全13枚から成るシューマン/ピアノ作品全集。その第5作目のアルバム。

今回のテーマは紛れもなく「ファンタジー」であろう―。

 

 

 

 

【CD 5】
1. 幻想曲 ハ長調 Op.17
2. 幻想小曲集 Op.12
3. 幻想小曲集への追加曲 WoO 28
4. 「パガニーニのカプリース」による6つの練習曲 Op.3

 

 

 

 

1曲目の幻想曲 ハ長調 Op.17はシューマンのピアノ曲の中でも5本の指に(確実に)入る屈指の名作だろう。僕も大好きな作品で、何度聞いたかわからない。シューマンにとっても「記念碑」的な作品であったようだ―主に2つの重要な点において。

 

 

その1つはベートーヴェン生誕の地であるボンにおける、「ベートーヴェン記念碑」建立に関わったことだ―。そのことにちなみ、ベートーヴェン作品の引用が随所に見られるこの作品が生まれた(別にもう1つ背後に感じる関連がある。ボンの中心地から離れた場所にエンデニッヒがある。そう、晩年シューマンが精神を病み、最期を迎えた療養所がある場所なのだ。シューマンとクララは市街にあるアルター墓地に埋葬された。そこにはベートーヴェンの母や、シラーの妻シャルロッテも共に埋葬されている)。様々なタイトルのピアノ曲を残したシューマンであったが、「幻想曲」というタイトルはシューマン以前にも(ピアノ曲に限らず)豊富に存在する。古くはバッハ以前、スウェーリンク(1562-1621)まで遡れるかもしれない。ただ、前述の事情から、シューマンの脳裏にあったのは、ベートーヴェンの「幻想風ソナタ」と題されたOp.27の2曲のピアノ・ソナタであったかもしれない。

 

 

2つ目の関連の方がより重要かもしれない―クララ・ヴィークとの障害多き恋愛である。とりわけ、クララの父フリードリヒ・ヴィークからの反対が常軌を逸するほどのものであった。クララを厳しい監視下に置き、2人に対する「言葉の攻撃」はもちろん、ロベルトをクララから引き離すためにはどんなことでもしたようだ―。出入り禁止、手紙の検閲からやり取りの禁止へ、誹謗・中傷etc…。父ヴィークの妨害に疲れたクララは、一度はシューマンと別れることを承知したほどであった。最終的には訴訟にまで発展し、ロベルト側が勝訴する。社会的基盤を確立したロベルトはついに念願を果たし、1840年9月12日に2人は正式に結ばれる―。当時ロベルト30歳、クララ20歳。ちなみに翌9月13日はクララの21歳の誕生日だった。幻想曲 ハ長調は「ゴール」に向かう途上の、多難な時期である1836~38年に作曲されたものだったのだ。

 

「父親」の立場であれば、フリードリヒに同情を覚えるかもしれない。天塩をかけて当時の一流ピアニストに育て上げた娘を手放したくない、という思いを一概に非難することはできないように思う(「クララ」とは「輝き」や「著名人」を意味する)。20歳という年齢もあったであろう。ただ、そのために講じた手段は異常であった―。想像力豊かな識者たちはその尋常ではない「執着」に父フリードリヒの、娘クララに対する鬱積した「黒い」感情を見出す。

 

僕はロベルトとクララの関係に「ツインレイ」の関係を感じる。魂の片割れ―いわゆる「運命的な繋がり」である。彼らはほとんどの確率で「試練に遭う」と言われる。大概は引き離されたり、大きな障害(反対やパートナーの存在など)に直面する。いわゆる「サイレント期間」を経験するのは、その「関係性」に気づくために、互いの(魂の)成長のために―と言われているのだ。

ちなみに僕も「ツインレイ」(運命の人)が存在していること、心が繋がっていることを信じている。そしていずれは「統合」できることを信じている。

 

好きな女優の1人ナスターシャ・キンスキーがクララ役を演じている映画。

父フリードリヒの横暴さや執着もよく描かれていると思う。

 

 

全3楽章から成るこの作品は当初、「フロレスタンとオイゼビウスによるグランド・ソナタ:ベートーヴェン記念碑のためのオボルス(ギリシャ貨幣、「寄付金」の意)」と命名され、各楽章には「廃墟」/「凱旋門」/「星の冠」というタイトルが与えられていたが、出版にあたって削除され、フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)の詩「しげみ Die Gebüsche」の一節が掲げられた。

 
 
Durch alle Töne tönet                           鳴り響くあらゆる音を貫いて
Im bunten Erdentraum                          色様々な大地の夢の中に
Ein leiser Tone gezogen                         ひとつのかすかな調べが聞こえる、  
Für den, der heimlich lauschet.               密やかに耳を傾ける人のために―。
 

 

シューベルトもこの詩を基に歌曲を書いている(D.646)。

クリスティーネ・シェーファーによる透明な美声で―。

 

 

この作品はフランツ・リストに献呈され、返礼としてリストはピアノ・ソナタ ロ短調を捧げることとなる。シューマンがソナタ形式に則った3楽章の曲を「幻想曲」と名づけ、リストは単一楽章の中にソナタ形式を匂わせる破天荒な曲を「ピアノ・ソナタ」と呼んでいるのが、なかなかに興味深い―。

 

クリスティアン・ツィマーマンによる「完璧」な演奏。脱帽する。圧倒的だ。

 

 

 

第1楽章「Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen - Im Legenden-ton - Tempo primo」(全く幻想的に、情熱的に弾くこと - 伝説の音調で - 初めのテンポで)。

大空を仰ぐような曲想、飛翔するイメージがあるのに、実際は下降してゆく音型で始まるのを「矛盾」と感じられないのが僕的には大変興味深い。

この「下降音型」は「クララのテーマ」としてあらゆる作品に織り込まれている。

これが「ひとつのかすかな調べ」であろうか―。

 

ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.14~第3楽章「Quasi Variazoni, Andantino de

Clara Wieck」。例の「下降音型」がはっきり現れる。アファナシエフの演奏で。

 

 

僕が好きなのは中間部、ハ短調に転じる「伝説の音調で」の箇所。バラード調に、過去の辛い状況を思い起こすような印象で満ちている。この楽章が当初「廃墟」というタイトルが付されていたのは、ここに由来しているのではないか―と感じている。デームスの演奏は飛翔するような出だしから力強く、文字通り「情熱的に」奏でる。多少ムラ気を感じさせるピアニズムもシューマンらしく思えてしまう。件の「Im Legenden-ton」も密やかに開始するが、堰を切ったようにロマン的熱情が溢れ出す。コーダも印象的な場面だ―。ここはベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に寄せる」Op.98~第6曲の一部が引用されていることで知られている。

 

 

Nimm sie hin denn,diese Lieder,    さあ愛する君よ、受け取っておくれ。
  Die ich dir,Geliebte,sang.         以前に歌ったこの歌を

 

Und du singst,was ich gesungen,    そう、君は歌う、僕が歌っていた、
  Was mir aus der vollen Brust        心の中からほとばしる、
  Ohne Kunstgepräng' erklungen,        なんの飾りもない、
  Nur der Sehnsucht sich bewusst,   ただ憧れだけがこめられた歌を。

 

 

その第6曲目は9分半辺りから。実は第1楽章の最初の方でも現れる。

 

ハンス・ツェンダーが「再作曲」した「シューマン-ファンタジー」(1997)から。

オーケストレーションされた「幻想曲」を現代音楽的な響きの「プレリュード」と

「インターリュード」が取り囲む構成。妙に華やかだが、結構聞かせる。

 

 

 

第2楽章「Mäßig. Durchaus energisch - Etwas langsamer - Viel bewegter」(中庸に。全く精力的に - ややゆっくりと - 極めて活発に)。

行進曲風の音楽。シューマンには多く見受けられる楽想だ。確かに「凱旋門」という以前のタイトルを想起させる音楽。しかも聞いてて分かるくらい、かなり技巧的だ(特にスピードが上がるコーダは音の跳躍が激しい)。もちろん、シューマンのことだから勝ち誇るような陽気なマーチで終始するはずがなく、悩ましい表情が徐々に見え隠れしている。

 

上記の曲とよく似ている、との評判のベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第28番

から第2楽章。昔ジャケ買いしたポリーニの演奏で。

 

 

 

第3楽章「Langsam getragen. Durchweg leise zu halten - Etwas bewegter」(ゆっくり弾くこと。常に静けさをもって - やや活発に)。

緩徐楽章で終わる形式はベートーヴェン最後のソナタを思わせるものがある。当初の「星の冠」というタイトルにふさわしいロマンティックな音楽だ―。煌めく星の波に身を委ねるように、ただただ聞いていたい―そんな気持ちにさせてくれる。デームスは「静かな愛の告白」のように心を込めて弾いている。「ベーゼンドルファー」と思われる、年季の入ったフルボディの赤ワインのような渋くて深いピアノの音色もこの音楽にピッタリだ―。ここでも「クララのテーマ」が現れるが、さらに興味深いのはベートーヴェンの第7交響曲第2楽章「アレグレット」の引用である。あのイ短調の「葬送行進曲」的なテーマが、見事に変イ長調の「愛」のテーマに変容している姿を垣間見ることができる。

まさに「不滅の(愛の)アレグレット」である―。

 

ラトル/VPOライヴ盤。厳密には緩徐楽章ではない「アレグレット」の歌謡性

を生かした演奏の1つかもしれない。

 

シューマン/ベートーヴェンの主題による練習曲(変奏曲) WoO.31。例の

「アレグレット」が主題となっている。後の「交響的練習曲」を彷彿とさせる。

 

 

さらにさらに興味深いのは「初版」の存在である。「現行版」では楽想が再度盛り上がった後にコーダが穏やかにあたたかな感情の余韻を残しつつ静かに終結するのだが、「初版」では第1楽章コーダと同様、あのベートーヴェンの歌曲の引用が再び現れるのだ―。当初のベートーヴェン・メモリアルの意図により沿っているようにも感じられるが、やはりクララへの深い想いの方が強く感じられてしまう―。どちらの版もそれぞれの良さがあるように思う。

 

初版による第3楽章。引用が再び現れるコーダは10分過ぎ辺りから―。

 

 

「ひとつのかすかな調べ」は、確実に「密やかに耳を傾ける人」に届いている。

 

さあ愛する君よ、受け取っておくれ。以前に歌ったこの歌を―。

 

 

 

 

 

2曲目は幻想小曲集 Op.12。前述の「幻想曲」と同時期の作品で全8曲から成るが、このアルバムでは追加曲としてさらに1曲取り上げられている。「幻想小曲集」というタイトルはシューマン作品に時々現れる。以前取り上げたOp.111のピアノ曲のほかには、クラリネット(またはチェロ)&ピアノのための曲Op.73やピアノトリオの編成によるOp.88の作品もある―それらもいずれ取り上げる―。いかにもシューマンらしいタイトルだが、残念ながら彼の独創ではない。ジャン・パウルとともにシューマンが大きな影響を受けた作家E.T.A・ホフマン/「カロ風幻想曲」(Fantasiestücke in Callots Manier)から取られたようだ(そこには「クライスレリアーナ」も含まれている)。直接明示されてはいないが、「ダヴィッド同盟舞曲集」と同様に「フロレスタン&オイゼビウス」の対照もしくは融合が試みられている。

 

 

第1曲 「夕べに」(Des Abends

「Sehr innig zu spielen」 (非常に心を込めて弾くように)という指示が付されている。シューマンの特徴の1つ「innig」の指示が見られるように、明らかに「オイゼビウス」の存在が意識されている。「穏やかな夕暮れの写真」を見てるかのような音楽。ぜひ、黄昏の時刻に聞きたい―正直この曲は誰の演奏でも素晴らしい。

 

 

第2曲 「飛翔」(Aufschwung 

打って変わって「フロレスタン」が登場する。ベートーヴェンの「熱情」ソナタと同じへ短調なのは偶然であろうか?まさにそんな激情を伴って文字通り音楽が「飛翔」する―僕は「イカロス」の物語を想像してしまう。幸い、翼が溶けてしまうことはないが。向かう先は、彼の「太陽」である「クララ」のもとへであろうか―。

 

若きアルゲリッチにふさわしい焦燥感に満ちた名演。1978年ライヴ。

 

 

第3曲 「なぜに」(Warum? 

自らに問いかけるような内省的な曲。「なぜ?」は僕たちが用いる言葉の中でもとりわけ重要な言葉だ―問いかける側も答える側も。僕はつい黙ってしまうけど…。シューマンによると「飛翔」でのフロレスタン的な「過剰」に対するオイセビウスの「反省」を意味することを意図していたようだ。デームス盤には悩ましさが感じられる。

 

「鍵盤の獅子王」バックハウス最後のライヴから。「夕べに」と「なぜに」が

アンコールで弾かれている。驚くほど柔らかで澄み切ったタッチだ―。

18番のソナタを全曲弾くことが叶わなかった思いが込められてると思う

のは僕の感傷だろうか―。

 

 

第4曲 「気まぐれ」(Grillen

「Mit Humor」(ユーモアをもって)と記載される。これもまたシューマン作品にとりわけ現れる指示で、彼の音楽性を理解するためのキーワードの1つだ。しかも重要度は高いと思っている。そのことは特に「フモレスケ」Op.20に如実に表されていると感じている。いずれブログで取り上げることになるだろう―。タイトル通り「気まぐれ」で少し気取った印象を感じさせる曲であり、もったいぶった感じすらある。シューマンの一筋縄ではいかない性質をフロレスタンに代弁させているイメージである。面白いのはドイツ語のタイトルが「グリルでの焼肉」つまり「バーベキュー」の意味があるらしいことだ。実際のバーベキューにはとても結びつかない。彼なりの複雑なユーモアだろうか。

 

 

第5曲 「夜に」(In der Nacht 

「Mit Leidenschaft」(情熱をもって)と指示されている。第2曲と同じヘ短調である。シューマン自身お気に入りの曲だったそうで、クララにも最も演奏会に適した曲としてに薦めていた。この曲で「フロレスタン」(F)と「オイゼビウス」(E)は初めて統合し、「情熱」と「静けさ」の両方を備えた作品となっている。この曲でよく引き合いに出されるのはギリシャ神話「ヘーローとレアンドロス」である。青年レアンドロスは女神官ヘーローに恋し、毎晩彼女に会うために海峡を泳いで渡ったが、ある冬の嵐の夜にレアンドロスは波に巻き込まれ、溺死。 ヘーローは発狂し、後を追って塔から身を投げる…。シューマンは自らが演奏するとき、この物語を想って弾く―というのだ。クララに対する並々ならぬ想いを感じるが、同時に代償の存在も覚える―暗に自分の想いに見合う愛情をクララに要求してはいないだろうか。だとしたら、それは本当に真実の愛といえるのであろうか…などと、つい余計なことを考えてしまう。

 

やはりアルゲリッチのライヴ。この激しさはここでしか聞けない。名演。

 

リスト/バラード第2番ロ短調。作曲家の孫弟子にあたるアラウの骨太な演奏。

彼によれば、この曲の背景にヘーローとレアンドロス」があるのだという。

 

 

第6曲 「寓話」(Fabel 

ここでも(F)と(E)は並列されて示される。(E)の「空気のような静けさ」の後、(F)の「気まぐれな性質」が走り回るかのように奏されている。全体的にユーモアを感じさせるものとなっている。

 

 

第7曲 「夢のもつれ」(Traumes Wirren

「ユーモア」という点ではこの曲も前曲に劣らない。別名「指のもつれ」と揶揄されるほど弾きにくい作品のようだ。聞いてるだけでもそれはわかるほど。それくらい音はきわめて速く、軽やかに鍵盤上を駆け巡るのだ―。ここでは「男性性」を示す「フロレスタン」(F)が「女性性」の「オイゼビウス」(E)と戦っている。というより、(E)が(F)の勢いに飲み込まれてしまっている感じだ。中間部のコラールではオイゼビウスが一時的に優勢になるが、再びフロレスタンの情熱に巻き込まれてゆく―。フロイト的に言えば、男性的な性衝動を音化しているとでもいえようか。

 

2021年に80歳を迎えるアルゲリッチの2019年のライヴでのアンコール。

実に見事にこなれた演奏―。中間部コラールでの彼女の表情が印象的。

 

 

第8曲「 歌の終わり」(Ende vom Lied 

「Mit gutem Humor」 (適度なユーモアをもって)と指示されている終曲。そのユーモアの理由をシューマン自身が「結婚式と葬式の鐘が入り混じって聞こえてくる」と述べている。どちらかと言えば「ブラックユーモア」」に属する類いだが―。シューマンにおける「フモール」は喜びと悲しみの共存にあるといわれる。両方が存在するというより、同時発生的なものである。なかなか理解しにくいし、言葉にならないもどかしさがある。まさにその感覚こそがシューマンの狙いなのかもしれない。コーダは瞑想的なコラールとなり、静かに鐘の余韻が響いて印象的に終わる―。

 

 

前述の通り9曲目として、幻想小曲集への追加曲 WoO.28が収録されているが、最終段階でこの曲集から外された作品である。第6曲や7曲に近い曲風であるが、何を言いたいのかよくわからない、焦点の合わない感じがする曲でもある。シューマンの判断は正しいと思う。

 

 

 

 

最後は「パガニーニのカプリース」による6つの練習曲 Op.3。

以前はOp.10のコンサート用の練習曲を取り上げたが、これはその前に作曲されたもののようで、ダブりは見られない。シューマンのパガニーニに対する印象は「偉大で高貴で厳かな芸術の平穏さの欠如」が見られ、「技巧性を偏重し、芸術性が犠牲になる」と批判的だったが、作品としての「カプリース」には未知の可能性を感じていたようだ。なお、スコアの序文にはシューマンによって「ピアノの性格と機構に適した編曲を行い、可能な限りオリジナルに忠実であることを旨とした」と記されているとのことだ。

 

Op.10と同様、全6曲から成るが、印象的なのは第3曲ハ長調「andante」。

練習曲というイメージにはそぐわないほどの叙情性に心打たれる。

 

第3曲。ライヴ・パフォーマンスとのこと。録音もよく、ピアノの響きも良い。

 

こちらは原曲。第11番。ユリア・フィッシャーのセンシティヴな演奏で。

 

「パガニーニ練習曲」と言えばリスト。その「初版」を世界初録音したニコライ

・ペトロフの演奏で。「ラ・カンパネラ」がより難易度が増している。「初版」を

全曲録音しているのは世界でまだ5人しかいない。