一日の旅人

長田 弘

どんなときにも、ひとは旅をし

ている。何をしているときも、旅

をしている。旅をしていないとき

も、旅をできないときでも、旅を

している。目覚めての、朝の窓辺

までの、ほんの数歩の旅。古い木

のテーブルの周りをいったりきた

りの、ただそれだけの旅。行った

ことない国の、知らない土地の出

来事を伝えるニュース。豊穣なコ

ーヒーの匂いが、凄惨な事件にみ

ちた世界の記憶をつつむ。


晴れた日の、街の木の下までい

ったら、立ち止まって、黙って、

遠く、枝の向こうにひろがる空の

青を見上げる。静かな雨の日、ハ

ナミズキの街路樹のつづく道を歩

く。雨の日の街の花屋の店先の、

花の色のあざやかさ。雨は来し方

をふりかえさせる。ひとの人生に

とっての一日というのは、きっと

降りしきる雨の音のなかの一粒の

雨の音のようなものだ。


自然はおのれの日々の営みを、

一日たりとも投げうつことはしな

い。中国の詩家が千年前に遺した

そのことばを思い出す。思い出す

ことも、旅することだ。冬の夜空

の明るい月と星が好きだ。シリウ

ス。オレンジ色のペテルギウス。

アルデバラン。闇澄む夜は、きま

って、洛北の右京太夫の遺した言

の葉を思い出す。今はただ、思ひ

いでよと、澄める月影。古来ひと

は月下の存在にすぎないのである

大仰なことば、過剰なことばは

要らないのだと思う。ゆたかなと

いうのは、多すぎるということと

はちがう。貧しいというのは、な

によりことばが貧しいことをいう

のだ。ことばではなく、じぶんの

時間を、思いきり、空に投げ上げ

るんだ。やがて何かがじぶんのう

えに、星の光のように、まっすぐ

音もなく落ちてくる。それがたと

えば、人生の意味とよばれるよう

なものではないだろうか。