民営化後に廃止されたJR可部線の非電化区間(可部駅-三段峡駅)については以前記事にしましたが、今回はさらに古く1972年廃止の国鉄宇品線(広島駅-東広島貨物駅-上大河駅-宇品駅)を取材してきました。
ちなみにその後しばらく貨物線として、国鉄宇品線の区間のうち東広島貨物駅以南(東広島貨物駅-上大河駅-宇品駅)が通運業者4者(広島県経済連、日本通運、トナミ運輸、広島運輸)による宇品四者協定線として残されていましたが、こちらも1986年に廃止されてしまいました。
参考・国鉄宇品線の駅一覧 ◎印は1966年当時営業していた駅 ☆印は貨物専用駅
◎広島駅
(かつて存在した0番線からの発着。現在は駐車場となっています。)
●安芸愛宕駅 ←愛宕町停留場
(現在の愛宕踏切付近にあったようです。)

広島駅南口から愛友市場方向に進んで、正面に写る交差点の左側が愛宕踏切です。この踏み切りは閉まるとなかなか開きません。
☆東広島駅
(広島貨物ターミナル駅に移動した後、跡地にマツダスタジアムが建てられました。大須口駅との間にある大洲通りはかつてアンダーパスとなっていましたが現在は埋め立てられています。)

ここはマツダスタジアム前の大洲通りとの交差点です。正面に進むと段原方面です。
◎大須口駅 ←大須口停留場
(廃止前には信号場に格下げされていたようです。東段原駅との間に架かっていた大洲口鉄橋は廃線後も歩道橋として橋脚が使用されてきましたが、マツダスタジアム周辺整備前に道路橋「平和橋」に架け替えられました。)

現在の平和橋の様子。かつては向かってやや右側に大洲口鉄橋が架かっていました。
●東段原駅 ←東段原停留場
(段原口と呼ばれた時期もあったとか。猿猴川のすぐ南側にあったようですが、現在は区画整理され宅地として分譲されています。)

平和橋を渡った区画整理地区。正面に進む広い道ではなくそのやや右側が国鉄宇品線跡となります。

東段原駅から南段原駅までの区間では平和大通りが延長した市道比治山東雲線に遮られます。ここがまさに国鉄宇品線跡が“線”として活用されなかった象徴となっています。
◎南段原駅 ←女子商業前停留場
(現在は安芸郡坂町にある広島翔洋高等学校ですが、平成元年まで広島女子商業学校として南区南段原町にありました。やや南側にある段原南第五公園は「宇品線公園」として整備され、駅名表示板と動輪が置かれています。)

左側は区画整理が始まったばかり、停留場名の由来となった学校は右側の区画整理が済んだ現在のサティの位置にありました。

こちらの段原南第五公園もそうですが、国鉄宇品線跡に残されたモニュメントはほとんどが少しずらされた位置に整備されています。
◎上大河駅 ←比治山駅←兵器支廠前停留場
(宇品線唯一列車が行き違うことのできる交換可能駅でした。戦後は兵器支廠跡が県庁仮庁舎となり通勤客の利用も増加、1日に9,000人近い乗降客があったといいます。現在も広島大学医学部、警察学校などが位置しています。)

上大河駅(比治山駅)があったと思われる位置は霞住宅の西端、現在の岡田外科医院前です。

続いて大学病院前交差点。国鉄宇品線跡からもう少し広く土地を取得できていればこの道路の狭さには…

この国道2号線交差点より先には片側1車線ながらも交差点手前には右折車線があったり、南警察署交差点からの海岸通りは道路幅が広がります。
●上大河駅 ←被服支廠前停留場
(現在の国道2号線より南側にあったようです。戦後、休止中だった比治山駅の位置に移転されました。)
●比治山簡易停車場
(宇品線開業直後に設置されるも16年間で廃止。旭町商店街の入口付近にあったようです。)

こちらが現在の旭町商店街入口。国鉄宇品線は直進して広島港方向へと延びていました。斜め左に進むと旭町商店街、右側のマンションが立ち並ぶあたりはかつての陸軍被服支廠だったあたりです。
◎下大河駅 ←大河駅←大河地蔵前停留場
(戦後、学生の利用客が多かったようです。付近の西旭町集会所前に「ポッポ広場」というポケットパークが住民主体で整備されました。)

こちらがポッポ広場ですが鉄道に関する資材の展示はなく、見ての通り花壇に囲まれた憩いの空間的なスペースです。正面の建物が西旭町集会所でその奥左手方向には旧陸軍被服支廠倉庫が残されています。

ポッポ広場前の交差点から広島港方面を見た様子。このあたりからは国鉄宇品線の敷地内に新たな建造物を造らなかったようで、道路幅がゆったり広くなっていきます。
◎丹那駅 ←丹那停留場
(南警察署交差点の北東側に警報機、遮断機、車止め付き線路、短いホームがモニュメントとして残されました。)

丹那駅のあった南警察署交差点付近、具体的には旭町ポンプ場の車両出入口前にある線路モニュメントです。一連のモニュメントの中では最も鉄道の施設らしい形に復元されています。

そのモニュメント前から南警察署交差点を過ぎると道路は海岸通りという名前になります。またこの交差点より先は道路と別に路盤跡がそのまま残されています。
●丹那簡易停車場
(宇品線開業直後に設置されるも15年間で廃止。路盤跡は海岸通りの西隣に並走し、花の道「葵通り」と呼ばれタチアオイなどが咲き誇ります。現在温泉施設「ほの湯」ができたすぐ近くですね。)

路盤跡の側道に温泉施設ほの湯があります。海岸通りは路盤跡の反対側に整備され片側2車線ずつの広い道路です。

はっきり路盤跡とわかるのは宇品中学校東側のこのあたりまで。正面の立ち木の先は両サイドがマツダの工場用地となり、路盤跡は草木がうっそうとしています。

ほの湯そばの側道の終端は古い木造長屋街。こちらは戦後に建てられたのでしょうが、段原地区にはこういった木造住宅が軒をひしめきあうように立ち並んでいました。そちらは区画整理のため姿を消しています。
●下丹那駅 ←人絹裏停留場
(路盤跡は海岸通りより一段低く、草木でうっそうとしています。現在は海岸通りと国鉄宇品線路盤跡を挟む形でマツダ系の工場が立ち並んでいます。)
◎宇品駅
(開業5年後に小移動。広島電鉄海岸通電停の近く、広島競輪場の敷地南側に沿う形で位置していました。当時日本で一番長いといわれた全長560mのホームは南道路建設のため撤去されました。)

現在の南道路宇品ランプ出口から広島港方向を見た様子。このあたりにホームがあったと思われますが、宇品駅の敷地はそのほとんどが南道路の敷地へと転用されてしまいました。

ホームに沿って建てられていた旧陸軍糧抹支廠倉庫の記念碑は、宇品ランプ交差点南西角の歩道に沿って保存されており車では近づけません。
(貨物専用線付近)

外貿埠頭にある「宇品波止場公園」内には、旧国鉄宇品線の線路のモニュメントや説明板があります。

波止場公園のあたりはかつて陸軍桟橋と呼ばれていたようです。現在は海上保安庁の桟橋が造られていますが、当然ながら関係者以外立ち入ることができません。

海岸沿いを広島港方面に歩くと市営桟橋があり、金輪島への船が発着します。かつて陸軍桟橋付近に一般市民の立ち入りができなかったようですが、この市営桟橋のあたりがどうだったか定かではありません。
全体として思うのは、やはり再開発に対する広島市のお粗末さですね。
まぁ道路は並行するように広島市中心部から宇品方面に新しい路線が整備されたのですが、段原地区の再開発や、結果として東広島駅跡地にカープの本拠地球場を移転するなどもあって交通渋滞につながっているわけです。
レールを剥がすと同時に地下に鉄道用地を確保しておけば、将来的にアストラムラインで市街地と広島駅、マツダスタジアム、段原や旭町の住宅街、宇品の競輪場や広島港を結ぶなど予算に応じて開発も進められたであろうに…

