2つ前に国鉄宇品線について書きましたが、今回はその沿線にあった陸軍被服支廠を紹介します。
広島といえば呉市、江田島市の海軍が有名で現在も海上自衛隊の基地がありますが、安芸郡海田町には陸上自衛隊の駐屯地があり、広島市にも国鉄宇品線が当時の陸軍施設を結ぶように建設され、竣工後は広島城に大本営も置かれました。

ちなみに広島に移された大本営は、1894年9月15日に当時の陸軍第五師団司令部に日清戦争の指揮のため明治天皇が移り最高統帥機関となったものですが、併せて明治天皇の皇居ともなり臨時の帝国議会も広島で開催され、以後1896年4月1日の解散までの1年半の間に日本の首都機能は広島に置かれていました。
明治維新以降で首都の機能が一時的にせよ東京から離れたのはこれが唯一の事例であるようです。

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こちらが現在も残る旧被服支廠の倉庫です。現存する10~13番庫は1913年に竣工した鉄筋コンクリート構造の倉庫で外壁にレンガが貼られる形となっています。
日本での鉄筋コンクリート構造の建築物は1905年に佐世保軍港内に建てられものが最初と言われており、被服支廠の建物はこの過渡期に建てられた、日本における建築史の上でも貴重な史料と言えるようです。

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こちらはその南西角。写真左側の一面は西側の爆心地方向を向き、原爆の爆風と熱線により鋼鉄の扉がぐにゃぐにゃに歪み再び閉じられることができなくなりました。
ただ外壁に60cmの厚みがあったため原爆による倒壊はまぬがれ救護所となり、その結果避難してきた多くの被爆者がここで息を引き取ることとなりました。

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最後に西旭町に面した一棟。この倉庫のわきに金銀花(スイカズラ)が咲いていました。金銀花は西旭町の他の場所でも見ることができました。
近年まで現存する4棟は他の3棟が日本通運出汐倉庫として、この棟は広島大学薫風寮として使用されてきましたが、現在はいずれにも使用されていないようでした。


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