小学生の頃の習い事


ピアノ

習字

スイミング

ミニバス


今思うと、小さい工場ならがらも少しだけ裕福だったのだと思う


やりたい事は、すぐにやらせてもらえ

欲しいものは、言えば大体買ってもらえた



しかし、飽きれば使わなくなり

いやになったらすぐに辞めていた






父方の実家は、地域で盛んな事業の経営者

家には大きな蔵ががあり、言うことを聞かないと「蔵に入れるよ」と今ならアウトなこともあった

ただとにかく広いお屋敷に、4世帯が住んでいた

父は大家族の末っ子として生まれ、婿にこそ出さなかっただけで、母方の父に可愛がられ、小さな工場をもった




母方の祖父母も会社経営

地元のライオンズクラブの会長もしていたほどだ

別荘も持っていて、お手伝いさんもいた

いつもハイヤーを呼んでは、孫たちをデパートへ連れていきゲーム以外のものならなんでも買ってくれた




とにかくそんな実家を持つもの同士の父と母

時代は違えども、今サラリーマンの嫁となった私からしたら、振り返った私の幼少時代は恵まれていたんだなと、今になって思う




ただ、裕福が故に少々ズレていたこともその当時はもちろん気づかない





そんな私が家庭を持ち、母親となった今

自分の育った環境が、ありがたかったのだと知る




例えば、欲しいものは何でも買わない

習い事は、すぐには始めさせない




●プレゼント

イベントの時する

一つだけね

○○の時にね

どうしてそれが欲しいのかきちんと話させる






●習い事

なぜ習いたいか

習ってどうしたいか(目標の設定)

パバにお願いさせる







サラリーマンの我が家が、プレゼントを買う、スイミングに通わせるには、3人の教育費(月謝)が家計の負担になる

簡単なことでは無い

1人させれば、3人と覚悟をするのだ

3人平等が私達夫婦の考えだからだ



今になって、私は両親に感謝とか言ってるけど、その当時はそんな気持ち1ミリもなかった




やりたいと言ったくせに、ピアノはひとつも練習しない

習字も友達と帰りに食べるおやつが楽しくて行く

もちろん上達するるわけがない

スイミングは、スクールの選手クラスまで行ったが上には上がいることを知り、イヤになる

ミニバスも、花形になれずきつい練習に嫌気がさし、一応卒団まではいるが嫌で仕方がなかった

塾なんて、これは勝手に入れらたからもちろん何回もサボった

中学の頃は塾へ行くと嘘をつき、友達の家で遊んでいた




挙句の果てに、辞めたいとも親に言えず

勝手に休み、バレた時は怒られる

バレなかった事も多かった

しかし、この「怒られる」が一晩だけガミガミ言われるだけですんだ


子供の私からかしたらラッキーだった

パパは仕事人間で、子供の教育は全てママ任せ

ママも仕事に追われ、私のサボりに気が付く事が少なかった




と、こうなれば嫌になったら行かなければいいと酷いことをしてきた




それぞれやめた時のことは今でも覚えている

でも、始めた時の気持ちは何一つ思い出せないのだ





そうだ、子供たちには始める時に

自分の意思で

どこまでやるか

親にお金を払って頂く感謝をもたせ

お願いさせよう


と、私は思った




私のような辞め方は、ありえないと

自分で自分の過去を、否定したのだから

子供に、教える責任を感じた




子供達には、もちろんそんなふうに育って欲しくない



私が自ら経験した事だから、回避は簡単だった








まだ、年中の我が子は、

泳げなくて死んじゃうのやだからー

○○ちゃんと行きたい

白帽子までやりたい

パパ習わせてください、お願いします



そうして、5年生半ばまで続け、白帽子になり

「お父さん、白帽子まできたしスイミングは辞めたいです」


と、きちんと伝え辞めることになった



習い事はお金のかかること

学校でも教えてくれることを、さらに外へ出て学びたいなら、お金をだす親として当然の意思確認だと思った



これが私の親にはなかったのだ





そしてこの話をある日ママにした


ママ「どの口が言ってるの〜信じられな〜い!!」


私「謝るしかな〜でも感謝だらけだよ

     ピアノな何回も行かなかったし、

     塾だって、よく友達のところにいってたよ

     週のほとんどに、習い事を自分で入れたくせにね笑 


ママ「……(目が点)」

         そうなの、知らなかった……」


私「 でも、私は自分のことは全〜部棚に上げて育児するから!!」



なぜ習いたいか

習ってどうしたいか(目標の設定)

パバにお願いさせる




自分が出来なくて後悔したから、

子供にはきちんと教えたかった




それと同時に、何でもずぐに習わせてくれた両親に、感謝を忘れていたなと、今になって気がつくことができた





自分の過去を思い出し、今の自分のダメな部分が育った理由を見つけ、3人の子育てに生かそう

棚に上げると、ママには言ったものの


きっと、

すぐに買ってあげられない

すぐに習わせてあげられない

サラリーマンの自分の家庭を自虐的に「棚に上げる」と言い換えたのだろう




それと同時に、会話が少しだけママを責めた様な空気になってしまった事にも気がついた




すぐに習わせてあげたり、買い与えることは

その子のために良い事なのだろうか

という気持ちが、ありながらだったからだ




話の最後には、


ママでもね、豊かに育って幸せだったよ

ありがとう!!




本音で伝えることが出来た