渓声山色
釈迦の説いた無常の真理のひとつの、自律神経の調和を伝承し、また体得した先輩は少なくない。中には、達磨大師への入門に際して、片腕を切り落とした慧可大師がいる。また燃燈仏のために自ら頭髪を敷いた釈迦の心意気に違反してはならない。
宋の国に東破居士蘇軾という人は文筆界では巨匠の部類で渓谷に遊ぶことが多かった。あるとき、谷川の水の音を深夜に聞くや、自律神経の調和が到来し、ありのままの自分を取り戻し、釈迦の教えを把握した。しかし言葉にするにはどうも困難である、このことを詩にして常総禅師に送ったところ禅師はそれを肯定した。
香厳智閑禅師が大写大円禅師に師事していたとき、大円禅師に「お前は書物の教養も深いから、そこで書物の中からではなしに、自分の言葉で私に何か言ってみてくれ」と問われたとき、どうしても一句がでてこなかった。そこで禅師を退き、給仕役に徹して年月が経た。やがて武当山へ篭り生活した。あるとき道を掃除していたとき瓦が飛んできて竹にぶつかり大きな音を立てた。それを聞いた瞬間、ありのままの自分を取り戻し、突如、釈迦の教えを悟り、大円禅師のところへ赴き、「いままで一句をつくるのが困難であったが、一撃で迷いが吹っ飛んだ」と詩を述べたところ大円禅師は言った。「この弟子はものになった」と。
霊雲志勤禅師は30年の修行していたが、あるとき山歩きをしていたときに、野原に広がる人里に、桃の花が咲き乱れるのを見て、突然自律神経が調和し、ありのままの世界が見えたとき、釈迦の教えを悟った。そのときの詩を大円禅師に送ったところ大円禅師はそれを認可した。
釈迦は座禅三昧の後、明けの明星を見たときに、(人は自律神経の調和のとれたときにありのままの自分になりきれることを真理として)悟ったといわれている。だから言う、自律神経のバランスが到来する瞬間は座禅ばかりではない。谷川の音や桃の花などの自然によっても自律神経の調和をもたらすということも釈迦の教えである。そうでないとしたら、どうしてこのような体得ができるであろうか。
隙もなく雪は降りけり谷深み 春来にけりと鶯ぞなく 道元
釈迦の説いた無常の真理のひとつの、自律神経の調和を伝承し、また体得した先輩は少なくない。中には、達磨大師への入門に際して、片腕を切り落とした慧可大師がいる。また燃燈仏のために自ら頭髪を敷いた釈迦の心意気に違反してはならない。
宋の国に東破居士蘇軾という人は文筆界では巨匠の部類で渓谷に遊ぶことが多かった。あるとき、谷川の水の音を深夜に聞くや、自律神経の調和が到来し、ありのままの自分を取り戻し、釈迦の教えを把握した。しかし言葉にするにはどうも困難である、このことを詩にして常総禅師に送ったところ禅師はそれを肯定した。
香厳智閑禅師が大写大円禅師に師事していたとき、大円禅師に「お前は書物の教養も深いから、そこで書物の中からではなしに、自分の言葉で私に何か言ってみてくれ」と問われたとき、どうしても一句がでてこなかった。そこで禅師を退き、給仕役に徹して年月が経た。やがて武当山へ篭り生活した。あるとき道を掃除していたとき瓦が飛んできて竹にぶつかり大きな音を立てた。それを聞いた瞬間、ありのままの自分を取り戻し、突如、釈迦の教えを悟り、大円禅師のところへ赴き、「いままで一句をつくるのが困難であったが、一撃で迷いが吹っ飛んだ」と詩を述べたところ大円禅師は言った。「この弟子はものになった」と。
霊雲志勤禅師は30年の修行していたが、あるとき山歩きをしていたときに、野原に広がる人里に、桃の花が咲き乱れるのを見て、突然自律神経が調和し、ありのままの世界が見えたとき、釈迦の教えを悟った。そのときの詩を大円禅師に送ったところ大円禅師はそれを認可した。
釈迦は座禅三昧の後、明けの明星を見たときに、(人は自律神経の調和のとれたときにありのままの自分になりきれることを真理として)悟ったといわれている。だから言う、自律神経のバランスが到来する瞬間は座禅ばかりではない。谷川の音や桃の花などの自然によっても自律神経の調和をもたらすということも釈迦の教えである。そうでないとしたら、どうしてこのような体得ができるであろうか。
隙もなく雪は降りけり谷深み 春来にけりと鶯ぞなく 道元