声楽と指揮の両方をこなすバーバラ・ハンニガンが手兵ルートヴィヒ管弦楽団と組んだ興味深いアルバムからの1枚。現代作曲家ルイジ・ノーノとジェラール・グリゼーの声楽曲にハイドン/交響曲第49番「受難」を挟み込むという斬新なプログラムである。

 

 

 

 

 

かつては、ヴァイオリニスト兼指揮者(原点は「ニューイヤー・コンサート」か)やピアニスト兼指揮者が多かったが、歌手兼指揮者はいそうでいなかったように思う。ハンニガンのことを知った時、腑に落ちた記憶がある―なるほど、その手があったかと。ただ、彼女は打算的に兼任したわけじゃないことは、このディスクを聞くと痛いほどよくわかるのだ。

 

僕はそれほど声楽曲に関心はない。器楽曲の方が圧倒的に好きなのだ。昔、合唱指揮の真似事をした時期があったけど、声楽で僕の感性に寄り添える音楽はごくごく僅かだった(クラシック以外だとJポップや洋楽などの、本当に限られたアーティストしか聞いてこなかった。でもカラオケは好きである)。だから、このCDの購入目的も声楽ではなくハイドンだったのである。

 

カラオケで必ず歌う曲 ① : 最初に歌うことが多い―。

 

「故郷は場所ではなくあなたでした」―長濱ねる・ヴァージョン。

 

カラオケで必ず歌う曲 ② : 〆に歌うことが多い―。

 

初音ミク・ヴァージョンで―。

 

 

 

バーバラ・ハンニガンはAlphaレーベルから何枚かアルバムをリリースしている。デビュー盤となった「クレイジー・ガール・クレイジー」で早くもソプラノと指揮を両立させ、ベリオ/セクエンツァⅢ、ベルク/「ルル」組曲、ガーシュウィン/「ガール・クレイジー」組曲というこれまた斬新な選曲で話題を呼んだ。オランダの腕利きの音楽家たちによって結成された「ルートヴィヒ管弦楽団」と共に鮮烈な演奏を繰り広げたこのアルバムは、ハッチャケたジャケット写真と相まって強く印象に残る―。

 

ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)/セクエンツァ Ⅲ。あらゆる楽器のための

ソロ作品であり、全14曲ある。これは女声のためのもの。

 

ベルク/「ルル」組曲&ガーシュウィン/「ガール・クレイジー」組曲。

2014年コンセルトヘボウでのデビュー・コンサートのライヴから。

 

リゲティの唯一のオペラ「ル・グラン・マカーブル」より。ラトルが喜びそうな

音楽だが、バーバラもまた現代曲を得意とする逸材である。ハイテンション

が持続する上に、美しい声質が失われないのは驚異である―。

 

ヴィラ=ロボス/ブラジル風バッハ第5番~アリア。パッションが迸る―。

 

2枚目のアルバム「Vienna: Fin De Siecle」~ツェムリンスキーの歌曲を。

 

こちらはアルマ・マーラーの歌曲から。ピアノはラインベルト・デ・レーウ。

 

 

 

 

アルバム1曲目はルイジ・ノーノ(1924-90)/「ジャミラ・ブーパシャ」(1962)。ソプラノ独唱のための、僅か5分ほどの音楽―。アルジェリアの女性独立運動家の悲劇を扱った「詩」なのだそうだ―。この他にも政治的要素の強い作品をノーノは数多く残した。ショスタコーヴィチを含め、どうも僕はこの種の音楽は苦手である。「芸術」と「政治」を同じ目線で見たくないのかもしれない―「芸術至上主義」というほどではないのだが―。いずれにしても、この演奏は純音楽的に美しく聞けるのが幸いだ。それはやはりハンニガンの美声のおかげだと思う。細やかな表情がとても美しい―たとえ音の跳躍が激しくとも―。

 

前作と同様、ソプラノ独唱でアルバムを始める拘りぶりを聞かせる―。

 

 

 

 

そして、何の違和感もなく、2曲目のハイドンが演奏されることの不思議―交響曲第49番ヘ短調。「受難」というタイトルがそのまま、このCDのタイトルになっている。全4楽章形式。アダージョから始まる「教会ソナタ形式」―この形式での最後の作品となったようだ―。タイトルに相応しい曲設計で全楽章が「ヘ短調」で構成されている(ただし、タイトルはハイドンによるものではないという説もある)が、当時のシンフォニアとしてこの調性は珍しかったという。音楽学者H.C.ロビンズ・ランドンはこの作品を「落ち着いた暗い色合い、そして悲劇的」と表現している。まさに「疾風怒濤期」(Sturm und Drang)の傑作の1つといえよう。これは僕の「短調偏愛嗜好」からして、聞かずにはいられないのだ。ハンニガンはその歌いぶりと等しくエモーショナルな表現に徹しているように思われる。「古典派の交響曲」というと、もはや「古楽」を無視できなくなった現状にあるが、彼女は付け焼刃的な古楽奏法に頼らず、自身の思うところに従って演奏しているように感じられて頼もしく思う次第である。なお、この演奏では通奏低音としてチェンバロが参加している。

 

第1楽章「Adagio」が何と14分かけて、じっくり深い悲しみを帯びて奏でられてゆく。この録音が友人「ラインベルト・デ・レーウ」(1938-2020)に捧げられているのを思い出す―ライナーノーツのデータ欄の上に「For Reinbert de Leeuw」と記されている―。それもあってなのか、弦楽の心がこもりきったフレーズに感動してしまう。実に濃厚な響きなのだ。内声部の響きも厚い。

 

第2楽章「Allegro di molto」は打って変わって激動の音楽だ。まさに「疾風怒濤」という言葉が相応しい。しかもテーマが繰り返される度に音楽的強度が増す。弦のエッジは牙のように鋭く、リスナーに襲いかかる。「バルトーク・ピッツィカート」では?と思える奏法すら登場する。勿論ハンニガンの解釈であろう。効果満点で、火に油を注ぐかの如くだ。

 

第3楽章はメヌエット。後ろ髪引かれるような風情を覚える―。背を向けてどこかへ行ってしまいそうな人を引き留めるイメージである。

 

第4楽章「Presto」。3分を切る、嵐のような音楽。極端な強弱変化、うねる弦、超高速で突き進む―もう誰にも止められない。モダン・オケでこんなハイドン演奏は初めてだ。

 

フランス放送so.とのライヴ。手兵との録音よりは幾分落ち着いた印象。

第2楽章のピツィカートも確認できる(11分40秒から)。

 

 

 

 

アルバム最後はジェラール・グリゼー(1946-98)の作品となる。ソプラノと15の器楽アンサンブルのための「戸口を抜けるための4つの歌」(限界の克服のための4つの歌)(1997-98)。グリゼー晩年の作品とのことだ。彼は「スペクトル楽派」―コンピューターによって倍音の成分を解析+合成して作品を構成する―の創始者の1人。他に有名な作曲家にはトリスタン・ミュライユなどがいる。彼のアルバムがAEONレーベルからリリースされているが、グリゼーより叙情的な印象を持った。

 

トリスタン・ミュライユ/「冬の断章」(2000)。器楽アンサンブルとエレクトロニクス

を伴う幻想的な作品だ。

 

グリゼーの代表作/「音響空間」(1974-85)。全6部90分にわたる大作。

ヴィオラ・ソロで始まる第1部から音響が拡大してゆく―。後半3部を収録。

 

 

とはいえ、僕としては「理論」より聴こえる(もしくは聴こえない)「音楽」がすべてだ―。そして幸いにも、このグリゼー晩年の作品はなかなかに美しい。いや「美しい」というだけでは足りないかもしれない―「精緻な美」というべきか―。表現にこだわるのには限界がある。このアルバムが「デ・レーウへのオマージュ」なのであれば、この作品こそ現代音楽を得意とした彼にふさわしいのではないだろうか。

 

作品は全5曲から成る―。

 

第1曲「前奏曲:天使の死」は微かなノイズのような音響で始まる。何かストーリー性を匂わせるような音の動き。音を置くように歌うソプラノ。勿論、音楽の起伏もある。フランス語の音韻と関係した音つくりの可能性を感じるが、定かではない。この曲が最も長く12分半かかる。

 

第2曲「間奏曲:文明の死」。古代エジプトの石棺に書かれた年表がそのまま「歌詞」になっているらしい。目の付け所が面白い。暗い場所で響いているような音楽。「語り」とも「歌」ともとれる不思議な歌唱が印象的。

 

第3曲「間奏曲:声の死」。タイトルの割にはしっかり発声している。ダークネスな雰囲気ではあるが―。


第4曲「まやかしの間奏曲:人間性の死」は、第1曲に次いで演奏タイムが長い(11分半)。何より最も聞き応えがある。特にパーカッションの迫力が凄い。これが4分以上続くのだ。そこにソプラノの絶叫が切り込む。ここでの歌唱は最も細やかで大胆だ。絶え間ないニュアンスの変化。ハンニガンの高度な歌唱テクニックが際立つ。

 

ギルガメシュ叙事詩に基づく歌詞の最後のセンテンスは静寂をもって歌われ、そのまま第5曲「子守歌」に入る―。ここで歌われている歌詞も叙事詩に基づくようだ。限りない静寂を持って歌われるが、安らぐ類いの音楽ではない―子守歌なのに。でも昔から「眠り」と「死」は同義語として扱われてきた。その伝統はこれからも続くのだろうかー。

 

第4~5曲の流れは好ましく感じられる。この作品の一番の聴き所だろう。ただ1つだけ、どうしても気になることがある―第4曲目だけ、何故「FAUX」な間奏曲なのか―それは謎のままだ。

 

様々な楽器と声の絡み(融合)や、特殊奏法などを楽しめるかもしれない―。

 

当アルバムのプレビュー動画。偶然にも2020年度レコードアカデミー賞

「現代曲部門」受賞盤となった―。
 

 

デ・レーウと言えばエリック・サティ。彼の歌曲を2人の共演で―。

 

2人が共演したアルバムのちょっとしたドキュメンタリー。

 

デ・レーウによる室内楽編曲版によるマーラー/大地の歌~第6楽章「告別」。

彼の事実上最期の録音。追悼の意を込めて―。