じいちゃんが亡くなり
仕事のお休み調整も含めて
バタバタと準備を手伝いつつも
家に戻り自己調整すると
やはり、それなりに地縛霊も浮遊霊も憑いているのですが
父方の実家より、かなりエネルギーが軽く感じました。
家系のカルマもどちらもそれなりに重いものがありますが
それでも父方の方が断然重い
母方の実家の方が軽い
これは何でだろうと考えたのですが
(あくまで個人的な感想見立てです)
圧倒的に
家の中の不要なものがなく
掃除が行き届いていている
亡くなるその日まで
食事もとり、トイレも自分でしていた
祖父の生活スペースは
やはり高齢な事もあり、さっぱり綺麗に整頓とは
いかないので、重たい場所もありましたが。
そして、農家なので駐車スペースというか
庭も広いのですが
叔母が
季節の花をたくさん咲かせている
のです。
私的にこの二つのポイントがとても大きいと感じました。
叔父の健康や豊かさとかとてもリンクしているように感じます。
そして我が家もこれに見習って捨離中です。
お花も少しずつ取り入れ中。
伯母はお掃除のお仕事を数年していて
そこから各段に掃除の腕がかなり上がったように感じます。
見習わなくては。
話がかなり横道にそれました・・・。
親族も集まり、遠方からも親族が来ました。
じいちゃんにはとにかく思い出がたくさんあって
もう高齢なんだからしょうがないんだと思っても
泣けて泣けてしょうがありませんでした。
母は親族を捕まえると
とにかく自分が幼少期から結婚して家を出るまで
自分がどれだけ搾取されたか
ひどい目にあったかじいちゃんを罵るように
聞かせていました。
父方の祖母が亡くなった時は
その声を聞くたびに、いたたまれず
心がかき乱されてしょうがありませんでしたが
前回の自己調整が良く効いているのか
『ここは母の実家だし、母の事はみんなに任せてしまおう』
と気楽でいられました。
湯灌の時も相変わらず、母は騒いでいて
叔父(母の弟)もあきれて
「呼ばんでいい」と言っていました。
わたしも幼少期から母の話はさんざん聞かされていました。
母がとても頭が良く成績優秀だったこと
ノートが無くなり買って欲しいと頼むと
父親に怒られ
女は勉強しなくていいと買ってもらえず
泣きながら消しゴムでノートを消した話。
父親から女は中学卒業したら働けと言われ
学校の担任が家にきて
両親を高校へ進学出来るように説得してくれたこと。
就職したお給料ボーナス
かなり家に入れなければならなかった事
まだまだ沢山母から聞かされた苦労話は山ほどあります。
そんなに辛かったのに
どうして私に同じことをするのだろうと思いますが
わたしは反面教師にして
逆に子どもにはこんな思いをさせたくない
と思いやってきましたが
私の信念体系にもかなり
影響を及ぼしていると感じます。
もう70年以上も前
大昔は生活も苦しく大変だったのだと思います。
その犠牲になった母の気持ちはわからない事もないです。
でも、でも、でも、
じいちゃんは
初孫の私には優しかった。
湯灌が終わり
葬儀場へ向かう時間がやって来ました。
じいちゃんがこの身体でこの家に居ることは
もう二度とないんだと思うと
ただただ甘えさせてくれたじいちゃんに
こんな年齢まで孫をさせてくれて
長生きしてくれたじいちゃんに心から感謝しました。
じいちゃんを乗せた
車の後に付いて
自分の車を運転しながら葬儀場へ向かいました。
ふと、道すがら
自分のインナーチャイルドと
すれ違った感覚がありました。
小さい頃はしょっちゅう
祖父母の家に泊まりに行っていました。
温かく迎えてくれて
甘えさせてくれる
じいちゃんとばあちゃんが大好きでした。
祖父母の家の最寄の駅を降りて
幼馴染のお母さんが働くケーキ屋さんの前を通ると
声を掛けてくれて
アイスのシュークリームをくれました。
駅から祖父母までの家の道のりが
楽しくて嬉しくて
早くじいちゃんばあちゃんに会いたくて。
足早に向かうインナーチャイルドとすれ違った感覚がありました。
なんとも言えない感覚が湧いてきて
泣きながら車を運転しました。
孫としてたくさん甘えさせてくれた
じいちゃんにたくさんの感謝
お別れでした。
よく喧嘩してたじいちゃん、ばあちゃん。
葬儀にはお迎えにきたばあちゃんのエネルギーも感じました。
天国では、ばあちゃんと仲よくしてね。
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