グリゴリー・ソコロフによるリサイタル・アルバムのDVDセクション。前2枚の音源と曲のダブりもなく、映像と美しい音響でソコロフの至芸を楽しめるのは至福のひとときである―。

録音はCDより少し前の、2017年タリンでのライヴ・リサイタル。前半にモーツァルトのソナタ2曲(K.545、K.475&457)後半にベートーヴェンのソナタ2曲(Opp.90&111)というプログラム構成で、それに恒例のアンコールが6曲続く―。


 

 

 

 

オープニングを経て最初に奏でられるは、ご存じ「モーツァルト/ピアノ・ソナタハ長調K.545」。なぜか「ソナチネ」と呼ばれることも多いこの曲―「初心者のための小さなソナタ」と自作の作品目録に記されていることに由来しているらしい。グールド盤の子供のイタズラのような演奏以来耳にしていなかったのも事実。僕の世代では第15番と呼ばれていたが、校訂のためか現在では第16番に。ヴァイオリン・ソナタもそうだが、番号読みは厄介だ。ケッヘル番号だけでいいような気もする。よく知られているかもしれないが、K.545にはグリーグ編曲の2台ピアノ版という珍しいヴァージョンもあり、なぜかリヒテルが録音を残している。「現代の耳に魅力的な色調の効果を与えようとした」とはグリーグの言葉だ―。

 

希代の珍盤―。K.310と同様テンポ感が不思議であるが、面白いことには

変わりない。第2楽章が速めに聞こえるのはソコロフも同じである。

 

2017年イタリアでのライヴ。当DVDと同時期の音源。装飾音のさり気なさ

が実に心憎い―。

 

こちらがグリーグ編曲による2台ピアノ版。音が増えて豪華な感じになって

いる。2台ピアノ同士の絡みが面白く、楽しい―。

 

ジュリアン・ユー/「モーツァルティアーナ」。有名なフレーズが出没するが、

最後には意味深に感じられる音楽となる―。

 

 

 

続いては「幻想曲ハ短調K.475+ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457」。

最近よくセットで演奏されるようになったこれらの作品は、単にテーマが似てるからということ以上に、モーツァルトがこの2曲を「Op.11」として出版した唯一のピアノ作品であることで注目に値すると思う―。多くの転調を含むK.475はまさにデモーニッシュな印象―同じ「幻想曲」でもニ短調K.397のようなメロディアスなものではない。C.P.E.バッハに近い感覚を覚える。

ソコロフはアタッカで繋ぐという感じよりももっと直接的に、まさにソナタの序奏のような扱いをしている(ほとんど間を置かない)。

 

かつて聞いた中で最も印象的だったのはアファナシエフ盤。その斬新なジャケットに相応しい「宿命」を思わせるモーツァルトであった(ライナーノーツに寄稿してる中沢新一氏曰く「チベットのモーツァルト」)。

 

 

「これはモーツァルトではない」という厳しい意見も聞かれるが、短調の楽曲で埋め尽くされたそのアルバムは、長年僕の心に寄り添ってくれたものであったことに間違いはない―。

 

モーツァルト作品の中でこのK.457のソナタほど、ベートーヴェンを感じさせるものはないだろう(K.466や491よりもそうだ)。単に調整の類似だけではない―よく指摘されるように、第2楽章中間部ではベートーヴェン/悲愴ソナタの第2楽章が「予告」されているのだ―。

ただ、第3楽章の決然とした中でもはかなさを感じさせる作風は、やはりモーツァルトならでは―と思う(このフィナーレをピアニッシモを最大限生かして最も神秘的に演奏したのはグールドであった。ソコロフもそれに迫る名演を繰り広げる)。

 

K.475。恐らく過去最長の演奏時間19分(ソコロフ盤は13分)をかけた

ピーター・ゼルキン盤。テンポもさることながらパウゼの効果も凄い―。

 

C.P.E.バッハ/ファンタジア ハ短調。その類似性は冒頭から明らかだ―。

 

第1楽章。プレトニョフ盤も個性的で良かった演奏。斜に構えた感じ―。

 

第3楽章。当DVDの映像より―。思索的なテンポと間、熟しきった音色が

深い哀感を感じさせる。

 

 

 

 

モーツァルトに続くセクションはベートーヴェンの2つの後期ソナタ―第27番と32番である。

両方とも全2楽章形式であるのも興味深い。そしてソコロフはここでも間髪入れずにこの2曲を連続して演奏している―「全4楽章」の「グランド・ソナタ」として。

 

「ピアノ・ソナタ第27番ホ短調Op.90」は、第22番や第24番以来の全2楽章形式によるが、より特徴的なのはドイツ語による演奏表記が全面的になされたことかもしれない―。

第1楽章は「Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck」(活き活きと、全体を通して感情と表現を込めて)と記され、第2楽章は「Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen」(速すぎず、十分に歌うように演奏すること)と表記される。「ホ短調」-「ホ長調」という調性の流れも自然で心地よく、僕が好むベートーヴェン/ソナタの1曲でもある。

 

ハイドンもまた2楽章制のソナタを多く残した人であった。こちらはト短調

Hob.XVI:44。ソコロフによる2018年オーストリアでのライヴ。

 

 

第1楽章冒頭、ベートーヴェンらしく決然とした和音で始まるが、調性のおかげか、それほど劇的に響かず、仄かな感傷性がある。ホ長調の第2楽章はよくシューベルト的と言われるが、実際に似た作品が存在する(ピアノ・ソナタ ホ短調D566)。なお、ロンド形式のフィナーレはピアノ曲ではこれが最後になるようだ(実際、「フーガ」と「変奏曲」尽くしとなる)―。

 

ここはアファナシエフのライヴで。彼らしく思索的に奏でられている。

 

シューベルト/ピアノ・ソナタ ホ短調D.566~第2楽章。ケンプの優しい演奏で。

 

 

 

そして前述の通り、突然、第32番ハ短調の冒頭和音の鉄槌が下される―。ここでの効果は実にショッキングだ(ソコロフもまるで掴みかかるかのようにして、左手を鍵盤に振り下ろす)。

前曲のホ長調の幸福感が破壊される―。まるでマーラー/交響曲第6番「悲劇的」の「運命の打撃」のように―。

 

終楽章に2度登場するハンマー(当初は3回だったらしい)。

 

 

当初、通常の全3楽章形式で構想がなされていたというベートーヴェン/最後のソナタは結果的に全2楽章のフォームに落ち着いたわけだが、物足りなさどころか、見事な完結感と(スピリチュアル的表現を借りれば)「魂の浄化」を思わせる大変奥深く、絶美な音楽である―。

この最後の作品で「全2楽章形式」というのが想像を掻き立てるらしく、「現世と来世」に例えたりされる(ビューローやフィッシャー)。トーマス・マンが「ファウスト博士」(1947)の第8章でこのソナタの「第3楽章」についての講義の場面を記したこともよく知られているし、プロコフィエフの第2交響曲はこのソナタをモデルにしたともいわれる。

 

 

 

 

思えば、ポリーニ盤で最初に聞いて以来、ずっと頭の片隅で鳴り響いてきた曲である―。

個性的な演奏が好きな僕は直ぐにポゴレリチやグールド、アファナシエフ盤に飛びついた。

中でもグールド盤の衝撃は大きかった―特に気が触れたみたいな高速テンポの第1楽章、打って変わって、星の瞬きのような第2楽章―。ウゴルスキ盤はその極遅のテンポ感に痺れた(第2楽章は過去最長の26分54秒。バックハウス盤の約2倍)。しかしそれ以降、このソナタを聞くことが少なくなり、コレクションからも姿を消し、頭の片隅からも消えた―まるで消しゴムで消されたように。その理由はわからないが、特別な存在ではなくなったのかもしれない。

実際このDVDで久々に触れた思いがした。それで気づいたのは、第1楽章にいつの間にか聞きずらさを感じていたことだ。幸いソコロフの演奏にはそれほどの抵抗はなかった(彼は10分かけてじっくりと奏でる。過去の自身の演奏よりも遅いテンポだ。彼の演奏でなければ聞かれない独特のフレージングもある)。美しいアリエッタはウゴルスキ盤に匹敵する24分台。煌めくトリルが無限に続くようだ(さながら「天界」へ続く長い階段を思わせる)―。

 

作曲当時は誰も見向きしなかったこのソナタが19世紀になって盛んに演奏され、「神聖視」されたのはドイツ・ロマン派の事情による(恐らくクララ・シューマンをはじめとして多くのピアニストがレパートリーに含めていたことだろう。ショパンはこの曲の素晴らしさを激賞したと言われている。自身の作品―ピアノ・ソナタ第2番や「革命」のエテュードなどにその痕跡を見つけることができる)。現在でもその傾向は失われていない(グールド盤はそれに対するアンチテーゼなのか)。ただ、曲が持つ性質やリスナーに抱かせる感覚は、そちらの見方の方が自然だと感じさせるものがある―。

 

音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である 」と述べたのはベートーヴェンその人であった―。

 

なお、第2楽章「アリエッタ」の諸変奏の中でも、とりわけ画期的と評されることが多いのは第3変奏である。36/64拍子というリズムと音価はジャズやブギウギを思わせて、安易に「ベートーヴェン」と「ジャズ」を結び付けようとする評論家や音楽家が実際にいるらしい(しかも高名な方々だったりする)が、アンドラーシュ・シフはその仮説に強固に反対しているアーティストの1人である―。

 

ムストネンによる、これまた個性的な第32番。アリエッタは美しい―。

 

ソコロフによる2017年ミュンヘンでのライヴ。映像がないのが惜しい。

 

 

 

 

これから35分にわたるアンコールがなされる(もはや大曲1曲分に匹敵する)―。

弾かれる楽曲は以下の通り―。

 

1. シューベルト/「楽興の時」D780~第1番ハ長調
2.3. ショパン/2つの夜想曲Op.32
4. ラモー/「コンセール用クラヴサン曲集」~「L'Indiscrete」
5. シューマン/アラベスク ハ長調Op.18

6..ドビュッシー/前奏曲集第2巻~第10曲『カノープ』

 

 

見ての通り、ここでもメイン・プログラムと同じように「ハ長調」でまとめている感がある。

新鮮なのはショパン/ノクターンが「Op.32」のセットで入っていることだろう―第9番ロ長調&第10番変イ長調。彼のショパン演奏は安易に感傷に流されないのが好みである。

 

第10番変イ長調。こちらは映像で。中間部の繊細極まる表現に注目―。

 

 

今回もラモーが入るが1曲だけで、「相方」としてブラームスではなくシューマンが入るのが興味深い。ラモーの(リストとは違った意味での)超絶技巧のピアニズムが炸裂するとオーディエンスの興奮にスイッチが入る様子が映像から明らかに伺えるのが面白い―。僕としてはアラベスクが円熟した解釈(特に中間部)で、しみじみと奏でられるのが嬉しい―。

 

ラモー/「第4コンセール」~「軽はずみなおしゃべり」。2007年ライヴ。

 

ここはプレトニョフの2021年ライヴから。アンコールでアラベスクが弾かれ

ているが、完全に脱力し(疲労?)、「演奏している」という感じすらしない。
 

 

スタンディングオベーションで迎えられ(ソコロフのライヴではいつものことらしい)、結びは前回のアンコールと同じくドビュッシー/前奏曲で締めくくられるが、ここで選ばれているのは第2巻第10曲「カノーブ」。興奮を鎮静させるかのように、神秘的に、謎を残すような楽曲でラストを迎えるあたり、充実感とさらなる期待感を持たせているようで、実に巧妙かつ魅力的な選曲だと感じた次第である―。

 

 

次の「ライヴ・アルバム」が楽しみである―。