これまで取り上げた中で、上記の点が何度か浮上したように思われたので、この機会に少し考察を深めてみようと思う―。

 

 


そもそも、どうしてスコアにリピートの指示があるのかについては、一概に言えないところがあるー「作曲家の意思」と言ってしまえばそれまでのことだが―。ただ想像できるのは、単純にテーマに親しんでもらうための手段だったのではないか、と思う。「繰り返しは記憶の母」なのである。そんな実際的な理由なのであれば、記憶媒体が豊富な現代にあって、「スコアに書かれているから」というだけの理由でリピートを「機械的に」敢行するのはどうなのかなぁ、と感じざるを得ない。そう、「必然性」が必要だ。「心から」の理由が必要なのだ。

 

「原典主義」の傾向が強くなり、「スコアに忠実」が絶対視されるようになって、音楽家たちはそれらの「制限」の中で、実力なり個性なりを発揮していかなくてはならなくなった。それゆえか、みんな同じ演奏に聞こえてしまう―結果僅かな違いを嗜むことになり、それがマニアを生んだ、ともいえる―。もし「変わってる」ように聞こえるとしたなら、それは「間違い」とまでは言わなくとも「非正統的」であり、まともではないのだ。

 

対して、往年の演奏家たちの生み出す音楽は皆イキイキとしていた、と感じるのは僕だけだろうか。ミスタッチあり、スコアの改変あり、強弱記号を反転させ、速度表示を独自に読み替える。なんなら自作のフレーズまで挿入してしまう。何て楽しい時代であったことか―。個性重視、個性優先だったのだ―。「心が」伴っていたのだ。度量が深かった。その背後にはあらゆるものに対する「愛」があった。「理解」があったのだ。そして「許し」も―。

 

往年の音楽家たちは大概、リピートをカットしていたのでないだろうか。残された録音の大半はそれを示していないだろうか(コンサートでは異なるかもしれない)。録音技術の問題もあった―SPやLPに収めるために。そちらの理由の方が多そうだ。長時間録音が可能となったこともリピート実行の現実的理由の一つなのかもしれない。マーラーやブルックナー、ワーグナーだけが恩恵を受けたわけじゃなかったようだ。

 


 

リピートの有無には当然、音楽形式も関係する。当てはまりやすいのは「ソナタ形式」の楽曲だ。当然作品も限定されてくる。「古典派」が多いのは言うまでもない。「近現代」ではそもそもリピートする必要がない音楽が多い(またはリピートだけで成り立っている場合か―「反復音楽」とか)。

 

スティーブ・ライヒ(1936-)/「クラッピング・ミュージック」(1972)。

シンプルゆえに飽きない。昔友人たちと演奏したことがある「思い出」の曲。

 

こちらは「ヴァイオリン・フェイズ」(1967)。見事にグルーヴを「視覚化」する。

「ミニマル音楽」は「ダンス・パフォーマンス」との相性が抜群だ―。

「新しいラジオ体操のカタチ」―ではないが。後半の「高揚感」が凄い。

 

 

モーツァルト/「プラハ」交響曲K.504を例にとっても、リピートをすべて敢行すると、そうでない場合に比べて単純に2倍近くの演奏時間を要することになる。特に第1楽章にそれは顕著だ。往年の指揮者は10分前後。これが例えば提示部の反復を全て行っているアーノンクール盤だと19分以上かかる。コンパクトな印象だったのが、一気に「大曲」へと一変してしまう。

 

こちらはシューリヒト盤の第1楽章。9分15秒。即興的妙味に富むのが魅力。

 

対するはアーノンクール盤の第1楽章。19分25秒。ブルックナー並みのタイムである。

 

 

そこまでではないにしても、聞く印象が少し変わる場合もある。

「ロマン派」においては例えば、ドヴォルザーク/「新世界」交響曲第1楽章やブラームスの第4番以外の交響曲の第1楽章がそうだ。

曲によっては「また始まった」と思ってしまうかもしれない―。

(僕は以前「新世界」にそれを感じたことがある)

 

 

 

どうやら「リピートの有無」は音楽家の「音楽」に対する見方、想いを明らかにする場合があるようだ。リスナーとしては、好きなフレーズを再び聞けるのは素直に嬉しい。

その時間が少しでも長く続いて欲しいのだ―。

そして「before/after」が存在するようにも思う。聴く印象が異なる場合がある。

「アフター」において最初にはなかった絶妙な表情が付け加えられていることもある(主にピリオド系)。その場合もリピート大歓迎である―。

 

最近は大胆に個性を打ち出す演奏家も出てきている。嬉しいことだ。濃厚な音楽性で聴かせてくれるアーティストだと、「リピートの有無」がどうこう、といった細かいことが全く気にならなくなる。偉大な音楽の前では、それはとてもとても小さなことなのだ。

 


人生は一度きり。でも、もしリピートするのなら―。

 

梨本うい(作詞&作曲)/「リピート」。ギターのリフと刹那的な歌詞が印象的。