現代最高のピアニストの1人、グリゴリー・ソコロフによるバッハ未完の傑作。2枚組CDでカップリングはパルティータ第2番ハ短調。ライヴ収録がほとんどな中で、珍しくも全曲スタジオ・レコーディングとなっている。1982年録音。

 

 

 

 

バッハの、この最晩年の未完の大作「フーガの技法」BWV.1080には、楽器指定がない。チェンバロ、オルガン、ピアノといったソロ楽器のほか、オーケストラ、弦楽四重奏、ヴィオール重奏、はたまたシンセサイザーってのもある。よりどりみどりである。リスナーとしては嬉しい。僕の本命はピアノ版だが、「フーガ」のオンパレードということもあり、演奏によっては気軽に聞けない感じがして敬遠してしまった時期があった。むしろ「前奏曲」と「フーガ」が対になってる「平均律クラヴィーア曲集」の方が取っつきやすいくらいなのだ。オルガン演奏ではグールド盤を聞いたが、例のスタッカート的奏法が気になってしまう。チェンバロ独奏は苦手だ。例外はトン・コープマンの平均律第2巻。これまた例によって装飾音が気になってしまうが、情感に富んでいて、録音状態も僕の耳には心地よかった。

 

BWV.881。「プレリュード」ヘ短調。ミステリアスな雰囲気が好き。

 

 

フーガの「綾」は複数楽器の方が楽しめるのは明らかだ。そういう意味で「オーケストラ版」が楽しめるのかもしれないが、僕には「弦楽四重奏版」が相性良かったようで、ECMでリリースされたケラーSQ盤を長年所有していた。

 

そのケラーSQによる「Contrapunctus 4」。ノン・ヴィブラートの音色と、軽やかな

リズム感覚が、単調になりがちなフーガ演奏に一石を投じる。

 

「フレットワーク」によるヴィオール五重奏版。雅な面持ちを楽しめる。

 

 ビッグバンドによる「コントラプントゥスⅠ」。ジャズとの相性の良さは

改めて言うまでもない。

 

 

「シンセサイザー」と言えば「初音ミク」だが、その前に変わりモノを一つ。

 

「タイトル」のセンスが秀逸―。別に「プンプン」怒ってるわけではない。

 

「Contrapunctus」Ⅶ。初音ミクによる「フーガの技法」シリーズより。

 

「Contrapunctus」Ⅸ。「対位法」とコンピューターとの親和性を感じさせる。

 

 

 

 

さて、本題の「ピアノ版」に話を戻そう―。

2009年にDGからリリースされたピエール・ロラン・エマール盤が僕の心を惹いた。クリアでクールな音色。展開してゆくうちに微かに熱が帯びてくる瞬間がスリリングだ。しばらくの間、この演奏に親しむことになる―。

 

映画「ピアノマニア」(2009)からの映像と思われる。

 

「調律」の大変さがよくわかる。まして相手が―。

 

 

そんなある時、ソコロフの存在を知った―「フーガの技法」のアルバムがあることも。もはや今の僕にはこのアルバムで十分、いや十分過ぎるほどの充実感を聞く度に与えてもらえるのだ。僕にとっては「決定盤」と言っていい―。

 

このCD1枚目には「Contrapunctus」(対位法)が15曲収められている。「コントラプンクトゥス: Ⅰ 」から引き込まれ、音楽による「宮殿」へと導かれてゆく―。各声部が明確に弾き分けられ、タッチの強度と深い情感とが統合された驚くべき凄みを体感できるのだ。その懐深さは比べられるものがない―。

それは「演奏家」+「作品」+「作曲家」が混然一体となった姿なのである(強いて言えば「演奏家」優位か―結果的にソコロフでしか聞けない「音世界」だからだ)。

 

バッハを「音楽の父」とよく言われるが、全てを受容し、包み込む宇宙的な深さがある―。

 

当盤の音源から「コントラプンクトゥス : Ⅰ&Ⅳ」。その深遠さは比類ない。

 

 

フーガの技術がこれでもかと言わんばかりに駆使される―。

反行形があったり、鏡像形があったり…と、基本主題に新たな主題が絡む。逆行形で進んだりする。ある意味「幾何学的」な世界だ―スコアを観たらきっと面白いだろう。僕は楽譜を完全に読めないが、その「カタチ」を追うことは誰にでもできる。それは「数式」が持つ一種の美しさに似た独特の美をたたえている―。

 

「コントラプンクトゥス : Ⅶ&Ⅸ」。声部が全く混濁しない。

強靭な指と技巧が成せる技(アート)であろう―。

 

 

 

「見えるもの」から事物が形成されている―と、僕たちは認識しがちだが、「見えないもの」でこの世の中が成り立っている―と考えている人々も多い。科学が発達したが、まだ解らないこともある。宇宙にせよ、この世界の「仕組み」においても。医学が進んだが、人体そのものの中にもまだ良くわからないこともあるのだ。

 

謎は以前として残る―。

「エニグマ」が存在するので「生きて行ける」面もあるだろう―すべてが明るみになった世界で人はこれまで通り生きてゆけるのだろうか…。

 

見えるものによって見えないものを見る」という言葉がある(新約聖書の1節だったような)。

 

形而上的なことについて語ると際限がないが、不思議とバッハを聴くと上記のようなことを思い巡らしてしまう―特に「フーガの技法」を聞くと。

 

 

「フーガの技法」をめぐるドキュメンタリー/「序章」。

「Contrapunctus : Ⅰ 」がオルガンで演奏されている。

 

パトロンであったゴットフリート・フォン・スヴィーテン男爵によって

バッハのフーガに接する機会を得たモーツァルトの姿が描かれる。

(出てくる音がモダン・ピアノであるのは仕方あるまい)

「バッハは聴衆を必要としない」という言葉が印象的―。

 

 

 

 

 

To be continued 。。。