ツイッターのタイムラインで知ったアルバム。ロベルト&クララ・シューマンのピアノを伴う室内楽曲が小倉喜久子らのピリオド奏者によって演奏されたコンサート・ライヴ盤。コジマ録音からリリースされている「浜松市楽器博物館コレクションシリーズ」からの1枚である。

 

 

 

 

 

 

日本を代表するフォルテピアノ奏者の1人、小倉喜久子が今回用いているフォルテピアノは浜松市楽器博物館が所有しているコンラート・グラーフ作の歴史的ピアノ(1819-20)である。詳細はライナーノーツに記されているが、その姿はジャケット写真からも伺えるだろう。ただ、見てお気づきのように「伝グラーフ作」となっているのには訳がある―。

このピアノのかつての所有者は(何と)イェルク・デームスで(!)、彼によると「おそらく最初期のもので、私見では1819/20年作。ヴェネツィアの80代の老夫婦から購入。その曾祖父たちの素晴らしい客間にずっとこのピアノがあった」とのこと。

綿密な調査の結果、グラーフ作と断定することは困難と判明。但し、全く関与がなかったとも言い切れない点もあるため「伝グラーフ」と表示するに至った、という経緯があるそうだ。

このアルバムは、その浜松市楽器博物館所蔵の3種類のフォルテピアノを用いた「ピアノ協奏曲室内楽演奏会シリーズ」(全3回)の完結編として東京公演でのライヴ音源がCD化された、とのこと。ショパンやベートーヴェンのピアノ協奏曲の室内楽版を中心にプログラムされたシリーズに今回のクララ・シューマンが加わった。

 

 

1835年、クララが16歳のときに完成されたという「ピアノ協奏曲イ短調Op.7」。元々は単一楽章の作品として13歳のときに作曲(!)された(現在の第3楽章)。

このときシューマンがオーケストレーションの手助けをしたという。後に残りの楽章が作曲されて現在の姿となった。「イ短調」という調性といい、作曲の経緯といい、10年後のロベルトの同作品を彷彿とさせるものがある。

全3楽章がアタッカで繋がれ、第2楽章がチェロ&ピアノで進行するというアイディアに独創性を感じる。もしかするとロベルトより前衛的な面があるかもしれない(メンデルスゾーンの影響もあるだろう)。特に第1楽章展開部から第2楽章に突入するという「荒業」を見せるし(作曲技法の未熟さともとれるが、型破りな点はむしろ秘められた可能性を感じさせる)、第2楽章でのチェロソナタのような風情は、後のブラームス/ピアノ協奏曲第2番の第3楽章を思い出さずにはいられない(彼はこの作品を知っていたのだろうか?)。

 

このようにシューマン&ブラームス作品の源泉のようなイメージを抱かせる音楽だが、僕はむしろショパンの影響を感じる点が多かったように思う(特にピアノ・パート)。今回演奏されたヴァージョンは「ドイツ初版 (1837) に基づく弦楽五重奏伴奏付き」となっているが、これは出版時の表紙のタイトルに記述されていたものである(おそらくこの形態での録音はこの盤が初めて)。SQ+コントラバスの弦楽五重奏とフォルテピアノとの音色の溶け合いが美しく、殊に第2楽章「ロマンツェ」は絶美であり、最も規模が大きいフィナーレ(前の2つの楽章を合わせたのと同じ)ではブリリアントな音楽を聞かせてくれる―ベースの存在が功を奏している―。

 

当音源より第2楽章「ロマンツェ」を―。美しい。

 

こちらは全曲版。ピアノ&弦楽合奏ヴァージョンで。演奏する姿はまるで

クララのよう―。

 

独奏チェロが大活躍するブラームス/ピアノ協奏曲第2番~第3楽章。

ツィメルマン&バーンスタイン/VPOによる濃厚な演奏で―。

 

 

 

なお、このアルバムにはボーナストラックとして3曲目にクララの「協奏曲断章ヘ短調(1847)」が収録されている。1847年というとシューマンの精神疾患が顕著になった年であり、長男エミールが生まれて僅か14ヶ月で亡くなり、同じ年の11月にはメンデスゾーンが亡くなる、というシューマン夫妻にとっても激動の年。それゆえの未完成作品(176小節のみ)かもしれないが、全体に行き渡る暗いパトスは当時のクララの心境をストレートに示していると思う。

1990年にヨーゼフ・デ・ベーンホウェル(Jozef de Beenhouwer)が補筆及びオーケストレーションして完成したヴァージョンが知られているが、ティンパニの扱い方など、後のブラームス/交響曲第1番を彷彿とさせるという見方もある。

僕にはシューマン晩年の同系統の作品「序奏と協奏的アレグロOp.134」のような激しさと優しさを感じさせる。

 

このアルバムでの演奏は上記の補筆版をヴァイオリンの桐山建志がピアノ六重奏用に編曲したヴァージョンによるものである。

 

補筆完成版の演奏で―。シューマンにもう少し理解があれば、クララも

さらに多くの作品を残せたのだろうか―とつい思ってしまう。

 

シフ&ホリガーの演奏でシューマン/「序奏とアレグロ」ニ短調Op.134を―。

「赤トンボ」に似たフレーズが出てくることで有名(?)である。

 

 

 

 

 

 

曲順が前後したが、アルバム2曲目には「シューマン/ピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44」が収録されている。僕のコレクションではユボー&ヴィア・ノヴァSQ盤に続く2例目の演奏となる―違いはもちろん「ピリオド楽器によるライヴ演奏」という点である。

 

 

 

以前のブログ記事と重複する内容はあえて語らない(つもりだ)が、シューマンの室内楽の中、いや、このジャンルの中でも人気曲となった背景には、どうやら当時の演奏慣習からはあり得ないほど多くのプライヴェート演奏&試演がなされてきたという点があるらしい―公開初演まで少なくとも3度行われており、その都度受けたアドヴァイスを適用して手直しをした形跡がある(この点はメンデルスゾーンが大きく貢献した)。

当然の如く初演は大成功であったようだ。ユニゾンが目立つ書法は一見未熟(半熟?)に受け取られがちだが、それが大きなスケール感につながり、作品を印象深いものにしている―冒頭のインパクトは満点で一度聞いたら忘れられないだろう。

ベートーヴェンの「エロイカ」を思わせる(同じ変ホ長調)第2楽章「葬送行進曲」風の音楽、当時の流行だろうか―主調の短調(ハ短調)で開始するフィナーレ、二重フーガのコーダ、波状攻撃のように高揚し続ける音楽は見事というほかない。たとえリストから揶揄されようと、その素晴らしさは後世の作曲家に受け継がれ、このジャンルの音楽が続々と生まれることになったのだと思う―ブラームスの作品もそうだろう。かなり難航したようだが―。

 

小倉氏のフォルテピアノを中心としたアンサンブルは迫力よりは親密さを感じさせる。ピリオド故の温かさだろうか―もちろん音楽が弱々しくなることはない。アルバム全体で感じられることだが、楽器のブレンド度合いが半端ではなく、ピアノが突出することも弦楽が強すぎることもない。混然一体となっているのだ―極端に言えば、チェリビダッケのオーケストラ演奏で感じるサウンドと似ている―。音の明暗がヴィヴィットかつ自然に明滅し、ふくらみを持った生命力を感じる音楽がリスナーの心に迫ってくる。実に嬉しいことだ。とかくこの分野は楽器の素晴らしさが目立ち、リスナーも奏者もピリオド楽器の響きそのものに陶酔してしまい、「音楽」の歓びが伝わってこないケースもある(一番喜んでいるのは奏者だけってことも)。

しかしここでは、音楽する喜びと感謝が聴衆に還元されているのをしっかり感じることができるのだ―。

 

人気曲ゆえ音源も多く、メジャーなピアニストも多く手掛けるが、

意外とピリオド演奏は少ない。これは希少な演奏の1つ。

 


 

 

 

アルバムに寄せて  小倉喜久子

「シューマンの音楽には私的な文学のロマンティシズムが湛えられ、幻想的で異空間に我々を誘うかのような独特の世界があります。私も学生時代、シューマンと夢の中でまで語らい没頭していました。今回、共にシューマンに熱い思いを寄せる弦楽器奏者たちと当時の楽器を用いてディスクに残すことができました。(…)ここで聴かれるロマンティックフォルテピアノは約180歳。このコンサートに向け、生まれたころの音に戻そうと、調整を重ねました。(…)19世紀の空気を知っていたフォルテピアノは、現代のピアノが失ってしまった香り、色彩感を持っています。豊かなロマン派、室内楽の世界をお楽しみください。」

 

 

ここで弾かれているのは1845年製シュトライヒャーのフォルテピアノ。

ウィーン式である点は「伝グラーフ」と一緒である。

 

 

 

 

 

 

PS:今日9月13日は奇しくもクララ・シューマンの203回目の誕生日(ちなみに昨日9月12日はロベルトとの180回目の結婚記念日)。

クララ関連のこの素晴らしいアルバムの記事をUPできるのはとても嬉しい(もちろん合わせたのだが)―。

 

クララ・シューマン/前奏曲とフーガ変ロ長調Op.16-2。

フォルテピアノは上の動画と同じシュトライヒャー製。

 

「音楽の夜会」Op.6~第2曲「夜想曲」。シューマンが自作品に度々引用した

フレーズが聞こえてくる―。