそれらに基づいている)。

 

一つの音楽作品がそこで完結したという印象を与えてはならない。周到に計画された旅行と、あらかじめ準備されない旅行とでは、そのどちらが楽しいでしょうか?(9)

 

イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ。(7)

 

まず、聴くという素朴な行為に徹すること。やがて、音自身がのぞむところを理解することができるだろう。(6)

 

 

当盤は初演者の小澤氏にとって2度目の録音となった(1989年ベルリン、イエス・キリスト教会での収録。ちなみに最初の録音は世界初演の1ヵ月後にレコーディングされた)。リスナーによっては、緊張感の度合いが強い旧盤を支持する方々も多いようだが、僕は(選曲の魅力の点でも)当盤で十分満足している。

 

次世代のソリストによる「ノヴェンバー」。デュトワ/N響による

2013年ザルツブルク音楽祭でのライヴで―。洗練された感覚

 

 

 

 

「ノヴェンバー・ステップス」作曲当時、武満氏はドビュッシー/「牧神の午後への前奏曲」と「遊戯」のスコアを携えていたという。もちろんこの曲に直接の引用はないが(「海」を引用した後期作品はある)、意識していたのは明白だろう。そのドビュッシーの「楽器」は「フルート」だと僕は思っているが、武満氏最期の作品がフルート・ソロによる「エア」(1995) であるのは象徴的だ。フルートの巨匠オーレル・ニコレの70歳を記念して作曲―武満自身は1996年2月に「帰らぬ人」となる―。「アリア(歌)」と「空気」を掛け合わせたタイトル。生涯かけて用いてきた「S-E-A」モティーフがここでも現れる―思えば1980年代に作曲された「海へ」もアルト・フルートのための作品であった。「水」と水に関連したタイトルを持つ作品は多数あり、武満自身も「水の風景シリーズ」「調性の海」といった発言を残しているほど―。1996年1月に初演されたこの遺作は3か月後にニコレ自身によってオランダで録音されることとなった―それが当盤である(おそらく世界初録音)。わずか6分ほどの作品だが、清涼な空気感で満たされている。

 

 

 

ドビュッシー/「海」が聞こえる「夢の引用 ―Say sea,take me!―」(1991)

 

「そして、それが風であることを知った」(1992)。ドビュッシーのソナタへの

意識が明白に示される(知覚できないレベルの密かな引用があるらしい)

 

ニコレによる演奏で―。どこか尺八を思わせるのも武満らしい

 

 

 

 

アルバム3曲目に収録されている「系図 (Family Tree) ―若い人たちのための音楽詩」(1992) は以前聞いて印象的だった曲で、このカップリングが当アルバム購入のきっかけになったくらいだ。実は原盤のフィリップス音源によるコンピレーション・アルバムが多数リリースされているが、「追悼盤」と銘打たれているのは当アルバムのみ。この曲も別なカップリングのCD(室内楽&合唱曲がメイン)で耳にしたのだった。

「語りとオーケストラのための」という副題の通り、谷川俊太郎の詩集「はだか」(1988) からのテキストが少女のナレーションで語られる―作曲家によって「12~15歳の少女」と設定されている―。作曲のきっかけは「ノヴェンバー」と同じくNYP創立150周年記念としてズービン・メータから委嘱されたもの―「子供のための音楽を書くことに興味はないか」と問われたという―で、世界初演は1995年4月に英語版で、日本語版初演は1995年9月、サイトウ・キネン・フェスティバル松本でなされた(当盤はその直後の録音である)。その時ナレーターをつとめたのは当時15歳の「遠野凪子」。初々しさと危うさ、不思議な透明感がありつつも、しっかりと心の砂漠に足跡を残すような語り口が実に魅力的だった―この時期にしかない「何か」なのかもしれない―。ちなみにナレーターとして他に起用されたことがあるのは「上白石萌歌」「山口まゆ」「浜辺美波」など。彼女たちは設定通りの年齢だったが、20代の女優を起用したケースもある(「のん」「夏菜」など)。

 

作曲依頼されて武満氏が想ったのは「家族」という単位―現代の「家族」が持つ素晴らしさと危うさを視野に入れつつ、その意義を問いかけているようにも感じられる。選ばれた詩は「むかしむかし」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」「とおく」の6編(全編ひらがなで書かれている)―子供の視点で語られることで、僕たちも受け入れやすい状態になるのかもしれない。興味深いのは調性感のある音楽が作曲された、ということ。でもそれは郷愁めいた理由ではなく、「世界の音楽」を「大家族」と据えた際に、調性こそがその「核」であると判断したことによる。そのためか非常に聴きやすい音楽となっており、編成に加えられたアコーディオンの響きが(作曲家の判断に反して)ノスタルジックな思いを駆り立てる。片親家庭(父子家庭)だった僕の背景もあってか、聴いていると心の奥に封印していた「何か」に抵触する瞬間もあったのだが、一番感動的なのは終曲の「とおく」。音楽とともに最後のセンテンスが語られたとき、落涙していた自分に気づいた―もしかすると作品のどこかで僕のインナーチャイルドと出会ったのかもしれない。

 

このままずうっとあるいていくとどこにでるのだろう

(…)

ここよりももっととおいところで

そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな

そのひとはもうしんでてもいいから

どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな

どこからかうみのにおいがしてくる

でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける

 

 

(やはりここでも「海」が出てくる―人類の生命の源、タンパク質の海―)

 

 

バッティストーニ盤より「とおく」。ナレーションは「のん」が担当

 

スラットキン/N響、山口まゆのナレーションで「とおく」を―。

 

1997年9月6日放送の「N響アワー」より。色々と懐かしいが、肝心の

演奏は遠野凪子の(貫禄のある)ナレーション。没後間もないためか、

ダジャレで有名な池辺氏から神妙な面持ちで助手時代の話を聞ける

 

 

 

 

アルバムの最後には出世作ともいうべき「弦楽のためのレクイエム」(1957) が収録されている―CD冒頭に最後の作品「エア」を配置し、アルバムの締めくくりに出世作を、という選曲は、さすが「追悼盤」だけある秀逸なセンスだ―。武満氏のデビュー作となったのは「ピアノのための2つのレント」(1950) だったが、作曲家自身この「レクイエム」が「私が作曲家として書いた最初の作品」と評価している。もっとも初演時には作品の出来にあまり満足していなかったようが、ストラヴィンスキーの高評価もあってか、世界的にも知られるきっかけとなったのは確かである。

 

当時武満氏は結核を患い、療養しつつ作曲家・早坂文雄のもとで仕事を手伝っていた。このレクイエムが書き上げられた時に早坂氏が結核で急逝したため、当初「メディテーション」というタイトルの予定だったこの作品を「レクイエム」とした、と伝えられる。ただ、作品に固定したイメージを持たれるのを避けるためか、初演時のプログラムノートには「特定の人の死を悼んでこの曲を書いたのではありません」と記されていたが、後日「早坂さんへのレクイエムであると同時に、自分自身のレクイエムであるとはっきりとらえて書き出した」と心境を打ち明けている―このアルバムではまさに武満氏へのレクイエムとして機能している―。

 

はじめもおわりもさだかでない、人間とこの世界とをつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然にとり出したものだといったら、この作品の性格を端的にあかしたことになります

 

 

以前デュトワ/N響盤で聞いた時の印象とは異なり、当アルバムの小澤盤は濃厚な表情で、ときにロマンティックですらある―シェーンベルク/「浄められた夜」を思わせるほどに―。作曲家の意図とは厳密には異なるのかもしれないが、サイトウ・キネンの熟練された弦楽セクションがそうさせてしまうのかもしれない。

僕が聞いた感じでは「レクイエム」より「メディテーション」のほうが相応しく思える音楽であった―。

 

「リタニ」(1989)~第2曲。「2つのレント」を改作したもの

福間洸太朗のピアノで―。

 

ジャズにも造詣が深い武満氏。レニー・トリスターノ/「レクイエム」

を偶然耳にしたのが作曲のきっかけだったとも―。

 

2011年3月17日ニューヨークにて。3.11の犠牲者のために

「弦楽のためのレクイエム」が演奏された―。

 

武満徹の追悼番組。立花隆は世界ほどに日本では認知されていない

ことを嘆いている―。現在はどうだろうか?

 

 

 

 

 

私の大切な友人であり、日本が世界に誇る作曲家・武満徹氏の早すぎる死は、残念で残念でたまりません。この追悼盤の演奏を武満さんの霊に捧げたいと思います。

                                 小澤征爾