ことばの発達と情緒応答性 | 臨床心理士の子育てエッセイ ー 海外でシングルで

ことばの発達と情緒応答性

子供とよく話をする。歩きながら。電車の中で。またよく、寝る前にいっしょに入っているベッドの中で。


友達のような関係でもある。いろんな他愛のない会話をする。気持ちを感じあうようなこともある。・・・これは母と子、なのか?まあ形としてはもちろんそうなのだけれど、ただの人間同士というか、いっしょの船にずーっと乗ることにたまたまなってしまった人同士、というか。会話の機会ももちろん多いわけで。だったら面白いものにしていった方がいいし、意味のあるものになっていった方がいい。まあそんなに肩をはらなくても、気持ちがいい方がいいし。


自慢のように聞こえてしまだろうが、うちの子たちは言葉の発達も日本語の発達もとてもいい方だと思うし、ずっと周囲からそう言われてきた。言葉に関しての心配は一度もしたことがない。しかも英語環境の海外にもかかわらず、日本語の身につき方がよい。どうやってるの?と聞かれても、言葉として意識して教えたことは一度もない気がする。日常生活に具体的にかかわっているところでの、気持ちの交換をまじえた他愛のない会話をしょっちゅうやっている友達のような関係・・・これがきいている、としか思えない。説明のしようがない。


心理学で「情緒応答性」と呼ばれる概念・・・結局これのような気がする。気持ちをくんでそれに答える。そういう気持ちであることは分かっていて、その上で答えているよ、というような内容のことを返す。自分の言ったことを相手がちゃんとぴんときていて、その上で答えているのかどうか、ということはけっこうすぐに分かるものなのだ。自分の言った内容を、その感覚のまま分かってくれる人は、とってもうれしい存在だ。・・・なかなかいなかったりするのだ、これが。


そう言えば、うちの子がもっと小さい赤ちゃんでたぶん1歳くらいの時から、もっともうれしそうな喜びに満ちあふれた反応をするのは、彼のやったことに対して、こっちが面白いと思って笑った時だ。その私の反応に対して、赤ちゃんが本当にうれしそうにまた笑うのだ。何か他のことで笑ったわけでもなく、思い出し笑いでもなく・・・他でもなく「自分」のことで・自分のやったことが私の中に鏡のように映し出され、それが楽しい面白いというポジティブな反応を相手から引き起こした時、赤ん坊もまたうれしくてたまらなくなっていた。このエピソードは、今の情緒応答性を含んだ会話の、前兆のような気がする。それをノンバーバルでやっていたような。


そんなやりとりの積み重ねで、子供のコミュニケーションやひいては言葉が育っていくような気がしてならない。