しばらく地元ネタを続けていたので、歴史的な広島との繋がりを説明して結びましょう。
実は北海道が本格的に日本人による開発がはじまった明治初期、北海道に11国86郡が置かれ、そのうち北見国の常呂郡(佐呂間、常呂、端野、北見、留辺蘂、訓子府、置戸)と釧路国の網尻郡(美幌、津別)は広島藩に分領支配されていました。
これは広い北海道を統括するため、戦力的に誇った本州以南の各藩、藩主、寺院などに分割統治させたもの。
特にロシアと接するオホーツク海側の北見国は稚内、紋別、網走の各沿岸部に金沢藩、和歌山藩、広島藩、名古屋藩という布陣が防衛の任務についたというものです。
この施策は明治2年からのわずかな期間で終えることとなりますが、当時北海道に11国86郡が置かれたこと分領支配されたことは、現在北海道においてもあまり知られたことではありませんし、全国的にみてもそれが記された書籍を探すことは困難でしょう。
ちなみに当時の国、郡はそれぞれ現在の支庁、郡の構成にほぼ受け継がれています。
