北欧のBISレーベルで、初稿を含む交響曲&管弦楽全集録音を残しているオズモ・ヴァンスカ/ラハティso他によるシベリウス/管弦楽曲集の中の1枚。タイトル曲「森の精」の交響詩&メロドラマ版、ナレーションを含む「孤独なシュプール」、劇付随音楽「白鳥姫」を収録。そのうち3曲が世界初録音となっている。

 

 

 

 

 

 

シベリウスは昔それなりに聞いてきた作曲家である―当盤は現在コレクション中唯一のシベリウス・アルバム―。一番よく聞いたのは「ヴァイオリン協奏曲」だったと思う(ムローヴァ&小澤征爾盤)。「交響曲」はずっと後になってからで、バーンスタイン/VPO盤の第1番やサラステ盤の第5番などがきっかけになった(全集はベルグルンド/COE盤)。あとはグールド盤でピアノ曲を少々聞いたくらいだろうか―あの絶美な「樅の木」を知ったのは数年前。将来弾けるものなら弾いてみたい曲である―。こうしてみると決して熱心な聴き手ではなかったが、リスニングの中心になっていたドイツ音楽とは相いれない雰囲気を感じていたからだと思う。ドイツ音楽(例えばベートーヴェンやブルックナー)は建造物のような構築感があるが、シベリウスはもっとナチュラルで植物の生長のようなイメージがある。マーラーとシベリウスとの会話の中で「交響曲=世界そのもの」というマーラーに対して、シベリウスは「内的な動機を結びつける深遠な論理」と語ったとされるが、確かに内々に働くベクトルを感じる音楽である(僕には対立する概念とは感じられない)―ミクロコスモスのような世界観ともいえるだろうか(特に交響曲第7番)。昔に比べて頻繁にシベリウスを聞くようにはなったが、今でもコレクションに含めるのには慎重だ―第3番や5番,7番は好きなので、気に入った演奏が見つかればコレクションに加わるかもしれない。

 

遺族から許可を得て録音が実現したヴァイオリン協奏曲の初稿版。

もちろん世界初で唯一の録音である。

 

こちらも世界初録音の交響曲第5番の初稿版。全4楽章からなる(現行版

は3楽章)。16羽の白鳥が飛んでいる風景に感動して書かれたという

フィナーレは特に印象的だ。

 

不思議なことに、美術、文学、音楽いずれのものであれ、飛翔する白鳥の姿とその鳴き声に匹敵する感動を私に与えるものは、世界のどこにもないのです。それは決して忘れることができない光景であり、私の人生に輝きを与えてくれます

 

 

5つのピアノ小品(樹の組曲)Op.75~「樅の木」の初稿版の演奏。

こちらの方が慎ましやかで僕は好きだ(変ホ短調だし)。

 

 

 

 

このアルバムのメインとなっている交響詩「森の精」Op.15は比較的初期の作品で、1894年の秋に作曲。リストやワーグナーを感じさせるものがあり、それが僕にとって聞きやすかったのかもしれない。シベリウス自身気に入っていた作品らしく、作曲家自身の指揮で初演&再演がなされたが、どういうわけか出版されることはなかった。幸い、シベリウス晩年の「炎のジャッジ」から逃れ、死後に再発見、作曲から約100年後の1996年に遺族の承諾のもと、オズモ・ヴァンスカ/ラハティsoにより演奏されたのだった(当盤も同年に録音)。なお2006年に初版楽譜が出版されている。

 

全体は大まかに4部からなり、続けて演奏される。題材となったヴィクトル・リュドベリの詩に則った構成のようだ(作品の具体的な情報は下記のWikipediaより。やけに詳細な解説となっている)。冒頭の低弦の刻みに載せてブラスが奏でる「森の響き」はまさにドイツ・ロマン派のよう。それ以降も曲想が刻一刻と変化し、ドラマティックな展開をみせる。勿論美しいメロディにも事欠かない―特に独奏チェロのカンタービレは素晴らしい。第3部は東洋的な雰囲気すらある。こんなわけで僕はドライブの時のお供にすることが多い―いい感じに合うのである。とりわけ印象的なのは短調に転じるフィナーレ(第4部)で、悲劇的な絶望の音楽となる。ワーグナーの音楽を特に思わせる和声と音楽であり、同年にバイロイト参りをした影響かもしれない―と僕は思っている。ここに対応する詩句には「森の精に奪われた心は二度と戻らない」と書かれているのが意味深でもある―。1895年の初演は概ね好評だったようだが、評論家の中では意見が分かれ、「実験作」「進化の出発点」とみなす人々も多かった。現代においても「さらなる推敲が必要」とみなす意見がある一方、オズモ・ヴァンスカは、「途方もない作品…間違ったところは1つもなく、改訂を必要としない」と擁護している―僕も同意見である。

 

シベリウスはマッチ箱に苔を詰め、その匂いを嗅いでは森にいるような気分に浸っていました。戸外では時折うつぶせになり、大地の香りを胸一杯に吸い込んでいました。それは素晴らしい幸福感を彼にもたらしたのでした

 

 

このOp.15には交響詩を含めて同じ素材を用いた4つのヴァージョンが存在する。他にはピアノ・ソロ版、歌曲版、そしてメロドラマ版である。アルバムの最後に収録されているそのメロドラマ版は交響詩の前に初演されており、そのため作曲の順番はメロドラマが先で、拡大発展させたのが交響詩では?という見方ができるが、一部専門家によれば1ヶ月そこそこで発展させるのには無理があるという意見も根強い。いずれにせよはっきりとしたことは不明である。編成はピアノ、ホルン2、弦楽合奏にナレーションが加わる。批評家たちからは好意的な評価を得た作品で、作曲家メリカントは「小規模な音の絵画の中で、美しい色彩感を出している。とりわけ最後のセクションは、シベリウスがこれまでに書いた音楽の中で、最も魅惑的なものの部類に入るだろう」と絶賛している。このヴァージョンが(朗読を含んでいることもあって)最も「バラード」っぽい。

 

「森の精」~第4部。嬰ハ短調の葬送行進曲風の重厚な音楽。当時

の評論では「自責の念をこれ以上に明瞭に表現した音楽は、かつて

ほとんど書かれたことはなかった」とさえ言われている。

 

当盤音源より、メロドラマ・ヴァージョンを―。

 

 

 

 

 

アルバム2曲目にはわずか3分ほどのナレーション、弦楽合奏とハープのための作品「孤独なシュプール」が収録されている。もとはピアノ&ナレーションの作品(1928)だったのが晩年の1948年に現在の形に編曲された。死生観を如実に表すようなテキストはベルテル・グリペンベリによる詩で、彼の追悼のために作曲&演奏されたという。

ちなみにテキストの最初のセンテンスは以下の通り―。

 

森の深淵へと遠ざかっていく
一筋の孤独なシュプール
丘や谷を越えて曲がっていく
一筋の孤独なシュプール
湿地の上には粉雪が舞い
そして低くまばらに松が立っている
遠く遠くへと静寂の中に遠ざかっていく
私の想い

 

 

大自然を愛したシベリウス―。自然は雄大であればあるほど孤独を要求するものである。真っ白な雪に刻まれたシュプールを静寂のうちに想いを重ねる詩にシベリウス自身も思うところがあったに違いない。弱音器をつけた弦楽のくすんだ響きと時折たなびくハープがキラキラ舞う雪を描いているようで、寂しくも実に美しく心に刻まれる音楽だ―。

 

当音源より。どこかで聞いたことがあるような雰囲気とメロディ。

ナレーターは俳優&演出家のラッセ・ポイスティ。

 

 

 

 

アルバム3曲目はスウェーデンの劇作家アウグスト・ストリンドベリの童話に基づく「白鳥姫」Op.54である。オリジナルはこの劇付随音楽(当盤が世界初録音)だが、後に7曲にまとめられた組曲版も作られている。シベリウス/「ペレアスとメリザンド」にいたく感動した作者の依頼により、1908年に作曲されたこの付随音楽は全3幕14曲からなるが、全体でも30分を満たない規模。題材が童話であるためか、朗らかな音楽が続く―グリーグの組曲を連想させるという識者の意見もある。第7曲以降マイナー調に転じ、味わい深い音楽を聴かせるのも魅力的。第10曲ではヴァイオリン・ソロが登場、終曲の第13,14曲ではオルガンがティンパニとともに壮麗な雰囲気を添えている。といっても編成は小規模のもので、フルート、クラリネット、ホルン2、トライアングル、ティンパニにオルガンと弦楽。ちなみに組曲版はハープやカスタネットが加わったりと編成が大きくなっている。

 

実は初聴きの音楽なのに驚いたことがあった―何とシベリウス/交響曲第5番第2楽章と全く同じフレーズが突如現れたのだ(第11曲)。作曲はこちら(「白鳥姫」)の方が早いので、第5番の元ネタということになる―実はよく聞くと随所に第5番の様々なフレーズが現れたりしている。前述したように第5番は「白鳥」の印象が反映された作品なので共通性を感じさせるのである。

 

当音源より―。組曲版も聞いたが(当然)まとまっている印象。

でもオリジナル版でしか聴けない音楽もあるので貴重だ。

 

 

 

 

 

 

PS:遅ればせながら、先日9月20日はシベリウスの命日であった―。ツイッターでも「#シベリウス命日」で幾つかの動画をUPさせてもらった(この記事にも載せている)。機会あるごとに彼の音楽に接していこうと思う。僕のように雪国に住んでいる者としては、何かとシンクロする部分が多い音楽であることも確かだから。

 

シベリウス自ら指揮した「アンダンテ・フェスティーヴォ」。

1939年放送録音。唯一の自作自演音源。

 

幻の「交響曲第8番」のフラグメント演奏。ストルゴールズ盤より。