全13枚から成るデームスによるシューマン/ピアノ作品全集の第3作目。この度はクララや初恋の女性などの存在が色濃く感じられるラインナップとなっている。

 

 

【CD 3】
1. ピアノ・ソナタ 第1番 嬰ヘ短調Op.11
2. 「クララ・ヴィーク」の主題による即興曲 ハ長調Op.5(1850年改訂版)
3. 6つの間奏曲Op.4

 

 

 

 

1曲目は、ピアノ・ソナタ 第1番 嬰ヘ短調Op.11。「111」のゾロ目である。因みに第2番もOp.22と「ゾロ目」である。偶然だろうか―「スピリチュアル」に関心があったシューマンのことだから…と深読みしたい誘惑に駆られる―。初版は「フロレスタンとオイゼビウスによるピアノ・ソナタ、クララに献呈」 (Pianoforte-Sonata, Clara zugeeignet von Florestan und Eisebius)と題されている。1836年出版。

 

第1楽章「Introduktion:un poco Adagio-Allegro vivace」。嬰ヘ短調。長大で気合の入った序奏―シューマンの思い入れと気負いを感じる。第2楽章「アリア」のテーマも出てくる。かなり作り込んでる印象だ―。デームスのピアノは年代物のワインのような深い味わいを感じさせる。主部に入るとファンダンゴ色が強くなる。そもそも1832年作曲の「アレグロ・ファンダンゴ」を改作したものだそうだ。

 

ボッケリーニ/ギター五重奏曲第4番ニ長調 G.448より「ファンダンゴ」。

情熱的で颯爽とした演奏。後半カスタネットも加わり、大熱演に―。

 

 

ピアノはかなり弾きにくそうだ。デームスの演奏でも「息切れ」しているようにすら聞こえてしまう場面がある。今一歩、強力な打鍵と余裕があれば―と正直思わなくもない。そういう意味においては「オイゼビウス」寄りの演奏―と言えるかもしれない。しっとりとした哀愁を帯びたコーダなどは実に味わい深い。

 

 

第2楽章 「Aria:Senza passione, ma espressivo」。イ長調。1827年に作曲した歌曲「an Anna-Nicht im thale」(アンナに寄せて―谷ではなく)のテーマをほぼそのまま用いている。まさに歌に満ちた美しい楽章だ。

 

トーマス・ハンプソン(br)他による演奏。ユスティヌス・ケルナー(1786-1862)の詩による。

 

Nicht im Tale der süßen Heimat,
Beim Gemurmel der Silberquelle -
Bleich getragen aus dem Schlachtfeld
Denk' ich dein,du süßes Leben!

All die Freunde sind gefallen,
Sollt' ich weilen hier der eine?
Nein! schon naht der bleiche Bote,
Der mich leitet zur süßen Heimat.

 
今はなつかしい故郷の谷間ではないのだ
あの銀の泉のつぶやくところでは
蒼ざめてこの戦場より退くとき
私はあなたのことを想う いとしい人よ!

友はみな倒れた
私はひとりぼっちでここにいるのか?
違う!蒼ざめた使者が私に近づいてきている
彼は私をなつかしい故郷へと導くのだ

 

第3楽章「Scherzo-Intermezzo:Allegrissimo」。嬰ヘ短調。印象的なのは中間部のインテルメッツォだ。ショパンのポロネーズが突然始まったかのような感じで始まり、終わりにはレチタティーヴォまで用意されていて、どこかで聞いたことがある上昇音型のフレーズには「オーボエ風に」という不思議な指示がある。実際どう頑張ってもオーボエに近い音すら聞こえないのだが―オーケストラのイメージを描いていたのか、シューマンの「ユーモア」か、はたまた「気持ち(スタンス)の問題」なのか―。デームスはピアニッシモで他と明確に区別して弾いている。

 

 

第4楽章「Finale:Allegro un poco maestoso」。嬰ヘ短調。「地団駄を踏む」かのようなリズムで駆け抜ける印象の曲。規模が大きく、演奏時間も10分を超える。短調のフレーズで一瞬「深淵を覗く」思いがするが、複雑さを感じさせる構造のせいか、視点がコロコロ変わる感じだ。聞いててもフレーズが錯綜しているように感じられる。難しい曲なのかもしれないが、デームスは情熱的に弾き切っている。

 

 

 

 

2曲目は「クララ・ヴィーク」の主題による即興曲 ハ長調Op.5(1850年改訂版)。このテーマはクララが作曲し、ロベルトに献呈された「ロマンス・ヴァリエ」Op.3のテーマに基づいて作曲された作品である。初版が1833年版。この演奏は通常演奏されることが多い1850年改訂版に基づいている(デームスは別途この初版を録音していて、この全集の最後のアルバムに収めている)。

 

原曲のクララ作品。サロン的雰囲気に溢れている。スコアリーディング付き。

 

 

この主題は当時10代の少女であったクララらしい可愛らしさと愛らしさを感じさせるものとなっている。シューマンの筆致もその存在を慈しむかのように大切に展開させているように感じられて微笑ましい。そのクララと結ばれた現在、「ひとつの大切な思い出」としてであろうか、形を整えておきたいと思ったのか、ロベルトは改訂を施してゆく―。結果はシンプルにまとまり、「即興曲」というよりは「変奏曲」的なスタンスが強まった印象だ。

 

実のところ、初版と改訂版には幾らかの違いがあるようだ―両者の大きな違いはVar.3が異なること、初版のVar.10がカットされていること、フィナーレが初版のようにテーマの不思議な消滅が避けられ、テーマの再現が最後までなされていることなどだ。初版には他にもブラームス作品との関わりなどの点で、幾つかの興味深い事実が存在するが、その点については次の機会に譲りたいと思う。

 

 

 

 

最後の3曲目は、6つの間奏曲Op.4。この作品は「ある女性」の存在が中心となっているようだ。それは「初恋の女性」として日記に記されているアグネスという名の女性だ。既婚者だったらしい。20代の若者にはよくあることだ、と思う(誰もが心当たりがあることだろう)。例によって彼女の名前が「音名象徴」として用いられている。

 

 

第1曲目 「Allegro quasi maestoso」 イ長調。冒頭から「アグネス」のモティーフで始まる。中間部は、実らなかった初恋の、恋焦がれるような夢見心地の気分に溢れている。

 

第2曲目 「Presto a capriccio」 ホ短調。奔流のようなパッセージが特徴的だ。この曲の中間部には、ゲーテ/「ファウスト」の引用「わたしの安らぎは去った」がスコアに記されている。ちなみにアグネスは、シューベルトが「ファウスト」に基づいて作曲した歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」をシューマンの伴奏で歌ったことがあるそうだ。その思い出が描かれているのであろうか―。

 

第3曲目 「Allegro marcato」 イ短調。この曲でも「アグネス」のモティーフが少し形を変えて登場する。激しさと溌剌さを兼ね備えつつも、曲想がコロコロ変化する。落ち着かない若者の心情そのもの―とも言えようか。因みにこの第3曲目から第5曲目までは「アタッカで演奏するように」指示がなされている。

 

第4曲目 「Allegro semplice」 ハ長調。シンプルな発想の曲で2分満たない規模のものだ。瞑想的なフレーズが印象的。この曲集と同じ年1832年に作曲された「ピアノ四重奏曲」ロ長調のフレーズが聞かれるという情報もあるが、詳細は不明である。

 

第5曲目 「Allegro moderato」 ニ短調。全6曲中最も演奏時間が長い曲。ためらいがちな表情を感じさせる冒頭のフレーズと大胆に心情を表出させるようなフレーズとの対比が興味深い曲だ。「愛する第5間奏曲。僕の心はすべてこの中に入っている―言い尽くすことのできない愛から生まれたこの曲に―。

 

第6曲目「Allegro」 ロ短調。フィナーレの予感に満ちた曲で、激しい音の流れがまさに「奔流」となってあふれ出る。詩的な印象がある。インスピレーションが湧き上がる音のイメージだ。なかなかに素敵だ。