デームスによるシューマン/ピアノ作品全集から、この度は4枚目のディスクを取り上げる。

 

 

 

【CD 4】
1. 子供の情景 Op.15
2. 3つのロマンス Op.28
3. 「フゲッタ形式」による7つの小品 Op.126
4. 「パガニーニのカプリース」による6つの演奏会用練習曲 Op.10

 

 

 

1曲目の子供の情景 Op.15は、シューマン作品の中でも特に親しまれているピアノ曲だろう。ただ、シューマン自身の言葉にもあるように、この曲は「子供のための」作品ではない。あくまでも「大人目線」なのだ―「子供っぽい大人」かもしれないが。

 

僕が初めて聞いたのはアルゲリッチ盤か仲道郁代盤だったと思う。舘野泉盤も持っていた記憶がある。定評のあるホロヴィッツ盤はかなり後になってから聞いた覚えがある。CBS盤はむしろカップリングの「クライスレリアーナ」に気持ちを持っていかれてしまった感があり、晩年のライヴ(DG盤)もシューベルトの最後のソナタの純粋な「音の構築物」の印象が強すぎて、よく覚えていない。アファナシエフ盤が最近までの所有盤だったが、少し考え過ぎな印象だ―。

 

全13曲。すべてに「タイトル」が付されている。当初は30曲もあったという。まさに厳選されたものばかり―ということだが、省かれた17曲の行方が気になる。どうやら他の作品「色とりどりの小品集」Op.99と「アルバム帳」Op.124に含まれているようだ。どれがそうなのか想像して聞いてみるのも楽しいかもしれない―。

 

 

冒頭第1曲目は「見知らぬ国と人々について」Von fremden Ländern und Menschen

「fremde」(異国)はシューマン作品の重要なキーワードの一つだ。どうしても後に生じる「精神疾患」と結びつけてしまいがちなのだが、何となくシューマンは「別の世界の住人」みたいな気がする時がある。だとしたら、「タイトル」の人は(複数形。彼の人格も?)シューマン自身のことではないのだろうか―。

 

最重要作品「リーダークライス」Op.39~第1曲「異国にて」。

原調(嬰ヘ短調)で歌ってるように聞こえる―。

 

 

この「昔々あるところに~」みたいな「語り」に通じるピアノの出だしが極めて印象的だ (左手パートには何気なくBACH音型が現れるという) 。きっと一度聞いたら忘れられないだろう。当時もそうだった―フランツ・リストもその1人で、娘のために週2,3回は弾いている、とその溺愛ぶりを明かしている。「この曲は娘を夢中にさせますし、またそれ以上に私もこの曲に夢中なのです。というわけで私は、しばしば第1曲を20回も弾かされて、ちっとも先に進みません。」

 

アンコール演奏。絶妙なニュアンス。最後の微笑がチャーミング。あと19回。

 

トリスタン・ミュライユ(1947-)によるフルート、チェロ、ピアノのための再作曲版。

いきなり電子音響が響くのに驚く―。特殊技法も聞かれて興味深い。

 

 

 

超有名な「トロイメライ」(夢)Träumereiは第7曲目に位置している。

この曲にはささやかな思い出がある。僕が人前で初めて弾いた曲だったのだ―。

ギターをたしなむ友人の送別会でだった。たどたどしく弾く僕の演奏を真摯に受け止めてくれていた。懐かしい―。このブログを書くまで忘れていた出来事だ―。

よく知られている上に美しい曲故、多くの編曲があるようだ―。


フランシスコ・タレガ(1852-1909)によるギター編曲版。村治佳織の演奏で。

 

ヴァイオリン&ピアノ版。グリュミオーの滴るような美音で―。

 

ミュライユ編曲版。美しいチェロの音色。フルートがさり気なくいい味出してる。

 

ナチスの降伏を記念する「勝利の日」。ロシアで毎年5月9日に祝われる。

そこでは「トロイメライ」がア・カペラで歌われる―。まるで鎮魂曲に聞こえる。

 

 

多くの編曲が可能である―ということは、それだけ曲の構造がしっかりしていると言える。たとえシンプルに聞こえたとしても、複雑な構造を有しているのかもしれない。肝心のデームスの演奏は凄く優しい―。タッチが柔らかく、絶妙なルバートを聞かせる。

 

 

 

後半第10~12曲目まで短調となり、雰囲気がグッと内省的になる。つまりは僕が好きなパターンである。ここでは第12曲を取り上げる。

 

第12曲「眠りに入る子供」Kind im Einschlummern

ホ短調。親の立場ならやっと寝付いた子供たちに安心したいところだろうが(ようやく「自分の時間」を取れる)、この曲の雰囲気は少し違うようだ―いや、もう少し「深いところ」を見ているのかもしれない。何か「想うところ」があるようだ―。

子供の寝顔は親を「内省」させるのかもしれない―。

デームスのピアノは実に素晴らしい。特に後半の再現部、テンポを徐々に落とし、切実な想いを目一杯に表現してくれている―。

 

因みに、この曲の中間部(ホ長調)は、ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」第3幕の最後に登場する「ブリュンヒルデの眠りの動機」との類似が指摘されている。

 

ワーグナー/「ジークフリート牧歌」。グールド自身の編曲。晩年の録音。

この曲には例のモティーフが使用されていて随所に確認できる。

 

ミュライユ版。最もメランコリックに聞こえる。コーダは痛々しいくらいだ。

 

 

 

第13曲。「詩人は語る」Der Dichter spricht

結びのこの曲は第1曲と同じくト長調。ある種の「満足感」というか、「達観」のようにも感じられる不思議な曲だ―。この「詩人」はシューマン自身のことだろう、と言われている。

 

ミュライユ版。冒頭、第1曲と同じく電子音が煌めく。デリケートな編曲だ―。

 


 

 

 

2曲目は3つのロマンス Op.28。

以前扱った「アラベスク」と同様、「ロマンス」というタイトルをピアノ曲に使ったのはシューマンが初めてかもしれない―。

 

グルダの弾き振りによるモーツァルトK.466。中間部に「嵐」を内包する「ロマンツェ」。

古典派だと、他にベートーヴェン作品が思い浮かぶ。

 

ドヴォルザーク/ヴァイオリンと管弦楽のための「ロマンス」ヘ短調。

ベートーヴェンの同曲よりこちらの方が好きかもしれない―。

 

 

 

若きロベルトとクララとの手紙のやり取りの中に、この「3つのロマンス」が含まれていた。

 

「この曲は君ほどの女性には値する価値はないけれど、もし君に
捧げて書いたこの曲を君が望むなら、僕はなんて幸せだろう」

 

「この3つのロマンスより優しい曲を私は知らない。特に2曲目の
最も美しい愛のデュエットは―。」

 

 

これ以上にこの曲のふさわしい説明はないかも知れない―。

 

 

第1曲は変ロ短調。「Sehr markirt」。

時々見られる「感情の奔流」のような情熱的な音楽。

デームスの演奏は殊の外激しい。危なっかしいほどだ。

「何があったの?」ってくらいの激しさ―。


第2曲 嬰ヘ長調。「Einfach」。
手紙の中でクララが褒め称えた曲だ―。まさに「シンプルで慎ましく」「易しい」音楽。
前曲とは打って変わって密やかに、あらん限りの優しさを持って歌われる。
中間部は少し悩ましい感情が見え隠れしているが―。

 

中段が存在するスコア。シューマン音楽の特徴の1つ―「内なる声」だ。

 

 

第3曲はロ長調。「Sehr markirt - Etwas bewegter」。

ある意味最もシューマンらしい曲だと思う。このリズム感、心の落ち着きのなさ―。
気流に乗って上昇するも、制御不能なまでに風に翻弄される「凧」のようなイメージだ。

(翻弄されているのは果たして誰か?)

かと思えば急に「心情告白」のようなフレーズが出現する。この不思議さが魅力なのだが。

 

 

 

 

3曲目は 「フゲッタ形式」による7つの小品 Op.126。

あまり知られていないシューマン後期の作品だが、なかなかに聞き応えがある佳曲だ。

例えばバッハのフーガのように「かっちり」とはしていないが、「フーガ」の雰囲気を纏った楽曲、というべきか―。バッハの、とくに対位法の研究を熱心に行い、あらゆる楽曲にその影響を反映させたシューマンならではの作品とも言えよう。いい意味で肩の力が抜けた曲集。

 

7つの曲はイ短調を両端に配置、中間をニ短調とヘ長調を交互に出現させるパターン。

最も印象に残るのは、第5曲イ短調。「Ziemlich langsam,empfindungsvoll vorzutragen」。

「かなりゆっくりと、豊かな感情をこめて弾くように」という長いドイツ語の指示が見られる。

第7曲イ短調「langsam,ausdrucksvoll」のコラール風の静謐な曲も良い。

「イタリア語」表記ではなく、具体的に「ドイツ語」で演奏指示をスコアに示した最初の作曲家はベートーヴェン(それも後期の)だと思うが、それに倣ってか、シューマン作品にもドイツ語表記が目立つ。文学者ゆえの「繊細さ」(あるいは「神経症的な」)の表れであろうか―。

ただ1つ言えることは、そこにシューマンの深い「思い入れ」を感じる―ということなのだ。

そしてその音楽は特に聴くべき魅力を備えている―。

この曲もそうだ―。彼の心の一端を知れる気がする。

 

第5曲。アンドレアス・シュタイアーによる、共感にあふれた演奏。

 

 

 

 

 

最後は「パガニーニのカプリース」による6つの演奏会用練習曲 Op.10。

シューマンは約1年前に同様のエチュードを作曲している(Op.3)が、「演奏会用」と記されている通り、コンサート演奏を目的として書かれている点が異なっている。

第1曲変イ長調以外はすべて「短調」の曲が選ばれているのが興味深い。

なお、原曲からのセレクトの点では「Op.3」とのダブりは見られない。

 

原曲が原曲だけに華やか―。第1曲(原曲:第12番)から、花咲き乱れるような眩さだ―。

ト短調の第2曲(原曲:第6番)で、グッと内省的になるのはやはりシューマン。

悩ましい感情があふれる。この曲が僕にとっては一番印象に残った。前曲のギャップにやられたのかもしれないが―。

以降、短調による楽曲が続く―。

第3曲ト短調(原曲:第10番)は「Vivace」。原曲のカタチをすぐに思わせる特徴ある曲だ。

パガニーニらしさが最も感じられる。

第4曲ハ短調 (原曲:第4番)。「Maestoso」とあるが、デームスの演奏は静かな重みを感じさせ、瞑想性を強く感じさせる。曲集中最も長い楽曲である。

第5曲ロ短調(原曲:第2番)は再び技巧的になる。第3曲と同様、原作を思わせる。

最後の第6曲ホ短調(原曲:第3番)は両端に現れる「Sostenuto」の箇所が実に詠嘆的で聞かせる。中間部「Allegro」は技巧的にサクサク進む。この対称が印象的だ―。

 

「カプリース」第4番ハ短調。シューマン編曲によるヴァイオリン&ピアノ版。

晩年に取り組まれたが、何故か最も有名な第24番は編曲されずに終わった。

 

その第24番イ短調。シャイー/ミラノ・スカラ座Oによるオーケストラ伴奏版。

映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」(2013)で主演&演奏を務めた

デヴィッド・ギャレットがパフォーマンスを披露している。