何事にも定まった時期があり、(…) 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

 

 

この旧約聖書(「伝道者の書」第3章)の引用のように、僕たちが普段「意識下」に置き去りにしている「真実」―望むとも望まざるとも、やがてすべての人に100%訪れる「現実」―を、この「賢者の言葉」はあからさまに示している―。

 

どうやら、この「件」に関しては「居留守」を装うことも「未読(既読)スルー」もできないらしい。

だからこそ、というべきか、「最後の瞬間」に人が何を思うのか―は「その時」にならないとわからないだろうが、特にキャリアを積み重ねてきた音楽家たちの「想い」が感じられると思われる最晩年の録音たちを、僕たちが拝聴できるある種の「尊さ」と「歓び」、あるいは「悲哀」について、語る気持ちを抑えられないでいる。

 

 

 

音楽家にとっては、どうなんだろうか―。

できることなら、命尽きるまで音楽に携わっていたい、と思うものなのだろうか。

年齢による肉体の限界は避けようがないことだが、概ね指揮者は長寿であることが多い気がする。「人生を棒に振る」とは、ネガティヴな表現だが、指揮者は棒ばっかり振っているわけではない。それはコンサートでの表向きの姿でしかなく、目に触れない部分で膨大な仕事量が求められているのではなかろうか。「コンサート」はむしろ、その働きに対する「ご褒美」とすら思えるし、倍音成分を含むアコースティックな響きに全身を浸しているのだから、そりゃ長生きするよなって感じてしまう。

 

一方で、指揮の最中、突然「その時」が訪れることがある。残された僕たちからすれば、「指揮者冥利に尽きる」などと無責任な言葉を放ってしまうが、当のご本人はそんなつもりがなかったはずであろうことは言うまでもない。

すぐに思い浮かぶのはジュゼッペ・シノーポリ(1946-2001)だろう。2001年4月20日、ベルリン・ドイツ・オペラで、ヴェルディ/歌劇「アイーダ」の第3幕を指揮中に、心筋梗塞で倒れ、急逝してしまう。その突然の死に世界が驚いた―。

 

 

彼の死を目の当たりにしたヴァイオリン奏者、イリス・メンツェル氏の証言が綴られている。

 

 

マーラー/交響曲第9番~第4楽章。急逝する4年前の演奏。この頃のシノーポリの演奏は音楽の密度が最高度に達していたように思う。

 

 

 

アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)のラストコンサート。オール・ワーグナー

プログラムであったが、この「タンホイザー」序曲と「バッカナーレ」で、記憶障害

により指揮が一時ストップしてしまったという。聴く限り、該当する箇所は見当た

らない。むしろ生命力あふれ、意外に柔らかな響きに魅了される―。

 

 

ワーグナー/「ジークフリート牧歌」(13楽器によるオリジナル版)。

奇才グレン・グールド(1932-82)最後の録音がピアノではなかったというのは

象徴的だ。実際、指揮のレパートリーの楽曲を数多くチョイスしていたという。

彼の指揮者としての演奏を聞きたかったと思うのは僕だけではあるまい。

 

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89)最後の録音が、ワーグナーの死を知った

ブルックナーが「葬送の思い」を込めた交響曲第7番とは、何かの因縁だろうか。

 

 

レナード・バーンスタイン(1918-90)の最後のライヴ録音。カラヤンと同様、

交響曲第7番で、しかもどちらも「葬送的」な緩徐楽章を持つ楽曲を選んだ

のは偶然であろうか―。

 

 

ニコラウス・アーノンクール(1929-2016)最後の録音がベト5とは思いもよら

なかった―まさに「運命的」である。CMWとの全曲録音の予定が組まれて

いたとも伝えられる。訃報を聞き、数日落ち込んだ記憶がある―。

 

 

 

 

ピアニストも長寿が多いだろうか―。うまくいけば、彼らは命尽きるまでピアノのそばにいることができる。ピアノがあれば、何とかでも弾くことが出来るのである。往年のピアニストによる最後の録音は、(刷り込みかもしれないが)やはりどこか澄み切った印象を受けてしまう―。

 

ウィルヘルム・バックハウス(1884-1969)「最後のリサイタル」から―。

シューベルト/即興曲変イ長調D935-2。体調不良でベートーヴェンの18番

のソナタを全曲弾くことが叶わなかった後、アンコールで弾かれたシューマン

とこのシューベルトは実に格別であった―。

 

 

エミール・ギレリス(1916-85)最後の録音からベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30番。ついに第32番の録音が果たされなかったことが惜しまれる―。

それにしてもこの「音」の素晴らしさ。一音一音が噛みしめるように弾かれる。

 

 

ウラディミール・ホロヴィッツ(1903-89)最後の録音となったのはハイドンの

ソナタやリストの編曲モノの他は、やはりショパンであった―。

ここは「エオリアンハープ」の愛称で知られるエテュードOp.25-1を。

終わりまで、あくまでも美しく響くピアノだ―。

 

 

まだ存命であるが、「音楽的遺産」を残すべくアファナシエフが6枚組の

アルバムを録音。これが最後にならないことを祈るばかりである。

 

その中から、ドビュッシー/「月の光」。7分かけて演奏されている。

 

 

 

 

 

 

ジャンルを問わず、世の中には「ラスト・リサイタル」と銘打ったアルバムが数多く見られる―。

そのアルバムを手にし、聞くときに僕たちの心に去来する「想い」は、「感謝」と「惜別」の念だろうか―。「フェアウェル・コンサート」といわれるものもあるが、現役引退最後のコンサートという場合は、むしろ「感謝」の気持ちの方が強いかもしれない。

 

10年間リサイタルから遠ざかっていたヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)が、

1972年に開いた慈善コンサートのライヴより、フランク/ヴァイオリン・ソナタ。

「ファイナル・リサイタル」と銘打たれているが、その技巧はここでも完璧であった。

 

 

クラウディオ・アバド(1933-2014)と彼を慕う有志たちによるルツェルン祝祭o

との最後のライヴ。2013年ルツェルン音楽祭にて。彼らとの演奏はBPO

時代よりもずっと自然体で魅力的な演奏であった―。

 

 

ザルツブルク音楽祭2019「フェアウェル・コンサート」。ハイティンク/VPO

によるブルックナー/交響曲第7番~第4楽章コーダ。僕はあまり聞かない

作品だが、一聴すると特にコクのあるブラスの響きと弦の透明感に気づく。

カラヤンのラスト・レコーディングがふと頭をよぎる―。

 

 

ブレンデルの「フェアウェルコンサート」のライヴ。マッケラス/VPOがバックを飾り、モーツァルト/「ジュノーム」を弾く。思えば晩年のルドルフ・ゼルキンにも、若きモーツァルトのこの作品の録音があったことを思い出す―。


 

 

 

 

1990年代「J-POP」の王道、「ZARD」のヴォーカル、坂井泉水(1967-2007)は、奇しくも僕と同じ2月6日が誕生日で(血液型も同じA型)何かしら「縁」のようなものを勝手に感じていた―。

美人だったし(かなりタイプ)、歌声も好きだった。だから彼女が40歳で亡くなったことを知って驚いた記憶がある。闘病生活が続いていたようだが、それが直接の死因ではなかった。

当時好きだったアルバム「forever you」からの1曲「今すぐ会いにきて」は今でもカラオケで歌うレパートリーの大切な1曲である。

 

「いますぐ会いに来て」。毛利蘭ヴァージョン。ピッチ高い。

 

 

 

 

ジャンルが偏ってしまったが、ここに挙げた誰もが(実際の、もしくはステージ上での)最後の瞬間まで例外なく念頭にあったのは「音楽」であったことは疑いようがない―。

 

命の灯がか弱くなっても、ほんの少しそばを通るだけで消えてしまいそうなほどであったとしても、彼らが生涯かけて取り組んだのは「音楽」であったのだ。

 

 

 

最後に取り上げたいのは、ディヌ・リパッティ(1917-50)の有名過ぎる「ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル」だ。1950年、死の2か月前のコンサートライヴ。音質の古さを超えて語り継がれているアルバムだ。グールドのバッハ録音同様、廃盤になることはあり得ない永遠の名盤であろう。彼の白血病治療のための高額な薬が匿名で用意されたという逸話も聞く。

「清廉潔白」という言葉は現代ではウソくさいかもしれないが、リパッティには当てはまるような気がする。それだけ、彼のピアノには真実の響きが感じられるのだ―。

 

プログラム最後、ショパン/ワルツ第2番を弾く体力が残っていなかった、

と伝えられる。でもアンコールにバッハ/「主よ、人の望みの喜びよ」が

弾かれたという。残念ながらその音源は残されていない。

 

 

ショパン/ワルツ第2番。1950年スタジオ録音。せめてここでは全曲を。

 

 

そして幻のアンコールを―。1947年録音盤。心なしかタッチが優しい―。

 

 

 

 

 

 

良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれに心を留めるようになるからだ。」  ― 伝道者の書 7:1,2