実に楽しいアルバムだ―。容姿端麗かつノン・ヴィブラート調の透明な歌声を聞かせるパトリシア・プティボンがアンドレア・マルコン率いるピリオド・アンサンブル「ラ・チェトラ」とともに奏でる爽やかなエネルギーに満ちた初期バロック音楽集。ジャンルは世界を巡り、ラテンアメリカからイギリス、フランスを蹂躙し、民謡をも散りばめる。プログラムの素晴らしさは一聴すると明らかで、歌詞を知らずとも楽しめてしまうほど、「音」そのものの魅力にあふれている。このようなアルバムは僕にとって希少かつ貴重だ―。
僕はプティボンの存在は勿論知っていたが、彼女の声に触れたのはハーディング指揮の「カルミナ」が初めてであった。何度かブログで述べているように、そもそも「声楽」には疎く、カップリングされてるから仕方なく聞いてたくらいの僕が、まさか彼女の声に魅せられるとは夢にも思わなかったのである(別に「タイプ」だったわけでもない)。
パトリシア・プティボンは古楽の巨匠ウィリアム・クリスティに見出されて「レザール・フロリサン」のメンバーとして活躍し、その後マルク・ミンコフスキやニコラウス・アーノンクールらと共演を重ねてきたようだ。確かに古楽で研鑽を積まなければ不可能な歌い方のように思える。そして詳しくは後述することになると思うが、感情表現が並ではない。ファーストネームが同じパトリシア・コパチンスカヤを思わせる激しさと繊細さだ―。これもテクニックの裏づけがあってのことではあるが、音楽的自由を満喫しているような開放感が彼女たちの特徴ではないだろうか(コパチン嬢の新譜「シェーンベルク/月に憑かれたピエロ」は近々取り上げる予定だ)。
プティボンとマルコンはこの「イタリア・バロック・アリア集」でも共演している。
どっちが指揮者だかわからないほどのジェスチャーと没頭ぶり。
マルコンがBPOデビューを果たし、ヴィヴァルディを奏でる。オケの適応力
が存分に発揮され、バロック化されたBPOを楽しめる。
ラース・フォン・トリアーの映画「アンチクライスト」の冒頭で流れていた
ヘンデル/「リナルド」~「わたしを泣かせてください」。コジェナーの奥行
きのある歌声も、それを意味深く支えるマルコンの指揮も聞きもの。
「トラウマ」映画としても知られる「アンチクライスト」。HSPの方はお控えを。
ライナーノーツの中のインタビューで、プティボンはこのアルバムの制作にあたり、クリスティやアーノンクール、サヴァールのサウンドを念頭に置いたというが、最も直接的な影響はイル・ジャルディーノ・アルモニコのヴィヴァルディ/「四季」であったという。
ここではバッハがチェンバロ用に編曲したことでも知られるヴィヴァルディ/
4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調を―。「静」と「動」の猛烈な対比。
このアルバムでは、ラテン・アメリカのバロック時代の作曲家の作品に加え、フランス・バロックからはラモーやシャルパンティエ、イギリス・バロックからはパーセルとヘンデルの楽曲が登場する。その合間を「トラディショナル」や「Anonymous」が埋めてゆく―。CDタイトルが「新世界」(Nouveau Monde)と銘打ってあるが、もちろんドヴォルザークとは関わりはない。むしろ当時のヨーロッパにとっての「新世界」=「異国」の情緒豊かでリズミカルな音楽の遍歴を辿るユニークなプログラムとなっているのだ。
このCDを入手する魅力となったのが2曲ある―。
そのうちの1曲は「伝承曲」の中でも一際有名で美しい曲、「グリーンスリーヴス」だ(15曲目に収録)。最初はソロで歌われ、後に伴奏がひっそりと加わるのだが、このア・カペラ部分が実に美しいのだ―。後に加わる笛(ピッコロ?)もいい味を出している。
ちなみに次の16曲目は、フランス民謡「オオカミを見た」(J'ai vu le loup)。
打って変わってグルーヴあふれるナンバーとなっている。
15曲目。もはや説明不要―。ただこの美しい歌声に酔いしれるのみ―。
「作者不詳」なのに、その「音楽」だけは、こうして生き残る不思議。
アメリカのア・カペラグループ「Home Free 」による。美しい風景とアレンジ―。
ヴォーン・ウィリアムズ(グリーヴズ編曲)/グリーンスリーヴスによる幻想曲。
フルートの導入が印象的。バルビローリ盤の2種あるうちの後の録音で。
いつものコルトレーン・クァルテットにブラス・セクションが加わった演奏。
いつになく豪華なイメージだ。
ハープ&フルート版。この憂いある曲調と相性が良い組み合わせだ。
16曲目。キッズ向けだからか、オオカミたちは友好的な態度を示す。
もう1曲はパーセル/歌劇「ディドーとエーネアス」より「ディドーの嘆き」(5曲目に収録)。
この曲はパーセルの作品で(今のところ)唯一好きな音楽だ。以前クルレンツィスの演奏で全曲盤を所有していたことがあったくらい。その演奏も実に素晴らしかったはずなのだが、いつの間にか手元から離れていった。そしてたまたまプティボンの演奏動画を見つける―その切々としたリアルな歌唱に引き込まれてしまった。感情表現が豊か。ただ単に心の中で抱いているのではなく、ストレートに音楽に現れるのだ(普段からそうなのだろうか)。
この曲のこの歌唱がCD購入の決定打だったかもしれない―。
「Remember me」―。本当に泣いているのか―と思ったほどだ。
アルバムの最初に登場するのは18世紀スペインの作曲家ホセ・デ・ネブラ(1702-68)の作品。スペインの抒情的オペラ「サルスエラ」を手掛けたことで、スペイン・バロックを語る時には外せない重要な作曲家なのだそうだ。ここではそのサルスエラ/「愛する人は目を閉ざしているが、盲目ではない」から2曲が歌われている(曲順としては1曲目と4曲目)。全く初めて聴く作曲家と作品だったが、ふたを開けると実に楽しい音世界が現出する―1曲目のアリアなんかは、まるでラフマニノフの終結のフレーズみたいな音楽を聞かせる。
1曲目に収録のエウメネのアリア。オケは迫力があり、スチール板のような
パーカッションまで登場、派手にぶち鳴らす。ソプラノは歌い終わるとなぜか
直ぐに退場してしまう。
2曲目に収録のアンリ・ル・バイイ/「私は狂気」(ラ・フォリア)。
ここでは美しい歌声のカウンターテナー&リュート版で。
アルバムでは、ペルーの司教が編んだとされる「マルティネス写本」(1783-85)より3曲の「伝承曲」が選ばれているが、どれも初めて聴くものばかり。3,8,10曲目に配置されている。
3曲目。いまいち笛が頼りないが、南米の異国情緒あふれる音楽だ。
10曲目。プティボンの妖艶な声と終わりのハッチャケぶりがたまらない―。
レコーディングであることを忘れて楽しんでるんじゃないか、とすら思えるほど。
6曲目と17曲目にはジャン=フィリップ・ラモー/オペラ=バレ「優雅なインドの国々」(1735)からの場面が歌われている。アメリカ・インディアンの酋長たちの踊りに触発されたというラモー。異国情緒あふれる音楽と踊りをこの作品に組み込むことになる。ちなみに「インド」とは国のことではなく、ヨーロッパ以外の異国をイメージして用いられた、とのことだ。
6曲目。実際こうして観ると本気かジョークかわからない感じが面白い―。
この「未開人の踊り」のメロディはクラヴサン組曲から取られていて、以前
ソコロフがライヴのアンコールで、凄まじい指さばきを披露していた。
17曲目。ウインドマシーンやスチール板が登場し、嵐の情景が現出する。
何より、最晩年のブリュッヘンの亡くなる2014年のライヴは貴重だ―。
7曲目はヘンデル/カンタータ「決して心変わりしない」(スペイン・カンタータ)HWV.140~「アリア」が歌われている。芸術のパトロンとして有名だったピエトロ・ オットボーニ枢機卿のために書かれたカンタータ集の中の1曲。1707年ローマにて作曲。スペイン語のテクストを用い、ギターを加え、「異国情緒」を演出しているが、本家本元のスペインの作曲家によるカンタータ作品にギターが加えられることはなかった―。
マリア・バーヨ(sop)、スキップ・センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテの演奏。
11~14曲目まではマルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)の作品が続く。僕たちがこの名前に親しみがあるとすれば、「マドレーヌ」で有名なフレンチ・スイーツの名門「アンリ・シャルパンティエ」か、1690年作曲の「テ・デウム」 ニ長調の前奏曲くらいだろうか。毎年恒例のVPOニューイヤーコンサートのオープニングを飾るのがこの曲であることを今回初めて知った。
シャルパンティエ/「テ・デウム」 ニ長調。かつてプティボンも在籍していた
恩師クリスティ/レザール・フロリサンの演奏。「洗練」とはこのことを言う。
11曲目の作品はシャコンヌ「何も恐れずこの森に」(1680)。世俗歌曲として知られ、コンサート・プログラムにも取り上げられることの多いようだ。
ポップで艶やかな歌い口―。可愛らしくセクシーでもある。
12~14曲目はギリシャ神話に基づくオペラ「メデ」(Médée)(1693)の第3幕から取られている。ちなみに同じ題材でケルビーニやミヨーらもオペラを作曲している。
第3幕7景。嘆願の祈りに似た前半と悪魔を召喚する後半との落差―。
あのラース・フォン・トリアーが1988年に制作した映画「メデア」。その場面に
大河ドラマ「龍馬伝」(2010)のメインテーマ曲を歌ったリサ・ジェラルドの歌唱
「サクリファイス」を重ねた動画。よくマッチしている―。
パトリシアとの「音楽を巡る旅」もあと1曲で終わりを迎える―。
18曲目は再びパーセルが登場。オペラ「アーサー王、あるいはブリテンの守護者」(1691)の第5幕から「美しい島」。単独でも歌われる文字通り美しい音楽―。イギリス・バロックに通じていなかった僕としては、嬉しい発見だった。
「こよなく美しい島 あらゆる島々に勝り 喜びと愛のあるところ…」と歌われる。
パトリシア・プティボンの巧みなコーディネートによって「新世界」へと誘われた67分だった。きっとこれから何度も同様の「旅」を経験することになることだろう―。