フランスのピアニスト、エリック・ハイドシェックが1970年代に録音した唯一のブラームス・ソロ録音。当時良質な「ワンポイント録音」で一世を風靡したアンドレ・シャルランがエンジニアを担当した録音からのリマスター盤である。

 

 

 

 

 

 

おもに1960~70年代の短い期間にリリースされた「シャルラン・レーベル」の音盤(知る限り40タイトル以上の音源が存在する)―左右にマイクを埋め込んだダミーヘッドを用いた「ワンポイント録音」が当時話題を呼び、その自然な音場と音質から「伝説の名エンジニア、アンドレ・シャルラン完全ワン・ポイントのむせかえる香り」「フランス音楽黄金期の濃厚な名録音」と謳われたようである。

ずいぶん昔のことになるが、僕は(上記の事情を知らずに)フォーレの室内楽録音を聞いたことがあった(「ヴィーナス・レコード」からリリースされたCD盤だった)が、古めかしい録音という印象しか残っていない。いつの間にか手元からなくなっていたが、「デジタル録音=良い音質」と思っていた当時の僕としては無理からぬものがあったと思う。

 

シャルランの「ワンポイント録音」の魔法に迫る―。

 

フォーレ/ピアノ四重奏曲第1番~第3楽章「Adagio」。この古雅な音色

がたまらない―。ヴァランタン&ORTF弦楽四重奏団のメンバーによる演奏で。

 

フォーレ/チェロとピアノのための「エレジー」。オケ伴奏版では既に

聴いてたものの、オリジナル版はこれが初聴きであった。

 

フォーレ/「レクイエム」~「Pie Jesu」&「Libera me」。動画の

表記は間違い。録音技術は大編成でも生かされているようだ。

 

バッハ/「フーガの技法」。あのヘルベルト・フォン・カラヤンの兄

ヴォルフガング・フォン・カラヤンたちによるオルガン演奏。

 

 

 

「クラシック音楽の場合には、音楽がそこにあるのです。音楽自体がすでに存在するのです。更にまた、聴く人の耳というものは一ヶ所です。 二つの耳はついていますが、音楽の発する空間からある距離をもって聴者をみた場合、一ヶ所に集約されます。完成されたすでに存在する音楽というものに、沢山のマイクロフォンを立ててミキシングするということは音楽に対する冒涜です。ですから、ワン・ポイントというものは当然のことではありませんか?」

 

―アンドレ・シャルラン

 

 

 

 

 

 

ハイドシェックによるこのブラームス録音は1970年代半ばのものとされ(詳細なデータは不明)、LPレコードでも未発売だったもの(レーベルが「大人の事情」でたたむ事になった時、マスターテープの多くが没収されたためと思われる)。でも1990年代に「ヴィーナス・レコード」からCD盤が限定リリースされたらしい。その音源は中古でよく出回っているが、録音状態が酷いらしく(幸か不幸か、僕は聴いていない)、部分的に逆相だったり、電気的ノイズも多く、ピアノの音も貧弱なのだそうだ。おそらく状態の悪いテープをもとにCD化したためだろう。それで今回は入手したサブマスターから入念に修復を重ね、オリジナル音源に近い音質を回復させることに成功、「キングレコード」からリリースされるに至ったのが当盤というわけである。

シャルランは当時20代だったハイドシェックをいたく気に入り、ベートーヴェン/後期ピアノ・ソナタ集を1960年代に録音、その盤も今回復刻されている。

 

 

 

 

「エリック・ハイドシェック」というと、僕は評論家の宇野功芳氏が高く評価していたピアニストとして記憶している。一連の「宇和島ライヴ」シリーズなど、レコ芸の中で激賞の嵐だった。宇野氏が好むというだけあって個性的な解釈のピアニストで、大胆さとデリケートさが矛盾なく同居する粋な演奏を繰り広げたのだった(このあたりは師コルトーの薫陶を受けただけあるのかもしれない。タッチの美しさはケンプ譲りかも)。僕は主にフォーレ録音―ノクターン全集やチェロ・ソナタ集など―をよく聴いていたと思う(ドイツものは今回が初めてだった)。

ハイドシェックは「シャルラン録音」ののち、東芝EMIにベートーヴェン/ソナタ全集を録音、他にもフォーレやモーツァルトのコンチェルトなどの録音を残しているし、最近は自作とともにバッハのレコーディングをリリースしていた。ブラームス録音は夫人とのデュオがある程度なので、当盤は実に希少な録音といえる。

 

2003年、自宅リビングにて。バックに流れる自在なブラームス

演奏に耳をそばだててしまう―。

 

フォーレ/夜想曲第1番変ホ短調。ショパンを上回る感傷性。

 

トルトゥリエ&ハイドシェックによるフォーレ/チェロ・ソナタ第2番。

第2楽章の痛切な音楽は「エレジー」を超えていると思う。

 

1985年ライヴ音源。冒頭、ショパン/「舟歌」の一音で

心を持っていかれてしまう―。

 

「宇和島ライヴ」の音源から月光ソナタを―。実に艶やかで

自由奔放なピアノ演奏である。

 

去年リリースの最新録音。御年85歳にしてこのピアニズム―。

 

 

 

 

 

NHK-FMで立て続けに聴いたせいだろうか(けっこうな周期で曲がダブったりするのだ)、「ブラームス/ピアノ・ソナタ第3番」が気になりだしてしまった。以前はウゴルスキ盤で所有していたが、(演奏のせいか)スケールの大きさとブリリアントな音楽に初期ブラームス特有のくどさが加わった音楽に若干辟易して、それ以降聴いてなかったが、FMで聴いたケイト・リュウの演奏がなかなか魅力的だったのが転換点となった。彼女の(近年珍しいタイプの)「感情的な演奏」が新鮮だったのだろう。オンエア中に早速検索を始め、幾つか候補が挙がる―最新盤のカントロフ(先日のリサイタルは絶賛の嵐だ。ガジェヴもそうだが、感想ツイートを読んだ限りではカントロフの方に魅力を感じた)、決定盤ともいえるルプー、円熟のソコロフ、そして当盤のハイドシェックである(他にもピリオド系のクイケン盤があったが、廃盤であった)。可能な限り試聴して厳選し残ったのはルプーとハイドシェック。結局ハイドシェック盤になったのには実際的な理由がある―タイトル通り「希少盤」であるということ(ルプー盤はYouTubeでいつでも聞ける)、そして当盤のみで聴かれる第3楽章スケルツォの粋な自在さである。

 

ケイト・リュウの演奏で。48分かけている。当盤より10分長い。

 

アレクサンドル・カントロフの弾くブラームス/(バッハ原曲)

「シャコンヌ」とピアノ協奏曲第2番(クルレンツィス指揮)。

名前から分かるように、あのヴァイオリニストの息子である。

 

「エバ―グリーン」のルプー盤より、とりわけ素晴らしい第2楽章を―。

聞いて涙が溢れそうになった演奏である。

 

 

 

この作品、「Op.5」という作品番号が物語るようにブラームス初期のもので、「ピアノ・ソナタ」の第3作目でもある。以降彼はこのジャンルを書くことは無かった―形式の限界を感じたのだろうか?(前例のない全5楽章形式)。しかし2台のピアノ(あるいは4手)のための作品は結構残していることから、より複雑な書法から得られる重厚さを求めていった結果だったのかもしれない。或いは恩師シューマンに倣って3曲に留めたのだろうか―。しかし中期~後期にわたって珠玉のピアノ小品集を作曲してくれたことは周知の事実である。

 

ブラームスがシューマン家を訪れた1853年の秋の時点で、「ピアノ・ソナタ第3番」の幾つかの楽章は既に完成していた―第2,4楽章。シュテルナウの詩が引用されている楽章である。ブラームスがライン地方で出会った少女のとの思い出が反映されているという見方もある―。残りの楽章はシューマン夫妻との出会い以降に手掛けられたそうである。ちなみにクララが第2,3楽章の初演を行っている。

 

ブラームス/ピアノ・ソナタ第1番~第1楽章。シューマンの前でブラームス

が弾いた曲。この第1楽章が終わるや否や、クララを呼び、2人で全楽章

を聴き入ったという―。希望に溢れたウゴルスキ盤の演奏で。

 

とても珍しいアルゲリッチによるブラームス/ピアノ・ソナタ第2番。

実質最初に書かれ、嬰ヘ短調の調性からシューマンの同曲を思わせるが、

印象も内容も全く異なる。1981年のライヴ音源。

 

 

 

 

第1楽章「Allegro maestoso」の表記にふさわしい、幅広い音域を十分に活用した雄大な音楽が冒頭を飾る。ヨアヒムのモットー「FAE」(Frei Aber Einsam/自由だが孤独)をもじった「FAF」(Frei Aber Froh/自由だが喜ばしく)のモティーフが活用される(これは第5楽章のフィナーレでも登場するが、最も有名なのは交響曲第3番での使用だろう)。ベートーヴェン的ともいえる手法(「運命の動機」は第4楽章に登場)だが、多くのピアニストが例外なくフルパワーで楔を打つかのような(どぎつい)演奏をしているのに対し、ハイドシェック盤だけはそう聞こえなかったのは不思議なことである―まろやかなアナログ録音のおかげだろう、スタインウェイの低音がこんなに魅力的に響くとは―。どこか余裕を感じるのである。僕にはありがたいことだ。その(暑苦しい)テーマ以降の密やかでメロディアスな音楽は実に素晴らしい。

 

 

第2楽章「Andante espressivo」は、正直誰が弾いても美しく素敵な音楽であるが、ほんのわずかのデリカシーとパウゼ、音色その他、ピアニストのセンスの差で感銘の度合いが異なってくる楽章でもある。中間部分の感情が波立ち、ひしひしと高揚してくるフレーズをじわりじわりと攻めるのはウゴルスキ盤が最高だった(大体の演奏がテンポを速めてしまう)。ルプー盤はその唯一無二の音色でリスナーの感覚を支配してしまう。一方の当盤も絶妙のピアニッシモで、心の襞をそっと優しく撫でるような無類のデリケートさを発揮。例の中間部は、テンポを微妙に揺らしつつ、途中不意に現れる弱音にやられてしまう。後半以降に再現される聖歌のようなフレーズでハイドシェックはグッとテンポを落とし、徐々にフォルテにまで高め(唯一彼がフォルテを用いた箇所でもある)、やがて静寂に還ってゆく…。

 

Der Abend dämmert, das Mondlicht scheint
da sind zwei Herzen in Liebe vereint
und halten sich selig umfangen

―C. O. Sternau

 

 

第3楽章はブラームスが得意としたスケルツォ楽章。メンデルスゾーンの作品(ピアノ三重奏曲第2番)とも関係しているというテーマがエネルギッシュに進行してゆくが、ハイドシェックが実に粋に演奏しているのだ―まるで激しめのワルツのように。試聴してとても驚いたのを今でも思い出す。

 

 

第4楽章「間奏曲」には「回顧」というタイトルが見られる(シュテルナウの詩のタイトルでもある)。第2楽章のテーマから始まり、「運命の動機」に変容する。アタッカで繋がるためか、当盤ではトラック分けされておらず、第5楽章と合わせて1トラックとなっている。

そしてその第5楽章「Allegro moderato ma rubato」が密やかに始まる。第1楽章と関連があるが、演奏表記からもわかる通り、比較的穏やかな音楽が進行する。当盤も同様で、モデラートをより意識しているように感じられる演奏だ。

 

 

このようにシンメトリカルな構成からなる、ブラームスの若き日の傑作ソナタの(僕が思う)決定盤をこうして聞ける喜びを感謝したい―。

 

 

 

色々な意味で懐かしい映像―ブラームス/ピアノ協奏曲第1番。

ハイドシェック&渡邉暁雄/日本フィルによる1968年ライヴ。

 

商業主義を嫌悪し、録音をほとんど残さなかった幻のピアニスト

エルヴィン・ニレジハージのブラームス。和音の響きに独特の

煌めきと美しさがある。遅いテンポがその美点を際立たせる。