写真展は成功したけどという原稿を元に北海道新聞社から取材を受け、今日の朝刊オホーツク版のサンデー談話室で紹介された記事を載せます。


釧路と網走を結ぶ国道240号沿いの津別町相生地区。町中心部から離れ、町内でも過疎化が深刻なこの地区で8月、写真展を企画し、成功させた。

煙を上げて力強く走るSL、車内で談笑する乗客や行商、駅で遊ぶ子どもたち…。モノクロの写真を見つめるまなざしは、どれも感慨深げだ。今年で廃線30年を迎えた、津別と美幌を結んだ旧国鉄相生線。豊富な木材を運ぶ拠点だった北見相生駅が今なお残る「相生鉄道公園」で、節目の写真展を2日間開催した。町民や鉄道ファンだけでなく、道内各地からかつての相生線利用者も集まり、往時のようなにぎわいを見せた。
「津別の発展を支えた鉄路について、大人は存在の大きさを思い出し、知らない子どもは驚きを持って受け入れてくれた。今なお、相生線は地域の宝だ」。信念は確信に変わった。
津別で生まれ、物心ついた時から、相生線の大ファン。「駅も汽車も遊び場。少ない小遣いを握りしめては、一駅だけでも乗っていた。車掌室に入れてもらったことが何よりの思い出」と振り返る。
だが自分の成長と反比例するように、運搬される木材も利用者も減っていく。そして相生線が60年の歴史に終止符を打つ1985年3月31日。最後を飾る「さよなら列車」に乗った。「列車は超満員で、沿線では多くの人が手を振り、各駅も人であふれていた。でも、これで終わりかと思うと複雑だった」。自身もこの年、相生線の後を追うように、津別を離れた。

タクシー運転手や自衛隊員などさまざまな職を経て、准看護師の資格を取って津別に戻ってきたのは2013年。約30年ぶりの故郷の変貌ぶりに衝撃を受けた。「若者は少なく、シャッターが閉まった商店ばかり。何とかしなければ」。北見の老人施設で働く傍ら、町おこしに取り組もうと決意。そこで注目したのが相生線だ。
「鉄道公園には客車や駅舎が当時の姿で残っている。他の地域にない歴史的財産で、観光資源になる」。再び光を当てるべく、地元アマチュア写真家や当時を知る町民らに写真展の企画を提案すると、賛同者が集まった。町の支援も取り付け、実現にこぎつけた。
「再び開催を」「写真集を出版して」。来場者の声を思い出すと、道半ばだと痛感する。「ふるさと銀河線をはじめ、管内の廃線を抱える地域と“鉄道”で連携すれば、活性化の輪が広がるのでは」。新たな構想が芽生えつつある。

美幌支局 嶋田直純

2015年12月13日 北海道新聞朝刊のオホーツク地域版に掲載