イェルク・デームスによるシューマン/ピアノ曲全集、今回の11枚目は多少渋い選曲ながら、シューマンならではのタイトルと音楽が収録されている。

 

 

 

 

 

【CD 11】
 

1. 8つのノヴェレッテンOp.21
2. ペダル・ピアノのための6つの練習曲Op.56

 

 

 

 

冒頭の「ノヴェレッテン」は「小説」を意味する「ノヴェレ」を小規模した「ノヴェレッテ(短編小説) 」の複数形(Novelletten)であり、タイトルに用いたのはシューマンが初である(のちに多くの作曲家が採用することになる)。作品番号は20番台だが、作曲は「子供の情景」などと同時期であり、同時出版も考えていたという。ショパンは「物語」の分野であった「バラード」を曲名に採用したが、シューマンもそれに倣ったのであろうか―ただ、採用の理由はユーモラスで、シューマンの友人の歌手クララ・ノヴェッロの名前をもじったものと考えられている。自分の恋人クララ・ヴィークと同じ名前であることにシューマンが無関心なはずはない。クララへの手紙の中でもこの作品について言及し、タイトルがもし「ヴィーク」の複数形だとイマイチ決まらない、と語っているのが面白い。父親からの反対がありながらも2人が幸せな思いで愛を育んでいた時期の作品、と考えると、この比較的知られていない音楽の雰囲気が明るく躍動的で、ユーモラスな表情を見せる理由が容易に伺えるというものだ(シューマン自身は「冒険物語集」と呼んでいたそうだ)。事実、8曲中短調なのは第8番(嬰へ短調)のみであり、第3,6番にはフモール(Humor)の演奏指示が見られる。ちなみに出版直前まで曲順は変更を繰り返していたというから、そこにシューマンの拘りをみることも可能かと思われるが、曲ごとの関連性が見出せない(各曲の独立性が強い)ためか、現実的に全曲演奏は珍しい部類に入る。それでも全曲の背後で「結婚式やその後の家族の様子などをユーモアとともに」夢想して作曲していたというシューマンの喜びに舞い上がるような思いが強く作用してることは一聴して明らかである。

 

1831年作曲のショパン/バラード第1番ト短調。

多くの演奏がある中、融通無碍なフランソワ盤で―。

 

プーランク/3つのノヴェレッテ。シューマン以外ではこれが有名であろう。

機知に富み、こちらのほうがよりストーリー性を感じやすい。

 

メトネル/3つのノヴェレ。第1番には「ダフニスとクロエ」

という副題がつけられている。

 

未亡人クララと一時期交際したというキルヒナー/12のノヴェレッテン。

ピアノ三重奏の編成による。どことなくシューマンを思わせる作風。

 

ルトスワフスキ/管弦楽のためのノヴェレッテ(1979)。

 

 

 

 

以前のブログにも記したが、「ノヴェレッテン」は音楽そのものよりタイトルが僕にとって若い頃の思い出である(小説風の日記をそう名づけたからだ)それらを処分して数年後に「のだめ」を知ったとき、(僕の思い上がりだが)内容が似通っていると感じて不思議な気持ちになったものだ―もちろん比べるべくもない。ツイッターをしていてアカウント名が同じだったりすると勝手に縁を感じてしまっているのである(あの「ルプー」本の著者「板垣千佳子」氏の会社名もそうだった)。

 

 

 

 

 

 

まさに「冒険」の始まりにふさわしいマーチ風の「第1番ヘ長調」が最も有名でよく演奏されるが、続く第2~5曲までは同じ調性(ニ長調)で推移するせいか、聞いてて連続的な印象を受ける(演奏指示は異なる)。第1番はロンド形式だが、それ以外のほとんどの曲は3部形式で中間部にゆったりとした間奏が挟まれる(複層的な構造の第9番だけ例外)。


第2番はうねるように上昇するフレーズが印象的―まるで喜びのトルネードである。対して中間部は繊細でメロディアスなフレーズが「Lento」で歌われる。


第3番の中間部でシューマンは「マクベス」の3人の魔女のシーンをスコアに書き込んでいるという―「わたしたち3人はいつまで嵐、稲妻、雨の真っ只中にいるのでしょうか?」。幸福の隙間からこぼれた不安であろうか―。フモールの指示があるのも納得。


第4番は短い曲ながら、まさにホール会場でのダンスを彷彿とさせるナンバー。かつての作品「謝肉祭」を思わせる雰囲気。


第5番ではそれに熱狂さと多少のくどさが加わる(「Rauschend und festlich」/騒々しく祝祭的に)。ポロネーズを思わせるリズム。今のところ最も演奏時間が長い曲(9分近い)である。


ニ長調を離れた「第6番イ長調」や「第7番ホ長調」はとりとめがない感じの曲だが、特にフモールの指示のある第6番は(この曲集では珍しく)所々翳りを感じさせるのがシューマンらしい。第7番は3分かからない一番短い曲だが、流れるような中間部が美しい。もしこの曲集を連続演奏の対象とみなすなら「繋ぎ」のイメージが拭えない。

 

そして「第8番嬰ヘ短調」は最後にして一筋縄でいかないナンバーである(つまり僕の好み)。唯一の短調であるが、憂鬱さではなく暗い情動を感じる。まるで「フモレスケOp.20」のように異なる楽想が次々と現れては消える印象なのだが、エチュード風の楽想と行進曲風の楽想でなる2部構成のようだ―なので演奏時間も最も長く11分を超える。この第1部を聴いてると不思議とかつてのシューマンのピアノ曲を思い出してしまう。例えば「ダヴィッド同盟舞曲集」や「交響的練習曲」「フモレスケ」などだ―さり気なく引用しているのだろうか?―。

もっとも、引用が明らかなものもある。それは第2部のシューマンらしく大袈裟な表情のマーチの中で現れる「クララのモティーフ」だ(実は第1部でも出現していた)。しかもそこには「Stimme aus der ferne」(遠いところからの声)と書きこまれているのである(前述の「ダヴィッド同盟舞曲集」の終曲にも同様の指示が見られる)。かろうじて手紙のやり取りだけで愛を確認し合っていた苦しい時期、会うのもままならなかったクララへの想いがストレートに示されたこの箇所は、シューマニアーナにとって堪らない瞬間である。嬰ヘ短調で始まったこのナンバーは力強くニ長調でコーダを迎える―まるで勝利の凱旋でもあるかのように―。ただ僕にはその背後にまとわりつくような不気味な和音が聴こえてならないのだが…。

 

 友人の歌手の苗字から曲名のヒントを得たとはいえ、シューマンがこの躁的なノヴェレッテンの中で終始見つめていたのは、もう一人の「クララ」であったことは言うまでもない―。

 

クララ・ヴィーク/「音楽の夜会」Op.6~第2曲「ノットゥルノ」。

この冒頭が「ノヴェレッテ」第8番で引用されている。

 

夭折した名手ディノ・チアーニの演奏で全曲盤を―。当デームス盤

より濃厚で熱烈なピアノを聞かせている。

 

武満徹/「遠い呼び声の彼方へ!」。徳永二男がソロを担当、

外山雄三/NHK交響楽団の音源で。

 

 

 

 

 

2#曲目は「ペダル・ピアノのための6つの練習曲Op.56」―シューマン作品の中でもかなりマイナーなものだが、近年アンデルジェフスキなどの演奏で知られるようになった佳曲である。この曲集にはドビュッシー編曲による2台ピアノ版もあり(こちらの方が有名かもしれない)、そちらは「カノン形式による6つの練習曲」「6つのカノン風小品」とも呼ばれている。

 

この「ペダル・ピアノ」はシューマンが好んだ楽器で (アップライト型が好きだったらしい)、これ以外にも多くの作品を作曲している(当時のヴィルトゥオーゾだったアルカンも自分用にこのピアノを作らせ、作品も残している)。その熱狂度はメンデルスゾーンに音楽の授業で用いるように促すほどであったという。当時の楽器のイメージはピアノとオルガンの合いの子のような感じだろうか。20世紀には廃れてしまったが、何故か21世紀になって息を吹き返し、製造も行われ、扱うピアニストも増えたというから不思議だ。もちろん当盤はピアノ・ソロで演奏されている。

 

 

 

 

作品は6曲からなり、知らずにいるのは勿体ないほど叙情的で美しい曲集である(編曲したドビュッシーの功績も大きいだろう。あまりシューマンとの結びつきを意識したことはなかったが、ショパンと同様無視できる存在ではなかったようだ)。第2曲と4曲には「Innig(内面的に、心から)」の演奏指示があるような、実にシューマネスクな世界が拡がる。こういう知られざる佳曲があるから、シューマンの作品は奥深く、飽きることがないのだ―。

 

アルカンの難曲を現代のペダル・ピアノで弾く。初めて観た時は驚いた。

 

1883年製のペダル・ピアノでの貴重な演奏。シューマンが愛した

楽器の響きを追体験できる。親密で豊かな音色―。

 

ドビュッシー編曲版。アルゲリッチ&ジルベルシュテインの演奏で―。

 

こちらはオーボエ&チェロ&ピアノのヴァージョン。ピアノ三重奏

のカタチでもよく演奏されるようだ。