イェルク・デームスによる「シューマン/ピアノ曲全集」も残すところあと僅か―。第12弾の今回も比較的マイナーだが、シューマンを語るうえで欠かすことができない作品たちが収録されている。

 

 

 

 

 

【CD 12】


1. 色とりどりの小品 Op.99
2. 4つのフーガ Op.72
3. 4つの行進曲 Op.76
4. スケルツォ ヘ短調 WoO5-1
5. アレグロ ロ短調 Op.8

 

 

 

 

1曲目の「色とりどりの小品 Op.99」は、シューマニアーナにはおなじみだが、そんなに知られていない作品だろう。でも最近スタニスラフ・ブーニンが困難を乗り越え約9年ぶりの復帰コンサートで演奏したことで注目されたピアノ曲でもある。どうやらブーニンが人生初のコンサートで弾いた作品とのこと―再スタートにこれほど相応しい曲もあるまい。ショパンのイメージが強いブーニンだが、僕はバッハ・アルバムを愛聴していたことがあった。とてもロマンティックなバッハで、彼らしい気障な表現も好ましく感じられたものだ。

 

イタリア協奏曲やパルティータ第1番など、名曲揃い―。

 

 

 

Op.99は「3つの小品/5つの音楽帳/ノヴェレッテ/前奏曲/行進曲/夕べの音楽/スケルツォ/速い行進曲」の全14曲からなる―。「色とりどりの小品」というタイトルから察せられるようにオムニバス版といえるこの曲集は、(第2集で取り上げた)「アルバム帳Op.124」とともに「子供のためのアルバムOp.68」出版後まとめられたもので、ほとんどはシューマンが過去に作曲し、作品に含められなかった小品を集めたものだ。作曲年代は1834年~49年までの15年間のものらしい。アウトテイク集みたいな雰囲気だが、もちろん音楽の質に問題があるわけではないことは聴いていただければ一目瞭然。わざわざこのような形で残したこと自体、シューマンの思い入れを感じる。1曲1曲にインスピレーションの所在を覚えることだろう。

 

何といっても注目すべきは「5つの音楽帳」の最初の1曲だろう(曲集では第4曲目)。クララとブラームスが変奏曲のテーマに用いたオリジナルが聞けるのだ。いずれは弾いてみたいと密かに思っている曲―思っているだけでは弾けないのだが、想わなければ弾きようがない―。シューマンの肖像画を観る思いがする。この曲のみならず「5つの音楽帳」は特にオイゼビウスが深くため息を漏らすような美しい曲が多く、聞き逃すことができない。他にも小説家が思案を巡らしているような「ノヴェレッテ」、タイトルは単に「前奏曲」なのにダークエネルギーに満ちた第10曲(リヒテルによれば「モーツァルト/涙の日」の引用があるとのことだが、確認できなかった)、単に「行進曲」と銘打っているだけなのにその実「葬送行進曲」の第11曲など、ヴァラエティに富んだ楽曲が姿を現す。シューマン特有の「黄昏の音楽」や子供のようにはしゃぐ音楽も健在である(第12曲以降)。他のピアノ曲と違い、各曲の関連がほぼないので、シューマンの様々な面を味わうことができる名品である―。

 

クララ・シューマン/ロベルト・シューマンの主題による変奏曲Op.20。

嬰ヘ短調の繊細なテーマが丁寧に変奏されてゆく―。

 

ソコロフの懐深い演奏で―。2020年ライヴ。一音一音がじっくりと。

 

 

 

 

2曲目は「4つのフーガ Op.72」。ライネッケに献呈されたかなりマイナーな作品で、「Nicht schnell (ニ短調) /Sehr lebhaft (ニ短調) /Nicht schnell und sehr ausdrucksvoll (ヘ短調) /Im Mässigen Tempo (ヘ長調)」からなる。作曲された1845年はシューマンがバッハの研究に熱心になり始めた頃で、バッハ作品の演奏&研究のためにペダルピアノを導入したほど。シューマンは普段からバッハ/平均律を弾くことを習慣にしていたようだが、彼にしてみれば、精神の均衡を保つのに(僅かでも)貢献したのかもしれない。そして声部が複雑に絡み合い進行する音楽性はシューマンの音楽の特徴でもあった。彼はメンデルスゾーンにこう述べたことがあった―。

 

私の中に形成されるほとんどすべてのパターンは、それ自体の中に複数の対位法の組み合わせの特徴を持っています

 

シューマンの「フーガ熱」の結果、多くの作品が生まれることになる―「ペダルピアノ」のための作品(Op.56や58)や「BACHの名による6つのフーガ」Op.60、そして「交響曲第2番」Op.61へと結実―。この「4つのフーガ Op.72」も同様だが、バッハのような厳格さより詩情を感じさせるところがシューマンらしい。「フーガの技法」と同じニ短調が2曲続くが、「緩→急」のコントラストが効果的。ヘ短調の第3曲は再び瞑想的なフーガとなる。唯一長調の第4曲はバッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番のフーガと同じテーマで始まるのが面白い。

 

クララ・シューマン/3つの前奏曲とフーガOp.16~第1番ト短調。

ロベルトと共に取り組んだバッハ研究の成果―。

 

メンデルスゾーン/6つの前奏曲とフーガOp.35。1837年に出版。シューマン

夫妻も知っていたに違いない。1840年製エラールでの演奏。

 

リヒテルによる1985年のライヴで―。最初アナウンスが入る。

 

バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調BWV1005~フーガ。

 

 

 

 

3曲目は「4つの行進曲 Op.76」。1849年に作曲&出版されたこの作品は当時の政治的事情が関係しているようだ。そもそも政治に関心を持っていたシューマンだったが、「ドレスデン五月蜂起」の時は家族と共に国外逃亡することになり、この出来事が彼の音楽にも影響を及ぼす―。シューマンは民主運動への高ぶった熱い想いを表明する手段としてこの「4つの行進曲」を作曲、出版社に送ってすぐに出版するよう要求したというエピソードが残っている。ちなみに5曲目の「行進曲」も作曲されたが採用せず、前述の「色とりどりの小品」Op.99に含められることとなった。

 

 

 

「Mit grosster Energie (変ホ長調)/Sehr kraftig (ト短調)/Sehr mäßig (変ロ長調)/Mit kraft und feuer (変ホ長調)」の4曲からなるが、第3曲には「野営の情景」というタイトルが付けられている。「行進曲」の由来は古代ギリシャまで遡ることができるようだが、ピアノ曲ではモーツァルト/「トルコ行進曲」が最も有名だろう。ロマン派においてはメンデルスゾーン/「結婚行進曲」、ショパン/「葬送行進曲」、ニューイヤーコンサートでお馴染みのシュトラウス一家の作品など枚挙にいとまがないほど。作曲家にとっても誰もが必ず作曲しているジャンルといえるかもしれない。

シューマンも行進曲風の楽曲を数多く作曲している―フロレスタンの属性にこれほど相応しい楽曲はないかもしれない―が、「行進曲」と銘打っている曲集はこれが唯一である。第1曲の「Mit grosster Energie」(極めて大きなエネルギーで)はよくシューマンが用いる演奏指示であり、曲集の始まりにふさわしい。全4曲中、リヒテルがよく弾いていたト短調の第2曲が一番聞きやすいかもしれないが、今回改めて聴いて面白かったのは第4曲。「Mit...feuer」(火のように)という指示はピアノ三重奏曲第1番Op.63のフィナーレ以来だ。激しいことは確かなのだが、不思議な和音の響きによってエアポケットが生じる感覚も。単なるマーチで済まないところがシューマンらしい、といえばらしいのかもしれない。

 

当音源より―。デームスの演奏は熱烈さよりもゴツゴツした感触が。

ある意味シューマンらしい。

 

モーツァルト/トルコ行進曲をヴァイオリン&室内オーケストラ版で。

 

マーラー/交響曲第5番~第1楽章「葬送行進曲」。とても珍しい

17人のための室内アンサンブル版で―。

 

 

 

4曲目は「スケルツォ ヘ短調 WoO5-1」。2分少々の曲となるが、本来は全5楽章で予定されていたピアノ・ソナタ第3番にセッティングされていたものの、全3楽章の「管弦楽のない協奏曲」として出版されるのに際し削除された楽章である。その理由としては、全曲に渡ってモティーフとして用いられている(クララを表わす)「下降音型」が唯一用いられていない楽章だったからかもしれない―もっとも下降音型の反行形は用いられているのだが―。このスケルツォは結局シューマンの死後に「遺作」として出版されたらしい。当初の全5楽章版は現在でも稀に演奏されるが、スケルツォ単体での演奏は皆無に等しい。ピアノ曲集でもデームス盤のような全集モノに含まれることが多い。

 

 

最後の5曲目は「アレグロ ロ短調 Op.8」。当初「ロ短調のソナタ」の第1楽章として1831年に作曲されていたが、最終的に単独作品として1835年に出版された楽曲である。パガニーニの演奏を聴いた時の感銘が作曲のきっかけのようだが、確かに技巧に特化した表現が多く聞かれるヴィルトゥオーゾ的な音楽となっている。元々ソナタ楽章として作曲されただけにソナタ形式によるもので、単独でも聞き応えがあり、現在でもしばしば演奏されるようである。中間部に「クララ・ヴィークの主題による即興曲」を思わせる和音やフレーズが聞こえてくるのが興味深く感じた。このOp.8はシューマンの当時の婚約者だったエルネスティーネ・フォン・フリッケン男爵令嬢に献呈されたが、後にクララも自身の演奏レパートリーに含めていたようである。

 

ここは当盤ではなくポリーニ盤で。意外と落ち着いた演奏である。

 

 

 

 

 

 

 

PS:先日12月2日はイェルク・デームス(1928/12/2-2019/4/16)の94回目の誕生日であった―。

 

僕の最も好きな曲の1つ―シューベルト/3つのピアノ曲D946を

デームスの味わい深いピアノで。1959年録音。