初発のときは、私なんかよりずっと強かった母。
死ぬわけない、死なせない、という気迫と
私への細やかな心配りとで
私はとても平和に守られていました。
ぽそっと「死んじゃうかもしれないし」といえば
「そんなわけないでしょ。簡単には死なないよ。」とさくっと返事。
そうか、死なないかぁって、なっとく。
私の前で1度も泣き顔も、弱音も見せなかった母。
あれから、5年。
つい先日、「あの1年は濃密だったね」なんて話してた矢先の再発。
今回は、母の心配が心配なほど。
「そっちいこうか?大丈夫?」
「お母さん、眠れなくて」
「胸がずーんと重くて痛い」
「Sが、そばにいないからかな」
などなど、初発のときには一切見せなかったところが
ぽろぽろ私のところに見えるように。
LINEもほぼ毎日。
やはり5年という月日に母は老い、
心も前ほど強くはなくなったのでしょう。
それでもまだ還暦なんだけれどね。
還暦のお祝い、ちゃんとしてあげられてないのが申し訳ない。
対して私も5年分大人になったのか、
彼氏がいてくれるという強みもあってか
母の心配にも「大丈夫大丈夫」と言ってしまうし、
あのときほど不安にかられてしまうことはなく。
でも、もしかしたら、ここは母にきちんと甘えた方が
親孝行なのかもしれないなあと最近思います。
今度の治療のあとは、すこし帰省しようかな。
父と母に甘えてこようかな。
孫が生まれたら案外私なんてそっちのけになると思うから
お互いいいタイミングなのかもしれません。
アラフォーであっても、彼らの娘であることは変わらないし、
会えるうちにたくさん会っておくべきなのだろうとも思います。
私自身の残された時間がどれほどかはわからないにしても
老いていく両親との時間だって有限なわけですもんね。
既にたくさん親不孝をしていますが、
先に逝くという、最大の親不孝は何としても避けたいところ。
今のうちにできる限りの親孝行はしておきたいなと、思います。
またいっしょに旅行したいな。
母とはドバイ&ギリシャにいきました。
父とは、母と3人で台湾に。
もう1度くらい、どこかのんびりできたらうれしいなぁ。
それこそ私の病状がどうにか落ち着いたらですよね。
治療頑張ろうと思います
死ぬわけない、死なせない、という気迫と
私への細やかな心配りとで
私はとても平和に守られていました。
ぽそっと「死んじゃうかもしれないし」といえば
「そんなわけないでしょ。簡単には死なないよ。」とさくっと返事。
そうか、死なないかぁって、なっとく。
私の前で1度も泣き顔も、弱音も見せなかった母。
あれから、5年。
つい先日、「あの1年は濃密だったね」なんて話してた矢先の再発。
今回は、母の心配が心配なほど。
「そっちいこうか?大丈夫?」
「お母さん、眠れなくて」
「胸がずーんと重くて痛い」
「Sが、そばにいないからかな」
などなど、初発のときには一切見せなかったところが
ぽろぽろ私のところに見えるように。
LINEもほぼ毎日。
やはり5年という月日に母は老い、
心も前ほど強くはなくなったのでしょう。
それでもまだ還暦なんだけれどね。
還暦のお祝い、ちゃんとしてあげられてないのが申し訳ない。
対して私も5年分大人になったのか、
彼氏がいてくれるという強みもあってか
母の心配にも「大丈夫大丈夫」と言ってしまうし、
あのときほど不安にかられてしまうことはなく。
でも、もしかしたら、ここは母にきちんと甘えた方が
親孝行なのかもしれないなあと最近思います。
今度の治療のあとは、すこし帰省しようかな。
父と母に甘えてこようかな。
孫が生まれたら案外私なんてそっちのけになると思うから
お互いいいタイミングなのかもしれません。
アラフォーであっても、彼らの娘であることは変わらないし、
会えるうちにたくさん会っておくべきなのだろうとも思います。
私自身の残された時間がどれほどかはわからないにしても
老いていく両親との時間だって有限なわけですもんね。
既にたくさん親不孝をしていますが、
先に逝くという、最大の親不孝は何としても避けたいところ。
今のうちにできる限りの親孝行はしておきたいなと、思います。
またいっしょに旅行したいな。
母とはドバイ&ギリシャにいきました。
父とは、母と3人で台湾に。
もう1度くらい、どこかのんびりできたらうれしいなぁ。
それこそ私の病状がどうにか落ち着いたらですよね。
治療頑張ろうと思います
